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刹羅木劃人の星見棚

Witch's Gift sideA

2021.10.23 13:49

アストライア:声が聞こえた。

アストライア:私を呼ぶ声が。

アストライア:母上、母上と、私を求める小さな手のひらが、裾を引く。

アストライア:凡(およ)そ全てを手中に収めた私が、無尽蔵に生み出せる私が、

アストライア:壊すまい、損なうまいと誓った命が、そこにあった。

アストライア:万能の権能も、不朽の体躯も、差し出して構わないと思えるほど愛おしい笑顔が、そこにあった。

アストライア:愛する我が子の健やかな成長だけが、万象を従えた魔女の、たった一つの見果てぬ夢だった。

アストライア:だが、その夢は鮮やかな輪郭だけを残したまま、悪夢のような現実に塗りつぶされた。

アストライア:「ん―――」

アストライア:木漏れ日に目を醒ます。

アストライア:傍らには、我が忠節の騎士の愛馬が佇んでいた。

アストライア:「ディオメデス。主に似て厚い忠義を示すものよ。もういいわ。私は大丈夫。主のもとへ帰りなさい」

0:鼻をならし逡巡の様子を見せるディオメデス

アストライア:「ラクレスはきっと無理をしているわ。彼とて人間だもの。限界がある。さぁ、主を守りにいきなさい」

0:首を下げ一礼した後、駆け出すディオメデス

アストライア:「はぁ」

アストライア:――どこで間違えたのだろう。何を間違えたのだろう。

アストライア:この国に立ち寄ったこと?

アストライア:彼と出会って、恋に落ちたこと?

アストライア:王妃として人の社会に立ち入ったこと?

アストライア:民衆のために、魔女の権能を振るったこと?

