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松浦信孝の読書帳

忙中閑あり

2021.10.23 02:43

自分の安定性に関して、いつも疑問を抱いてきた。


気づけば1ヶ月前にはまっていたことの真逆のことをしていたりする。


気温の温かな季節にはまっていたテーマの菜食、家庭菜園から今は少し離れ、10月頭からは久方ぶりのタスク祭りで数年ぶりの忙しさを感じ、関係各所に迷惑をかけながらも怒涛の風を感じながら、仕事と研鑽というテーマで日々をやりくりしている。


時間のマネジメント、空間のマネジメント、タスクマネジメント、など意識高い系社会人みたいな勉強の必要を感じつつ、身を守るための多義的な整理整頓の可能性に日々開眼していく。


学会発表を済ませ、実習準備、その他細々とした仕事のタスクと、同窓会セミナー運営、趣味で立候補したオンラインイベントの準備、などなどてんこ盛りである。


いつになく追われている感じもするし、ここ2週間は10時11時台帰りもほぼ毎日だったのだけど、以前より疲れている実感が少ない。



もちろん切羽詰まってイライラしてしまい、普段は流せるような面倒な絡みにキレてしまったりもまだまだしてしまう、けれど。


根源的に、「はたらく」って、楽しいことなのだ。


給料が発生しようとしなかろうと、自分の持っている能力を活かせる機会に恵まれること。


その能力がなくても、その事象を通して学んで新たに身につく能力があること。


これが結構楽しい。


使われている、のでもなく、働かされている、というわけでもない。


ひとつ頼まれるごとに、なにか時代の風が、自分を見たことのない景色の世界へと運んでいくんだろうなという流れを感じている。


その先の自分の変化がどうなるかはわからないし、コントロールしようとも思ってはいない。


これでも一応選んでいて、趣味に合わないタスクは背負う気はないし、多分そういうものはなんとなくだけど、自分の元には来ないという安心感もある。


もともと要領がいいわけではないから、器用にはこなせないし、リズムが崩れると周りに迷惑をかけるから、バランスを保つために今週はお酒を飲んでもいないし、そのおかげでさらに調子がいい。


不思議と、そうやっていろんなことに奔走すればするほど、自分の軸、台風の目みたいな部分は静かになる。


だから最近は本を読んでもいろんなことが考えられる。外に出せる種が増えている。


暇な時ほど、余計なことをぐるぐる考え、思考は鬱滞するのに、忙しくなるほど、思考は磨かれて、輪郭はよりスッキリとシャープになる。


忙しさは心を亡くすと書くけれど、なくすのは雑念なのかもしれない。

〈草の桟敷席〉