SHINE研修『マット・ビボウと味噌・茜』(3)トーク編・文字起こし
登場人物
・マット・ビボウ
・三宅洋平
・高尾洋平
・マイマイ(通訳)
・玄米(猫・メス)
※()内は周囲の声
※ほんの一部修正(読みやすいように)
※はじめに断っておくと、そこそこ長いです
話は前夜のおさらいから始まって…
【高尾】
昨日の夜どんな話をしたかというと、マットへとかいうよりは結構僕個人的に、国籍の違う部分でどうゆう教育を受けてるかなという所で、銃社会って日本にはないから、その辺ってどうゆう概念で、持ってない人間と、持ってる人間でどうなのかとか。
マットに聞いたら全員持ってる前提で生きてるっていうか、だが「俺は持たない」とか。その中でもアメリカだったらアメリカで「あいつ持ってる人だよねー」とか「俺たち持たないけどー」みたいなそういう差別というかそういう部分の意識の違いとかアメリカの中ではあるけど、日本はそういうGUNがそもそもないだけに、そのコミュニケーションで色々解決するっていう所では、日本人ってそういうコミュニケーション能力が高い部分ではあるかなあっていう。
まあ逆に繊細だし、メンタル痛みやすいし、そういう人種ではあるけど、向こうはまあ感情的になったら「パァン」って最終的には撃てるっていう所では、やっぱ僕らの最終的な結論とはまあ違うよっていう所で、あーアメリカはそういうこと考えてるんだーって話もしたりとか。
原発事故の後の話も結構したんだけど、アメリカ自身が核に対してどれ位の国民がNoって思ってるのって話を聞いてみたら、意外ににマットの答えは70%の人が嫌だと思っている、原発ないし、核ないし。日本ってそれ以下だなって、多分半分くらいの人が原子力別にOKじゃんって思ってる人もいたり。
あと例えば日本とアメリカの接点で特に出てくるのが、世界大戦の時のパールハーバー攻撃の時に、アメリカ側からすると、そのパールハーバーについてどういう教育をアメリカで受けるんかなって話で、案の定、急に攻めてきたっていう形で教育される、で、まあそれは色々生きていく上でわかってくる話なんだけど。日本は日本で急に原子爆弾が投下された、広島、長崎にって認識だったりするから。
戦争の後に僕らは色々教育受ける、3S政策とかまあメジャーな話あるけど、それは逆に向こうに、アメリカ国民に対してもそういう教育として成立していたんだなって所で、それは目から鱗だなーと思ってね。日本だけがそういう教育を受けたとかじゃなくて、アメリカ国民もそういう教育を受けてきた。
そこってある視野だとか経験でロックが外れるというか、そういうことじゃなかったんだなっていうのは多分気づく人が日本でもかなり多いとして、ただやっぱりそこはそういう差し込んだ話とかもオープンに喋ってレスポンスいただいて、結構面白かった。なんか意外にそういう部分も突っ込んだりすると、なんか僕らも逆に日本人としてっていうところが、逆に今まで何人っていうか地球人っていう認識だからなんかこう国籍の違いとか文化の違いによって、なんかまた新しい僕たちの文化を知るっていうか、まあ灯台元暗しっていうか。
白い世界にしか生まれてない人が、まあこれが白かどうか分かんないよね?初めて黒い世界に行った時に、白っていうあんな感じだったんだっていうのが解るのとおんなじで、やっぱり他を知ることで自分を知るっていうか、その辺が色々こういうカルチャー共通としてもかなり同じというか、見た目とか言語は全然違うけど、でも全くもって考えてることとか、感じるニュアンスとか、愛っていうかそういう認識っていうのはなんかもう関係ないんだなーっていうのは思って。
【三宅】
once he start speaking he never stop(喋り出したら止まらない…)
【高尾】
はい。そんな話をしてました。昨日。
【三宅】
same same we’re all same(俺たちも同じだけどね)
(ハハハハハハ!)(笑い声)
【高尾】
same same
【三宅】
俺。マットが来るってなった時に、ちょっとマット・ビボウって何者だろうと思ってググって、歳も全然同世代やんみたいな所で、もっとおじさんだと思ってたから、
(なんか50歳説あったよね)
【三宅】
50歳説あった!
