インストラクターとホームティ―チャー①
Ms.あみ~ごは、昔から好奇心が強くて、興味惹かれたものはしばらく没頭してしまうのだが、ある程度凝ってみると、飽きる。
「ふぅ~~ん、そうなんや。わかった!!」と、自分なりに何か視えたり悟ったりすると、ひと段落したところで興味を失ってしまう。
趣味に限らず恋愛もそうなのだが、(自分にとって)底が浅くそこから拡がりや深みを見つけられなかったりすると、もう次のやってみたい事に気が移ってしまうのだ。本当は、何でもそこからがSpecialistに成る道なのだろうけど。何でも、ね。
そんな中でも、初恋さえ知らない幼少期から続けているものが2つ在る。
「SKI」と「英語」。
この2つは、一応指導者に成るまでモノにしたんだから、他は三日坊主でもイイや!と現在の自分は考えている。持久力系より瞬発力系の能力が高くて、すっごい集中するんだけど、それを継続するのは苦手。SKIはOFF SEASON があるからこそインターバルに何か別の事してまた冬に没頭していた感じで、気が付いたらその道歴45年になっていた。
スキーインストラクター、ジュニアの強化コーチ、一般企業の新人教育係リーダー、英会話のHome Teacher、英語の塾講師.......etc. 指導者まわりの仕事にいつも恵まれたが、いわゆる「学校の教師」だけは避けて通って来た。
外国語学部でも教職課程ははなから選択しなかったし、「先生」に成る気は一向に無かった。なぜならば、、、
「自分は性格的に聖職には向いていない」とずっと思っていたから。
人を諭したり導いたりする人格でない。むしろ ”Don't Trust Over 30 ! " ♪つまらない大人には成りたくない♪ ♫この支配からの卒業♫ という音楽に心が近い人間だと自覚していたからだ。
公立中学の理科の教師で、バスケットボール部の鬼監督で、最終的に学校長に落ち着いた父親が、
「お前が英語のの教師やったら、好い先生になったやろうになぁ・・・」
と、私が社会人に成ってから事ある毎にこぼしていた。イヤだ!教師だけは成りたくない!と反抗し続けた20代。
父の云っている意味は分かる。一人の生徒として。国立大卒だけど黒板に向かってブツブツ呟いてるだけの、上から目線のくせに生徒の反抗に怯えていた、地学の教師が大嫌いだった。2浪して入った立命館大で留年して、やっとこさ卒業してやっとこさ採用試験に受かってアラサーでやっとこさ中学の教師になった、英語の先生が校内マラソンでヒーヒー言いながら生徒と一緒に走っていた姿が、なんだか好きだった。
給料ドロボウの教師より、生徒の次元に降りて来れる教師が、切実に必要と感じていたのだろう。
だけど、これじゃないんだな、、、と思っていた。