「宇田川源流 日本万歳!」 ショパンコンクールの2位と4位が日本人の快挙
「宇田川源流 日本万歳!」 ショパンコンクールの2位と4位が日本人の快挙
月曜日は毎週「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさを皆さんで共有し、その中で、その素晴らしさが自分の中にもあるということを感がてえ見たいと思うのである。
日本人のすばらしさというのは、誰か一人のヒーローがいて、そのヒーローが日本をけん引しているのではない。どの政治評論家だか忘れたが、外国の政治評論で、日本の政治を評して「日本の政治は、世界の中から見れば実にダメな指導者であり、日本の中で少しよいと思っても、外国の元首や大臣と比べてしまえば、見劣りする者ばかりである。しかし、日本の国民は、その政治の中において、世界でも有数の素晴らしい被支配民的特性を発揮し、ダメな指導者を補い余りある力を発する」というようなことが書かれています。
今回のコロナウイルス禍でも、マスクを着けそしてマスクをつけることが習慣化されてしまうのは、日本時だけである。実際に、「一人で自動車を運転していてマスクを着けている人」を見ると、さすがに日本人の「規律性の高さ」を感じざるを得ない。諸外国では、「マスクを付けたくない」ということから、次の感染流行が起きているにもかかわらず、日本では今年最少の感染者数になっているということである。まさに日本の現在の感染減少は、間違いなく政治的な指導のおかげではなく、日本人の一人一人の規律性と自覚による方が良いのである。
しかし、それでもそのような中で、日本人の中でも「トップ」を行く人々は、それなりにすごい。もちろん、世界的にも日本の中でも、名前が知られている人も素晴らしい。野球の大谷翔平選手や、オリンピックの金メダリスト(いちいち、すべての名前はあげませんが)、古くはインスタントラーメンを作った安藤百福さんや、パフォーマンスのがーまるちょばなど、素晴らしい人は少なくない。それだけではなく、各分野でも、様々な意味で日本の人々のすばらしさというのは言われている。
やはりその素晴らしい人というのは、素晴らしい。まあ、普通に素晴らしいのであるが実際には、日本人というのは「規律性などが高い」中で育ちながら、その中で、すばらしさを行っているのである。
今回の人々もそうであるはずだ。
反田さん2位、小林さん4位=16年ぶり日本人入賞―ショパン・コンクール
【ワルシャワ時事】ポーランドのワルシャワで行われていた第18回ショパン国際ピアノコンクールの本選の結果が21日発表され、東京都出身の反田恭平さん(27)が2位、山口県宇部市出身の小林愛実さん(26)が4位に入賞した。
反田さんは、日本出身者のこれまでの最高位である1970年の内田光子さん(現在は英国籍)の2位に並んだ。日本人の入賞は16年ぶり。
ショパン・コンクールは5年に1度の開催。世界三大コンクールの一つで、若手ピアニストの登竜門となっている。今回の本選には10カ国から12人が出場し、カナダのブルース・リウさんが優勝した。
反田さんは18日の本選の演奏で、課題曲のピアノ協奏曲第1番を本人も「大満足」という出来で弾ききり、多くの観客がスタンディングオベーションを送った。小林さんは20日に反田さんと同じ曲を演奏。2015年の前回に続く本選出場で、入賞を逃した前回の雪辱を果たした。
反田さんはワルシャワのショパン国立音楽大に在籍。若くして独立し、個人事務所を経営するほか自ら指揮するオーケストラを旗揚げするなど、行動派として知られる。小林さんは9歳で国際デビューを遂げるなど早くから活躍。米フィラデルフィアの名門カーティス音楽院に留学し、国内外で活動する日本の若手の代表格の一人だ。
2021年10月21日 10時40分 時事通信社
https://news.livedoor.com/article/detail/21062604/
私のイメージとはかけ離れているかもしれないが、一応私は中学高校一貫教育の学校の中で、中1から音楽部であり高2の時はその部長であった。そのために、一応クラッシックの音楽に関してもある程度は話すことができるし、また、コンクールなどの価値や難しさなどもなんとなくわかることになってる。全てにおいて「一応」とつけているのは、基本的に自分自身でそれほどその価値がわかっている方ではなく、当然に私よりも熱く語る人は少なくない。はっきり言って「音楽部の部長でした」といえるほどの話ができるようなものではないという自覚はある。
その中でもショパンコンクールのすばらしさは、なかなか高い。上記において世界三大コンクールということが言われていてもあまりおかしくはないことくらいはわかるのである。まさに五年に一度しかないコンクールであることを考えれば、オリンピックよりも価値があるということになる。
そのコンクールに2位と4位に入賞した、それも日本人がである。
さて、日本の音楽は、例えば琴の名曲「春の海」や様々な演歌などと同じように、日本の音楽というのは「主旋律」がしっかりしていて、その主旋律に対して伴奏がつくというスタイルになる。幼稚園以降、「日本人の規律性」から考えれば、そのような主旋律を歌うというような形で、音楽教育を受けていたはずだ。そのような中において、和音を操る、つまり、主旋律ではなく、違う音をぶつけて一つの音を汲みだすというようなことを行っていたということになる。
さて、この文章でその素晴らしさを表現することはできない。いや、私の表現力が不足しているといえば、それまでだが、やはり、その素晴らしさの表現は、陳腐な表現では話位ならないはずである。本当に素晴らしいものは、その実力以上の人しか評論できないのであるが、まあ、私には残念ながらこのショパンコンクールの内容を評論できるほどの力はない。もちろん、陳腐でよければ、リズムやオーケストラとのマッチ感など、様々なことを書くことができるが、やはり音楽はそのような者ではないような気がするのである。
さて、日本の音楽やその感性などにおいても、世界にマッチできるということが証明されたのではないか。そして、その内容は、二人が入賞した、つまり「二人が特別」なのであるが、しかし、その指導を行う人は少なくとも一本道ではなく福数の場所があるということになるのではないか。
日本はこのような所でも素晴らしい国なのである。