(老人のそぶりをするマット)
(ハハハハハハ!)
【三宅】
もうなんかパーマカルチャーの名人みたいな、ビルモリソンみたいな人が来るんかなって思ってた。そうそれでなんかまあ色々調べてたら、一番ピンときたのが、色々マットのインタビューの中で、今ちょっと引用するけど
「大人は学びを記憶し、知識にする。子どもは遊びや体験を自分の土台にする。子ども時代にできる自分の土台は、一生その人とともにある。だから、パーマカルチャーを子どもに伝えようと思うとき、言葉は少なくていい。大人は、メッセージのすべてを、活動の中に組み込もうと努力する必要がある。」
ていう、なんかその姿勢は、僕らもこういう生活をしながら、正味この人達(子供達を指して)をどこまで放置していいのか、っていう、テーマじゃん。だけど、自分達がされたように叱りたくない、っていうのが凄く強い。だからその、今までの日本社会では躾って言われてきたものを、なんか子供時代に腑に落ちてない自分達が大人になって、何が答えか分からないんだけど、なんかまず叱りたくない、どうなるかをギリギリまで見守りたい。
なんか日本のことわざで、「よく我慢してもらった子は我慢強い子になる」っていう、なんか、すごいそういうことを僕らも日々考えながらこういうことをやってるから、そのマットのこの言葉っていうのは、すごい僕は共感した。
で、なんか、「さあ何か話そうぜ」って言った時に、「いやー、何話そうね?」ってなるのは、たぶん、なんか話すとこが無いくらい同じとこを見てるなーと思って。で、それよりも多分、まだ通じてない人たちにこれをどう伝えようかとか、そういうことをすごく共有しているとも思うし。で、だからなんかいざ話そうってなってもあんまり。話すことより今多分僕らが重視しているのは実践すること。「だから言葉は少なくていい」、「メッセージは自分達の活動の中に組み込んでいく」っていう。
だから、最近はあんまり政治的な発言をSNS上でも踏み込んではしてなくて。で、結構そういう政治筋の人達からは、選挙の時の支持者とか、「いやもっと政治に踏み込んでくれ」と。「なに商店の宣伝ばっかしてんだよ」「のんきに味噌作りしてる場合じゃねーよ」と。だけど俺からすると、この社会に今足りないものっていうのを全身で表現していて。いや、こういう政治的表現もありじゃ無いの?それはなんか、生活と共にある政治じゃ無いと意味がないと思ってるから。なんかすごくそれを、敵を作らずにうまく伝えたいなーっていう。なんか今我慢の時期だなーと。センセーショルな話題に引き込まれそうになるんだけど、安倍政権打倒とかに使ってる時間もないくらい僕らは、もっとPlactice、実践を進めていきたいな。だからこれが本当は最短の道だと思ってる。この辺でやめとこうかな。
【マット】
自分達のしてることを阻むような、気をそらすようなものって一杯あるから、その志って見失いがちになるけども。すごい自分達も、君らのことを想ってるんだよっていう人たちからも、横槍が入ったりもするし、敵対心を持ってる人たちからも色々来たりして。で、政治家であることって大変なことで、自分の信じてることを体現する政治家であるって最も難しい。
【三宅】
その「政治家像」もリペアしていきたい。なんかみんな政治に変化を求めるわりには、なんか例えば俺みたいなやつが立候補した時に、「応援してます、その、あなたの見てる新しいヴィジョンを応援したい、賛成です」と言いながら、「政治家なんだからもっとこうしなきゃっ」ていう、そのステレオタイプの政治家像を実は俺にも要求してきて。で、なんか俺はみんなが政治家に要求する政治家像自体を、なんかもっと、そこもすごくリペアが必要だなあと思って
【高尾】
寄付したから俺のニーズに応えてよ、みたいな
【三宅】
お客様根性っていうか。
【マット】
本当に、地に足つけて自分として生きて、政治家としてあれてる人って数少ないと思うんだけども、やっぱり(バーニー)サンダースとかはそうやって生きれてるなあと思っていて、僕は個人的にすごく好きなんだ。やっぱりバーニー・サンダースがトランプにもう一度、なんか、挑んでるような姿をまた見たいな、と思うし。政治の話をするって繊細な部分もあるけれども、ヒラリーが負けたのは彼女としてのアイデンティティが無い中で戦った。とにかく何が支持されるかみたいなところで、どんどん風見鶏みたいに変わっていくと、見てる方も彼女が言ってることを信用できない。トランプは何にしろ、メディアってところで見せることには長けてた、その中でアイデンティティの無い人が立ち向かってもなかなか勝てない。
