ZIPANG TOKIO 2020「若者にフィットする和風住宅の考案を!」
熊本県千丁町福祉センター木風呂
福祉センターで入浴される方が高齢と言うことを考慮してオーバーフローした時に湯が框に滲みて滑らないように写真の右奥の框の下部に三か所穴をあけそこから排水出来るように工夫してある。
壁と天井にも木を使用して優しい雰囲気を出している。内高(浴槽の底から框の上部までの高さ)を550ミリに設計してあるので高齢者が入りやすいように埋め込みスタイルで、浴槽内の入り口部分にはステップを取り付けてある。
折角の機会ですから他の地域の木のお風呂も紹介いたします。
山中湖の別荘の半露天風呂です。加工がしやすいので椹を使用。
長崎県壱岐の老人保健施設 天然温泉のお風呂の六角形の木風呂。五辺の内側にはステップが取りつけてある。入浴時出入りし易くする為でもあり、長時間入浴する方の為、框に腰かけて足をのせたり、入浴時、両手の肘を掛けて足を伸ばしリラックスする為でもある。この老人保健施設には形の違う木風呂を男女各2槽施工。温泉の出る吐水口も木で制作。吐水口の右側に排水口を設けてある。
壱岐の老人保健施設。奥の窓側の木風呂は、長方形の大浴槽。計画では外側も木を使用する予定であったが、費用の関係でタイルに変更。
東屋を配した半露天風呂。使用している木はラオス桧、万葉檜、古代檜とも呼ばれている。京都の寺院の建築に使用された後、長尺がとれることから国産の檜の代替品として浴槽にも使われるようになった。
東京・ホテルニューオオタニ「ガーデンコート」の最上階の会員制ガーデンコートクラブ。この後でJR名古屋駅のツインタワーを設計したロスのデザイン事務所に設計協力して一緒に行なったものである。樹齢300年以上の木曽檜使用。手前にはR形のジェットバスタイプの檜風呂制作。その位置から富士山が一望出来人気のスポットである。中央の大浴槽は、内側に水中ライト、吐水口は打たせ湯になるように提案。またパネルの裏側には檜の無垢板を使用した競泳選手が練習出来る程の流水プールを設置。左サイドは木製のシャワー室と、20人が一堂に入ることの出来る木製のサウナ制作。
平成28年4月14日発生の「熊本地震」から一年が経過致しましたが、かって伊勢湾台風での災害の恐ろしさを身をもって経験した者として被災地・被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
今回は、熊本県の黒川温泉を紹介いたします。
畳中心の住まいで育った、団塊の世代より以前に生まれた方たちに畳表に使用するイグサ(藺草)と訊ねると熊本県と答えが返って来るくらい、熊本県は日本一のイグサの産地として有名です。
昭和50年代以降日本人のライフスタイルの変化に伴い、イグサの生産は陰を落として行きました。
30年ほど前に畳を使った新しい発想の商品企画と千丁町の地下水を汲むため井戸を掘っていたら温泉が湧出したので町役場の隣に福祉センターを建設して高齢者のための温泉施設をつくり、できればお年寄りにやさしい木のお風呂にしたいけれども、果たして五角形で長辺が4㍍位もある、そんな大きな木のお風呂ができるのだろうか?との相談で、何度も熊本県を訪ねました。現場が偶然イグサの産地千丁町だったので役場の方に栽培している田んぼに案内して頂き、イグサの生産農家の現実を見聞きして大変驚いた覚えがあります。
30年ほど前に考案した(実用新案申請)六角で表はイグサ、小口が見えないように全て縁で巻いてある。最近テレビを見ていたら伊豆の温泉地で猫の座布団として大変好況で販売されているようでびっくりしました。当時は勿論、人が車座になって座れることから畳職人の大口さんと考えた物である。
どこかで為になっているのであれば、幸いです。
しかし、近年新和風(和風モダン)のインテリアが住宅メ-カーのモデルハウスでインテリアコーディネーター等により提案され、洋風インテリアエレメントのカーペットやフローリング一辺倒からどのような形にせよ日本の気候風土に合った畳が復活してきたことは、大変嬉しく思っています。
ダイワハウス和モダンインテリア
三井ホーム和モダンインテリア
トヨタホーム和モダンインテリア
積水ハウス和モダンインテリア
積水ハウス和モダンインテリア
住友林業和モダンインテリア
上記の他に様々なハウスメーカー、ホームビルダー、建設会社、工務店等の建築業者が工夫を凝らして和モダンを提案されておられます。若者への影響は、住宅だけでなく公共施設や商業空間のインテリアも重要な要素なので建築家、インテリアデザイナー、インテリアコーディネーター、インテリアプランナー、インテリア設計士等のプロフェッショナルの皆さんのお仕事の中で、和のシェアが高まることを願います。
黒川温泉を紹介する筈が、途中少し寄り道をしてしまいました。
畳表のイグサについて熊本県いぐさ・畳表活性化連絡協議会(出典)資料から抜粋して紹介いたします。
熊本県におけるい業の歴史は古く、1505年、八代郡千丁町太牟田上土城主、岩崎主馬守忠久公が領内の古閑渕前にいぐさを栽培させ、特別の保護のもとに奨励したのが始まりといわれています。
宝暦年間(1750年代)細川霊感公が栽培と製織を奨励された記録もありますが、明治維新前までは「お止草」として太牟田・新牟田・上土・新開・下村の五つの村に栽培が限られていました。
太牟田表・八代表・肥後表と変わり幾多の困難をのりこえながら地場産業として定着し、八代地方を中心に宇城・球磨地方でめざましい発展をとげ、今日では日本一の生産高を誇る「くまもと畳表」の生産地に成長しました。
しかしながら、近年、中国からの畳表の輸入が急増したことから、生産農家、作付面積が大幅に減少しております。産地では現在、中国産に対抗し、国際競争力のある産地の再構築を図るために、優良品種「ひのみどり」の生産拡大を柱とした産地の構造改革を進めているところです。
銀閣寺
足利義政が京都・銀閣寺を建てたのが1489年(延徳元年)、1505年いうと室町時代後期~戦国時代の初期頃にあたり、1498年(明応7年) 明応地震、東海道大津波(マグニチュード8以上)が起こり三重県志摩半島の大津集落では1万人以上の死者が出たそうである。ちょうど500年位前の話であり、漁業関係者の皆さん住民全員がつい最近まで500年以上にわたり、日本初の高台移住を余儀なくされていました。300年~500年ごとに大地震が発生する可能性があるそうですが?南関東、東海地域の皆さんご注意ください。
出典:Google マップ
話があちらこちらに飛んでしまいました。イグサに戻り、熊本県いぐさ・畳表活性化連絡協議会(出典)の調査データを紹介いたします。
上記のグラフで、イグサ作付面積、生産農家の減少がお分かりいただけたと思います。このままですと日本伝統の和風住宅は将来地球から消えてしまうかもしれません。
現在、ハウスメーカー・マンションメーカーのターゲットとしている年齢層が20代後半~30代だそうです。
どうか、その年齢の方たちにも受け入れられる和風モデルを開発できないものでしょうか?
脱線?ばかりしており、締め切りの時間が来てしまいました。
黒川温泉は明日紹介いたします。