アストライア:決まっている。全てだ。

アストライア:何もかもを違えた。何もかもを誤った。

アストライア:幸せな結末など、望むべくもなかったのに、希望に縋った。

アストライア:その結果がこれだ。泥に塗れ、悲嘆に暮れ、野に転がっている。

アストライア:人ならざる私が、人並みの幸せを求めた結果が、この悲惨で醜悪で、底なしの大穴のような悲しみだ。

アストライア:魔法を操り、人知を超えた万能を体現してきた。

アストライア:悠久の時を生きてきたが、人間というものはいつの時代も変わらない。

アストライア:私の力を知るや否や、怖れ、忌み嫌い、あるいは利用しようと媚び諂(へつら)う。

アストライア:用が済めば迫害し、自分たちの社会を脅かすものとして外へ、外へと追いやる。

アストライア:どれだけ国が違っても、どれほど時代が流れても、人間という生き物の本質が変わらない限り、魔女の扱いは変わらない。

アストライア:だから私は流れた。

アストライア:どうせ追いやられるのだから、留まることを辞めた。

アストライア:魔女の本性を秘匿し、旅人として方々を渡った。

アストライア:それが私の、悲しき運命(さだめ)なのだと受け入れた。

アストライア:そうして立ち寄ったとある国で、私は過ちを犯した。

アストライア:たまたま通りすがったバラ園で、周囲の花々に追いやられる様に咲く、枯れそうな花弁をつけた一輪のバラを見つけた。

アストライア:たまたまそういう気分だったのか、魔が差した私はそのバラを青くし、咲き誇らせた。

アストライア:周囲に咲いていたバラも、同じように青く染め上げた。

アストライア:その瞬間を、偶然そこに居合わせたとある少年が見ていた。

アストライア:少年からすれば、不可思議な女の周囲のバラが一斉に青く染まりだした様に見えたことだろう。

アストライア:私は内心舌打ちをしながら、早々に国を立つ算段をつけ始めた。

アストライア:魔女であることが露見したなら、どうなるかは明らかだったから。

アストライア:踵を返し、その場を立ち去ろうとする私の背に、少年が声をかけた。

アストライア:急激に花が咲き誇る異様な光景。世界に存在しない青いバラ。面倒な問いを忌避したかった私が足を止めたのは、その問いが予想外だったからだ。

アストライア:「お花、お好きですか?」

アストライア:少年はそう訪ねてきた。

アストライア:それが、王族のくせに土いじりが大好きで、こっそり城を抜け出してきた未来の夫との出会いだった。

アストライア:初めて、出て行けと言われなかった。側にいてと言われた。

アストライア:初めて、魔法のことを聞かれなかった。どんな人生だったかを聞かれた。

アストライア:初めて、魔女の私を求められなかった。私という女を求められた。

アストライア:だから、希望をもってしまった。

アストライア:ここが旅の終わり。不可能な夢を、儚い願いを、嘘みたいな物語を、真実(ほんとう)にできる、と。

アストライア:流れゆく事を辞めた私は彼との日々を重ね、時だけが過ぎ去っていき、少年はやがて王になった。

アストライア:私は初めて子を授かり、国民はそれを祝福してくれた。

アストライア:私は知らなかった。産み落とした我が子が、こんなにも愛おしいものだと。

アストライア:全てを投げうってでも、この命を守りたいと思った。

アストライア:あの日出会った夫よりも、もっと純粋に生命として私を求める小さな手のひらを、決して離すまいと誓った。

アストライア:そこで、私の箍(たが)は外れてしまった。

アストライア:この子のためにより良い未来を、より良い国をと、それまで決して自ら明かすことのなかった知識を民衆に授けた。

アストライア:他国に攻め入られた時は魔法でそれを解決した。

アストライア:良かれと思って、それまでの自分では到底為さないことを行った。

アストライア:思えばそれが、最大の過ちだったかもしれない。

アストライア:他国の我が国への対応が変わった。民衆の間を流れる空気が変わり、彼らの態度が変わった。

アストライア:そしてそれは波のように押し寄せ、夫を、王すらも変えてしまった。

アストライア:そして、王はその手で、自らの息子の、あの子の、命を―――

アストライア:「うっ――」

アストライア:人は変わる。その変わり方に、都合のいい名前を付ける。

アストライア:成長、暴走、進歩、退廃。

アストライア:どう変わろうと、人が変わっていくという事実は変わらない。

アストライア:どうしようもない愚かさを抱えているという真実は、変わらない。

アストライア:思考が煩わしかった。どれだけ後悔しても、時を戻すことは出来ない。

アストライア:復讐さえ虚しく、人間と関わることが心底忌まわしく思えた。

アストライア:心を殺し、以前のように全てを諦めて、流されていこう。

アストライア:頭でそう考えても、それを嘲笑うように矛盾する感情は頬を伝って零れ落ちていった。

アストライア:そうして数日、彷徨(さまよ)うようにたどり着いた最果ての森で、路傍(ろぼう)の石のように転がっていたソレを見つけた。

アストライア:透き通るような白い肌と髪、傷んだ赤色の瞳。

アストライア:一目見て、自分とは違う歴(れっき)とした人間でありながら、自分と同じ異端者の烙印を押された者だと分かった。

アストライア:体中傷だらけで、人々の利己的で卑劣な怨嗟をその身に受けたのだと悟った。

アストライア:一度、他者とのつながりとその幸せを垣間見た私が、再び孤独の旅路に経つ入り口に、私と同じはぐれものが打ち捨てられていたのだ。

アストライア:眼前にひろがる終わりの見えない闇路を一人で行くことを、私は怖れた。

アストライア:人間だとしても、人の社会に爪弾きにされたこの子なら私と同じ路を行く資格がある、なんて言い訳は建前だ。

アストライア:心を穿った棘は重く、その孔(あな)は一人で抱えるには大きく、重すぎた。

アストライア:唯一守ると誓って失ったあの子の代わりなど、虫のいい話だ。

アストライア:だから私は、一方的な庇護を選ぶべきではない。

アストライア:いずれこの子が、私の元を離れるという選択肢を選べるように、対等で居られるように、契約という形式をとろう。

アストライア:ならば、私は悲しみを見せてはならない。虚ろな心の渇きを気取られてはならない。

アストライア:母ではなく、姉でもなく、友でもなく、人でもなく。魔女として、言葉をかけよう。

アストライア:そして、願わくばこの子が、私のように世界に絶望し闇路を行かなくて済む様に、祈りを捧げよう。

アストライア:灯りもなく、逆風に煽られ、行先に迷っても、踏み出す先を、自ら照らし出せるように。

アストライア:その小さな手のひらが裾を離れ、いつか私を置いていく、その時まで。