バーニー・サンダースみたいな人たちが政治家として政治の世界として存在感を発揮できるかどうかはわからないけども、僕はそういう世界であってほしいし、そうだと信じたい。理想主義過ぎだというような声も聞こえるけども、でもイヤイヤ、他のところで実現してるところもあるでしょと、別に僕は夢見物語を言っているわけじゃ無いよ。
例えば、具体的な政治的な施策が打ち出せてなかったっていう人もいるけど、やっぱりすごい一番しっかり持ってたのは彼だと思うし、マーティン・ルーサー・キングと一緒に、その時から自分の思想を持ってやっていたわけだから。だからやっぱり今後は自分が信じていることにまっすぐ生きている人が、政治家として活躍するっていう社会が生まれた時に、政治の変革があるんだろうなと。
自分のまずはその足元のコミュニティをすごくしっかり作ることが大事。だけどそこにしか関心が向かないってことにならないってこと。きちんと外にも関心を向け、外にもつながるって意思を持った、強いコミュニティであるってこと。そのバランスがすごい大事だし、それが即ちそういう政治家が生まれる世界ってところと繋がっていくんだろうなと。
僕自身も思っていることだけれども、自分が信じていることを実践することって常に、今日より明日、明日より明後日をうまくできるってこと。大原則として、なんか言われるよりも、自分で心動かされることの方が、よっぽど人って動くから、それは相手に影響を与えるっていう文脈の中でもそうだし、自分が何を信じて生きるかって上でも、何が正しいかっていうより、何に心動かされるかっていう。
ガンジーとかはそういうふうに生きてるなと思ってて、僕の中では特別な存在。本当に実践してるなと、自分が信じていることを。世界がこうあるべきだなあってのを。誰も完璧じゃ無いから、常に。
誰かと対立になったり、なかなかうまくいかない相手がいるときに、まず自分の非を認めているとすることが、相手からパワーを削ぐってことに繋がる。
今政治の世界って、「あいつの言ってることは違う」「こっちが正しい」となっちゃうのは、まあそのやっぱり教育の中で、とにかく自分が正しいことを証明する、自分が他よりも秀でていることを証明することの大原則の中で、いろんな教育がされてることが、そのまま政治の世界でも。自分の弱みは隠して、とにかく自分の強みを打ち出して、相手を打ち負かせ、みたいなシステムになってるし、教育界も。
人生の苦しみってなんか、自分が隠してる弱みを誰かが見つけちゃうんじゃないかっていう恐れの中で生きてたりして、政治家にしてもそういうことを見つけられないようにすることに必死で、そこにパワーを割いちゃってる。
政治の世界もそうだし、僕らの生き方としても、完璧じゃなくていいんだっていうシンプルな真実に立ち返って、その精神の中で生きていくっていう。何が正解かわかんないけども、僕はこれを信じて、だからこうして実践して行くよっていうことを一人一人ができることがすごく大事なんじゃないかな。
やっぱり実体験を伴った言葉ほど力があって、真摯な言葉ってないので、口先だけじゃなくて、まずその人がそれを生きていく。その経験を持ってして語るっていうのが大事なんだろうな。
【高尾】
共感しあった意識ってあんまり会議とか必要なくなってくるっていうか、だいたいこの人が何考えてるっていうのが感覚でわかってくると、今度、実践する、何をしようかってとこに、多分、行動が変わるというか。
だからこのコミュニケーション、お互いを知ろう、は超えた共感の上で、やっぱり何かをアクションしようって流れになると思うんで、そこまでのプロセスとして、僕はすごく得意ではないけど、相手のニーズを知った上で、正常って言ったらあれだけども、コミュニケーションでお互いを知ることができれば。
シンクロしていくってことが、チューニングするっていうのが日々の積み重ねで、共感の果てにアクションで形に体現していくっていうか。で、その言葉っていうのが、さっきの言葉の通り、すごく周りに影響を与える。
【マット】
人類誰でも笑うこととか泣くことって同じで、言葉も国境も超える。
【三宅】
same!
