『CUBE 一度入ったら、最後』
CUBEを日本でリメイクします! と発表があった時の空気感を見ると、日本人の邦画嫌いは良くないな……みたいな気持ちになれる『CUBE 一度入ったら、最後』。サブタイトルがダサいという点においては同意する。でも映画本体では一度も副題が出てこなかったのでなんかつけないといけない空気があったのかもしれませんね。つけないと観ないだろう。と判断された皆様。『死霊館 悪魔のせいなら、無罪。』も観ましたか? 俺は近くの劇場でしてなくて観れませんでした。
気がついたらCUBEの中にいた六人の脱出劇を描いたヴィンチェンゾ・ナタリの『CUBE(1997)』の公認リメイク作品。
原作との相違点は
・日本人である
・日本語で話す
・邦画である
・多分予算はこっちの方が多い
・最初に死ぬのはハゲではなく柄本時生
・サヴァン症候群の男は、13歳の中学生に変更されている
・初老の男性は斎藤工になっている
・自分が正義だと言う警察官はフリーターになっている
・主人公はトラウマによるパニック障害を持っている
・原作ではCUBEは「分業されすぎて誰も全容が把握できていない公共事業」とされているが、今作では「不明」とされている
・感情に左右するトラップが新設されている(怒気やトラウマに反応する)(え、なんで反応するの?)(分かんないけど、怒ってると赤くなるよ)
・星野源
特に注目する点としては。
「13歳の中学生に変更」「CUBEの存在」「感情トラップ新設」「主人公のトラウマ」「星野源」あたりだろうか。物語自体は原作とほぼ同じ(違う点は外壁を落ちるおばさんがいないこと)(予告編の「どうして手を引っ込めたの?」がそのシーンのことだと思ったきみ、騙されたね)なので、変更点がこの映画の点数を決めることになる。
中学生に変更したのは、やっぱサヴァン症候群は日本ではやりづらかったのかなあ。と思ったんだけど、この映画のテーマが原作とはちょっと違っていて(原作はどちらかと言えば社会問題定義だった)、「外に出ても変わらないという閉塞感(脱出したとして、なにか変わるの?)」を提示するにはサヴァンではなく、いじめられている中学生にするのは良かった改変だと思うよ。邦画CUBEは舞台を四方八方塞がりの閉塞感のある場所と定義していて、果たして脱出したところで意味はあるの? 投げる匙すらないのが僕らなのに。みたいな若者の感情を見せてきたのがとても良くて、エンディングの光の向こうに消えていくのも「脱出する=前向きな感情で、変わってみせるという宣言」になっていて、同じ展開ながらも違う見せ方を見せてくれて、ああ、これは邦画の良いところがでてるなあって個人的には思った。俺は邦画の良いところは感情の内側をねちねちやってるところだと思っているので。脱出して、前向きな気持ちになって、そんな彼を迎えるのは「映画のエンディングをつくるのがめちゃくちゃ上手い」と俺の中で定評がある星野源(読み込んだ上で書いてるのがよく分かるので)。多分「今度トリコの映画するのでエンディング書いて貰えますか?」と言っても良いエンディング曲書いてくれると思うよ。
斎藤工は「子供がのぼるのは大変そうだな」と考えてロープを作ったり、トラップがないことを確認したらまず最初に自分が進むことにより人身御供となる、誰かが危険な目にあっているときは真っ先に助けに来る、急いでいるけど皆を置いてはいかない。等のヒーロー的存在になっていたよ。さすが斎藤工。
アメリカはグレートアメリカンアゲイン。インドは踊り。韓国は貧困。日本は投げる匙すらない閉塞感を武器に戦っていきましょう。もっとカッコいい武器が良いなあ!