(same same)
but different
(玄米すごい。ずっとセンター)
【マット】
建築の資格を持っている建築士とか、クリエイティブな人っていますか?
面白いけど承認取れない、承認取れるけどつまんない、でもない真ん中のところ。面白いけど承認も取れてるみたいなものって、そういうプロがいれば、そしてそこに共感している人が入ってくればできる。僕の信頼しているシティリペアのマークレイクマンは建築家でもあって、彼がいることによってポートランドで可能になっていることがたくさんある。面白いデザインもできるし、法律にも準拠している。だから、仲間に力を大いに借りるといいと思う。
【三宅】
ポートランドで初めにパーマカルチャー的なものが生成された時って、まあ何十年か前のことだと思うんだけども、やっぱ初めは行政との、無理解とのコミュニケーションだったんだと思うんだけども、なんか今でこそ多分ポートランドの行政も「これがうちの町の売りなんだ」という認識もあるだろうから、すごく話も通りやすいのかなあと。初めはすごくそこにストレスがあったんだろうなあとは思うんだけども、まあそこをどう乗り越えましたか?というのはありがちな質問で、そこはいろんなところに情報が出てるだろうから、あえて今聞かず。
逆に、想像するんだけど、「いやー日本のこの町だと多分マジで無理なんじゃねーの?」みたいなとこも一杯あるじゃん。「そこでそんな話しても何十年かかるじゃん」みたいな。ふと思ったんだけど、アメリカでもそういった町っていっぱいあるわけでしょ?
【マット】
発展途上国の法整備のできていないところって、ビジネス界がかなりロビーイングとか、政府に働きかけて、彼らに有利なように法整備がされてたりする。
今の世の中って企業が法に影響を与えるようになっている。企業とかビジネス界もそうやって法律に影響を与えてきたんだから、じゃあ市民たちにとって良い法整備ってところを、どうやったら我々もできるかって視点で考えるのがすごく大事。
パーマカルチャーも戦略的に考えてやってきたところがあって、レバレッジポイント、テコの原理でココは押さえておくとすごく大きな飛躍が生まれるみたいなところ。今の状況とか、自分達の土地の特性とかあると思うんだけど、ここ突破口だよねみたいなところを見極める。例えば、「災害対策」って名だとかなり行政が関心がありますってとこがあれば、そこを戦略的に。
地域のためになることがわかりやすいようなこと。そのコミュニティにいる、自分達のコミュニティだけじゃなくて、その地域にいる多くの人にとってメリットになるようなことの領域にまず特化をして、そこで政府にきちんと認められた形で何かをやるっていう実績を作っていくってことをするとか。
それはポートランドが実際に70年代にやったのは、市民たちがまずトップを変えるというところ。自分達の個別の活動じゃなくて、まず選挙。
壊すって決まっているビルがあって、市民たちは、市民たちが集うような広場を作りたいと。でも市長は「いやいやいや」みたいな。「もっと高い商業ビルを作って収益にするんだ」みたいなことを言っていて、全然市民の声に即していないことを進めようとしていた。
だけど相当な数の市民が、そこは市民のための場所にしたい、と。商業的なものはいらないって。そして選挙でそこが争点になって、結局そこで具体的なアクティビティがあったんだけれども、商業ビルって言ってた人は落選して、そこは今パイオニアスクエアっていう今でもポートランドの象徴のような場所になっている。市民が自分の意思を、地域を動かしたみたいな。
具体的にやったのは、その壊すって決まった建物の一番上を真っ赤に塗って、空中写真を撮った時に赤く四角くなるように、で、市長がヒステリックになって、何やってんだお前たちみたいに行くわけですよ屋上に、その間に一番下に置いてあった市長の車も赤に塗るみたいな
【三宅】
それもう違法じゃん!
(ハハハハハハ!)
【高尾】
普通に犯罪だ
(ハハハハハハ!)
【マット】
でもね、やっぱり賢い政治家は流れに乗らないとダメなんだよね。
【マイマイ】
でも違法でしょ?
【マット】
んあ?
【マイマイ】
この精神性かもしれない。「違法じゃん?」って言っても、んあ?あ?え?
【マット】
だって企業だって実質的に言えば、イリーガルなことをしたってなんか良しとされちゃってたりするわけでしょ。でもまあその、なんかやっちゃうと「それ違法だ」みたいに言われたとしたって、確信を持って「それは大事だ」と。でもそれだけの強引さを持ってやってきたからこそビジネス界って政治に影響力を与えたってこともあったから。
いや違法ですよ、でも現実的にやっぱりそういう風にしてしか政治に波風を立てられないこともある
違法なのはただ単に、合法にしちゃうと市民に力を与えてしまうからそういうことを違法にしてるってだけなんだから、というロジックでいうと、それは誰かを傷つけたいという意図でやっているわけでもない。歴史だって、本当に今の現状ありえないっ、てなって臨界点を超えた時に人が大きく動いて、変えなきゃと、何が合法か違法かを設定している法そのものを変えないとっていう風に歴史っていうのは変わってきたわけだから。
【三宅】
政府だって憲法違反を犯してるからね
same
だから結構バンクシーのタギングとかもそうだけど、なんか俺が政府に出るのも含めて結構タギング精神っていうか、そんなフツーの人が政治家になる為っていう小真面目な感じよりは、俺が選挙に出るのってもはやピースなテロだろと思うから。それで立候補っていうもののハードルをドカンと下げて。もう俺以降誰が出ても、三宅よりはマシだなみたいな。というのは冗談だけど。
【高尾】
さっきの話聞くと、やっぱアメリカンジョークじゃないけど、そのボキャブラリーやユーモアが日本の文化とスケールと全く違うから、日本だったら報道ニュースで、地域のニュースで出るだろうってところだけど、そこもなんかギャグじゃないけど、寛容な空気感っていうものは、ちょっと日本にはない。日本にはない、ていうか日本がすごく陰険な部分ていうか、民族的にすごく陰湿というか根暗な部分であんまりその解放に対するものに受け入れきれない人たちが多い文化なのかなと思うと、やっぱさすがそれはアメリカならではのアプローチで成功事例としてあるんだなと思う。
【三宅】
でもそれって「いや、それはアリだろ」って人がイッパイいればいいんだと思う。だから結局そのパフォーマンスをした人たちの主体が主人公なんじゃなくて、それは政治家でもそうだけど、それをサポートする支持者がどれだけいるかが社会を動かす力だから。その時に「いや、これをいいね押すとなんか言われそうだな」って言ってやめるんじゃなくて、やっぱりそこに「2000いいね」とかついたら、それはそれだけのパワーを持つっていう部分で、やっぱりその日本社会の陰湿さを生んでるのって、結局はそこで黙っちゃうみんなってのはあると思う。
【高尾】
やっぱり原因じゃないけど、戦争で勝った国、僕ら負けた国っていうところで、すごく在り方が違う。僕らたぶん負けたからこそ復興に対してこうしなければいけない、マスト、なになにすることがマストなんだっていうことを強要される文化っていうのが僕らの常識っていうか、体感、体の中に刻まれてるから、基本的に自分が何かしようかってよりは、何かしないといけない制限に対する中での自由で何かをしようっていうところでは、多分文化的に僕らの70年前から分岐としてある部分で、まあすごくそのユーモアとして成立する部分(マットさんの方を指して)、僕らが成立しない部分には「お前それ周りに迷惑かかるだろ」と。「必死で復興してるのにお前なんだよサボって」っていうのがあった時代だけに、多分日本の中で「お前は俺より仕事をしていない」とか、例えばね。ていうところでなんかその日本の中で、暗い部分が浸透して膨らんできたのかななんて僕は客観的に思ったりする。
【三宅】
まあ横並び意識っていうのはすごくあるよね
【高尾】
別にそれになってる僕らがアメリカの国民だったりとか全く恨んではないし、これは僕らの中の一個のルーツとして文化だから、それは生まれたから、こういうもんだと思うから、全く人種的な恨みを持たないわけだけど、ただ、すごい持っちゃう人もいるから。
「アメリカ、くそっ!」みたいは人もいるし、「中国、くそっ!」みたいな人とか日本の中で結構いるっていうのはSNSやって「あー、こういう思想結構危険だな」って思うのに、いるんだ見たいなのに目の当たりにしたのがこの五、六年。ツイッターとか始まってすごく思うけど。すごく歯がゆい。
【マット】
まあでも、愛国主義イコールその外国に対して反感を持つってことが、そこを統治している政権にとっては有利ということがあっての野放しというか。やっぱりコントロールしておきたい、支配しておきたい人たちにおっては、統治しようとしている人たちの憎悪が外に向いているのは好都合なわけで、それはシステムとして翻弄されてるってのはあるよね。
だけどその中で、そこに埋もれて大人しく飼い慣らされるんじゃなくて、時には自分の鼓動が熱く早まるような。ある確か南米の写真で兵隊が銃を掲げているんだけど、女性が銃の先に花を置いてるみたいな、それってすごくパワフルなイメージで、そういう心意気で生きられるかどうか。
(注:おそらく上の写真のことだと思われる。実際には米国防省へのベトナム戦争抗議の一コマ。参照 http://dailynewsagency.com/2012/06/02/most-powerful-photographs-ever-taken-fzg/)
それはある意味女性性の表れでもあって、そこに可能性があるなあと思っていて、それは性別、その特徴として、男性は戦いだったり決着つけたがる。でも女性性は違うアプローチ。強いものに対して強さで接するんじゃなくて、それは女性性の持っている強さでありしなやかさであってそれを世の中は必要としているなとすごく思う。女性デーのマーチがありましたよね?何百万人が世界中で参加して、一人も逮捕者が出ない。世界中で大規模なデモンストレーションが起こっていても、それが本当に法に則った形というか、血生臭くない形でそれだけのことを示せるってすごく画期的。我々はお母ちゃんたちに示してもらわなきゃいけないことがたくさんあるなあ。
【三宅】
海くんが言ってたのが、NVCの合宿で言ってたんだけど、その、僕らの癖、反応してしまう癖ってあって。夫婦喧嘩とかそうなんだけど、もう四コマ漫画みたいな発展の仕方すんじゃん。なんかはじめにどっちかが不用意なことを言って、片っぽが「えっ」てなって、何かカンって言い返して、で、そこを旦那の側がキャッチして一瞬おいときゃいいのに、そこでまたカンって打ち返して、そこでちゃん、ちゃん、ちゃん、ちゃん、わー、みたいな。
(ハハハハハハ!)
二人とも引き戻せるポイントはあそこにあったってのは分かってるんだけど、そこでつい反応してしまう癖とかっていうのを、結局NVCってさ、戦争は小さなところで、見えない暴力は一杯、親密な者どおし程起きていて、子供と親とかもそうだけど。
で、俺もできないよそんなに上手くはって思うんだけど、海くんが言ってたのは「僕は飛んできた矢を掴み取って花に変える修行をしてる」って。でもそれは「飛んできた矢を僕は花に変えられるぜ」じゃなくて、それは難しいことなんだけど、俺は一生かけてその修行をしている。俺はその考え方がすごく腑に落ちて、もし最初から「僕は飛んできた矢を花に変えるんだぜ」って言われたら「怪しいなこいつ」って思う。できたりできなかったりを毎日試してる。それならできると思った(笑)
【マット】
クリエイティブな人ならわかると思うけど、すごい自分の心がズキズキ痛むようなところからインスピレーションが生まれるところってある。何か悲しみだったり怒りだったり、そういうものから美しさを生み出すっていう能力を我々は持っている。マーティン・パテールっていうのが僕のメンターの一人なんだけども、貝殻みたいなものから宝石を作れ、みたいな。そんな能力を我々は持っている。
悲しみを経験した時にそれはヤダとはねのけたり誰かに転化したって、それはどこにも無くなってないし、そこからポジティブなものは生まれてない。本物の美しさって悲しみを知らないと理解できないっていうのをすごく思っているから。悲しみに打ちひしがれてというか、そこに埋もれて、薬に頼らなきゃいけなくなって、何も感じられないような無感覚になっている人もいるけど、悲しみを上手く代謝して上手く美しいものに変えていくっていうか。
本来自分たちが持っている才能をどういう風に話し合わせるかっていう。コミュニティを作るっていうところもそういう観点が大事だと思っていて、やっぱりみんな自分以外の人も悲しみを抱えて生きていったりそこに存在していたりする、でもね一緒にお茶を飲むとか、盃をかわすとか、何も言わなくてもそこに一緒に座ってるとかする中で、なんかすごく大きくあったぽっかり開いていた大きな穴が、小さくなってたり、少し何かで埋められてたりするってことを気づくような瞬間があって、そういうことが積み重なってコミュニティがどんどん紡がれていく。
そういうことを個人個人が経験すると、あ、もう一度あの場に行こうってなって、どんどんそういう人たちが増えて、活気が生まれて、でそこで心と体と頭全部を使って、一緒に動いて、一緒に美しいものを埋めるとなった時に、何か一緒に価値を作れる仲間がいて、自分が価値を作れるような場があり、すごく心が満たされるような、感覚を感じられるような時間が。
【マイマイ】
そういうことなんだろうなって、コミュニティ。だから全ては一杯のお茶とかから始まるし、何か空いた穴を埋めるみたいなところ。そういうことなのかな。
【三宅】
お茶もらってもいいですか・・・梅醤が冷蔵庫に入ってるかな・・・梅醤番茶作ろう。
ポートランドの十字路で、交差点で勝手にピザ窯をそこに作って、突然焼いて、歩く人たちに配り出す人とか、ティーポーットが置いてあって「どうぞ」みたいなところに知らない人どうしが集まって、通りすがら話てくとか、なんかあれってゲリラ的にやってるんだけど、なんか日本でもやったらいいと思うんだよね。
【マット】
シティリペアでよくやっている構造ですよね。まずはお茶を提供してそれを介在してよく機能する。原価もかからないでしょ?お茶って。でも与えられるものとして確固としてあるから
【三宅】
これなんでタダなんだろうっていうところからすごいいろんなことを考え始める
【マット】
びっくりするよね。よく聞かれる。「これお金かかるの?」。「いやタダですよ」って言うと、「えっ!」て。ルールを変えなきゃと思うけども、やっぱ皆んなされたら嬉しいことをやるっていう。彼らの立場に立って、どうやってすることが一番障壁というか、心理的バリアがなく集まれるのかを考えていくことが起点になる。
マークレイクマンがよく写真を見せてくれるんだけどイタリアのピアッツァっていう広場のように皆が座れる椅子だとかベンチがあって、老人もいれば子供もいるような、普段あんまり接しないような世代が自然に関わりを持てるような場所があって、子供世代とおじいちゃん世代がいかに関われるか。そこが接触すると、本当に文化の継承とかいろんなものの交換が生まれる。
高齢者に集まってもらうためには、彼らに聞くってことが大事。押し付けだったりじゃなくて彼らの声から学ぶっていう。どういう場だったら来れるかとか、何が必要かとか。ちょっと若者がやってることって、参加しにくいわけですよね。だからその、興味あるんだけれども、僕らなんてあんまりウェルカムされないんじゃないかとか、なかなか行く勇気が無いとか。
彼らのコンフォートゾーンを生み出してくださいと強制するんじゃなくて、あくまでも彼らが違和感なく安心してできることの中に、自分たちの取り組みを伝えて行く。最初はそこに来させるんじゃなくて、お茶を一人暮らしをしているお家に持ってくとか。何回か訪問しているうちに、よかったらこっちにも来てくださいねと言ううちに、その中の一人とか二人が来始めるとか。
今成功していたって、よりできることっていくらでもあるわけで、今日より明日って。僕ら自身も気づかないうちにやっぱり自分たちの成功体験だとか、自分たちが心地よいところにとどまるっていうように。いかに開かれたコミュニティで行こうと思ってても、気づかないうちにクローズドなコミュニティになってしまうんで、それは自分たち自身でも今うまくいっていても、もっとうまくできるよねとか、もっとこうしたらいいんじゃ無いかとかって言う姿勢だと思う。今ここに来てない人に関心を払うことはすごく大事だなあと。
【三宅】
よく、市議会議員とかになるときにさ、戸別訪問を二万件しましたとかよく言うじゃん。それは大事だと思うんだけど、俺は、それよりも支持者がさ、お茶持って老人の家に行くとかいう。例えばバーニーサンダースが全員個別訪問とか無理だけど、バーニーサンダースを支持する人が全員三人ずつ個別訪問すれば、ものすごいリレーションが深まって、じゃあいざ選挙になったときに「私バーニーサンダース応援してるんだよね」って話をしたときに話せる関係ができてると思う。
それってすごく俺、政治家には個別訪問よりも政治をやっててほしいから。どうしても政治家って選挙のために動く時間が多すぎて、本当に国のためになる政策を煮詰めて行くことっていうことにどれだけ時間を裂けているのかなって思うから、それって支持者がみんな個別訪問するようなことっていうのは、その人を通すことが第一の目的じゃなくて、もう社会を変えて行ってる。なんかこれからの政治家とサポーターって、そういう関係で入れたらいいなって思う。
【マット】
本当にそう思う、選挙当選ってところの時間だとかに気持ちを取られるんじゃなくて、政治に全うしてほしいね。
【高尾】そろそろ時間だね。一日ずっといていろんな話もできたけど、また僕らも実践した後の形を見てもらったり、逆に僕らがポートランドに行ったりとかね。例えばワンウィークステイしながら。
【三宅】
バッチリライブとかしてね
【マット】
みんな来てよ!お金もこっちもちの!って言いたいけどできない。でもみなさんが飛行機代さえ工面してくれれば、六月にはポートランド中がお祭りとして色んなことをやる。もしかしたらファンドレイジングでみんなを呼ぶこともできる。選挙でいろんな人が注目しているだろうから。ポートランドのお祭りだったのを、インターナショナルな世界的なお祭りにしたいなあと。そして日本がそこで存在感を出して行く、そしてインターナショナルなパートナーにして行くっていう文脈の中で、ファンドレイジングをして行くことができるかも。
【三宅】
それを日本でもシェアしたら、ローカルコミュニティがグローバルに繋がって行くいいきっかけになる。ちなみに六月の何日なの?
【マット】
六月二日から六月十一日までの一週間をかけてやっていて、最初の週末と最後の週末が特に大きくワーッとなんかいろんなライブとかもやりつつディナーも盛大にやってとか。今年ダメでも来年来てもらえればいいと思うし。
全身裸で自転車に乗るみたいな大会もあって、一万五千人が全裸で自転車に乗って、街を走りまくる。すごいたくさんケツを見られる。それも興味があれば、それはちょっと六月よりも遅い時期にあるんだけど、それもポートランドの名物。
【高尾】
本当に行けるかもしれないね。
【三宅】
Nahkoとセッションしたい
【マット】
調整したいね!
【マイマイ】
ポートランドのミュージシャンで、通じるものがあるんですよね(三宅を指して)
【三宅】
はっきりいうと顔が似てる
【マット】
是非二人でステージをしてほしい。世界は変わると思う。そのステージをもって。
岡山ってポートランドと規模感も似てるので、すごく親近感を感じる。ポートランドで成功していることが、規模感として、岡山でも成功しやすい。(招聘してくれている)徳島ってちょっと小さいから。東京は大きすぎるし。究極はうまく行っていることが、小さくても大きくてもどういう風にうまくできるかってことは見つけて行かなくてはならないけど、とっかかりとしては岡山は準備が整っている。コミュニティスケールのイベントって岡山にいっぱいありますよね。僕自身もインスピレーションを受けてて。音楽のイベントもコラボレーションしたい。
【三宅】
岡山で実践例ができると多分、韓国とか中国の人たちも、やっぱやってるってのがあるとすごく早いよね。今、情報の周りも早いし、観光客もたくさん来るから、ああいうのうちの国でもやりたいよねって、ポートランドに行った日本人が思うように、そういう場所をアジアにも作って行きたいな。岡山は結構ひらけてるよね。だから確かにやりやすいと思うし。
【マット】
やっぱり世界は国境を超えたインスピレーションの与え合いというか、取り組みを必要としていると思うから。
【三宅】
そういったようなところで、番組をご覧の皆様…
(ありがとうございました!)
***
味噌作り、茜染め、トークと長い一日を終え、マットさん、マイマイさんを市内に送るのに合わせ、みんなでインドカレーを食べ、解散となりました。
そしてマットさんの岡山でのイベント最終日となった3月25日のイベントに顔をだし、しっかり乾いた茜染めのシャツと三宅商店謹製の塩を渡してパシャり。次回の来日予定は8月頃を予定しているとのことなので、その時は出来上がった味噌で味噌汁でも飲みましょう。
お二人とも強行日程の中、本当にありがとうございました。