やわい屋に新たな空間が誕生します。
皆さんご存知でしたか?
やわい屋は平屋ですが、実は屋根裏部屋があるんです。
知らないですよね。別に秘密にしていたわけじゃないんですよ。
屋根裏部屋は、元の場所に建っていた時も移築した今も物置としてして使用してきました。
でもとてもとてもいい空間なので、いつかなにかに利用できないか二年間ずっと悩んでいました。
そしてたくさんの方に相談につぐ相談、夜な夜な屋根裏に上がって思案した結果…
セレクト古本書店[やわいや書店]として生まれ変わることになりました!
六月中旬の開店を目指して、集落の頼れる大工さんの力を借りて全力改装中です!
正式なリリースは六月上旬にさせていただきます!
家主はお掃除や柱を磨くのを手伝わせてもらってます。
一階の開放的な空間とは違い、薄暗く低い天井が安心感を与えてくれ、古民家ならではの梁や垂木の美しさも存分に味わえる最高に素敵な空間になります!
少し暗くて風が気持ちいい…そう!読書にうってつけの空間なんです!
改修中の現在も暇を見つけては上にあがり、読書をしたり珈琲を飲んだり…お酒を呑んだりしながら空想を膨らませております。
最高な空間になるのは間違いないです。そうです、自分が一番楽しんでおります。
・個人経営の古本屋のない町で
少し前に全国的に話題にもなりましたが飛騨地域には映画館がありません。自主映画の上映会は僕も主催させていただいてますし、友人も何人も開催しています。今後この流れは加速するとおもいます。
ですが、実は高山市には個人経営の古本屋も実は一軒もないのです。
僕の子供の頃は古本屋さんがありました。
しかしいまはないのです。
これはなんだかとてもいけないことなのではないかと思うのです……
文化の育たないところに風土は生まれません。
みんなに本を読んでもらいたい。
文学者や詩人になるためではなく。
もうだれも奴隷にならないように。
ジャン二・ロダ-リ
僕にとって読書は知識を溜め込む為の行為ではありません、読書は道しるべであったり、人生の旅の目的を教えてくれるものです。
目的のうかわからない旅は不安なものです。読書をすることで心の世界は無限に広がって自分がなにに興味があるのか、なにを好きなのか、少しづつ理解できていく、それは旅の目的を見つけることでもあります。旅の目的や目的地が皆違うように、飛行機や船やヒッチハイク等々旅の道筋が違うように、人生の旅も千差万別です。
名も無き花の咲く草原を探すのも、偉大な師を求めるのも、日常に豊かさを見出すのもその人の大切な人生の旅です。
ただ無知であること、自分で考えることを投げ出すということは、知らず知らずのうちに誰かや社会システムの奴隷になってしまうリスクを増やしてしまいます。
文学者や詩人になる為でなくそれぞれの人生が自分のものになる為に読書は必要なのです。
本はその旅の杖であり、同伴者であり、まくらにもなる頼れる相棒なのです。
・珍しい本はないけれど、うれしい本はある。
古本屋は一部の人の為の場所でなくて、本を探しているときに感じる高揚感や居心地のよさ、いま読みたいと思わせてくれる本をすっと差し出してくれるそんなみんなが気軽に立ち寄れる場所だと思うのです。僕らがこれまで扱ってきた器と同じように本もまた生活を彩る道具です。
「珍しい本はないけれど、うれしい本はある」。これは松浦弥太郎さんの言葉ですが、僕の理想とするのもそのような本屋です。
仕事柄日本の各地へ旅に出るのですが、書店に並ぶのはその旅の中で古本屋さんや某大手古本チェーンで選んだ本達です。
ジャンルは様々ですが珍しい専門書等でははなく、料理本やエッセーや哲学やサブカル等の著者の顔や生活のにおいが伝わるそんな本を選んでいます。
ひとりひとりの人生感が凝縮したような本が僕はどうやら好きなようです。
一冊一冊表紙を見て手に取り、開いたページに眼を通し、これは面白そうだな 為になりそうだな 手元に置いておきたいなと思った本だけを棚に並べます。
ですので一般的な古本屋さんのようなお客様からの買取りは行いません。
それは、あくまで自分達が惹かれたものをしっかり選んで紹介したいからです。
・手書きの栞。
やわい屋書店の古本には値札の変わりに折りたたんだ栞が挟まっています。
そこには一枚一枚、佳子が本に眼を通して書いた気の抜けたイラストや文字が書かれています。
これもひとつの本と出合うきっかけになると思うのです。
たとえばこんな感じです…
…こんな紙がすべての本に挟まっています。
眼を通すといっても読んでるわけじゃないですよ、表紙やペラペラ見て書いたり、全然内容と関係ないのもあります。 こんなものが約千冊すべてに挟まっています。
この作業は一緒にやっていて非常に楽しかったです、実際この栞から興味を持って僕も何冊か普段読まないタイプの本に眼を通しました。
本との出遭い方はいろいろあっていいと思うんです。 イラストが気に入ったから本を選んだ、なんてのもあっていいと思いません? なにごとも楽しくなくちゃ続かないのです。
・学びのきっかけ作り。
最後になりますがこの機会にもう少し思いを語らせてください。
現代はものがあふれ、情報もあふれ、なにが正しいのか一見するとわからないような時代です。 なにが真実なのか?どんな想いで生きていけばいいのか。多くの人が悩みながら生きています。
TVやネット技術が発達して、近頃は若者の本離れが進んでいるようですが、本とTVには大きな違いがあります。それは本は能動的に向きあわなければ情報を引き出せませんが、TVは受身でも情報を得られるということです。どちらがより記憶に残るのかは自明の理でしょう。
本は形として残ります。本棚というのは、その人を内面の外部記憶のようなものです。形に残るというのはインターネットとの違いでもあります。
確かにネットは便利です、最短距離で情報が引き出せます。 しかしそれは、栄養が必要ならサプリで充分だ。ということに似ているような気がします。
サプリでも栄養は足りるかもしれませんが、家族で食卓を囲むことや、なにを食べようか楽しく悩むことを切り離してしまうことです。
内外の関わりを絶ってしまうことは人生において損益だと思うのです。
本は遠回りですが遠回りをすることでしか得られないことがあります、むしろ目的よりそっちに意味があるのではないかと思うほどです。
人生は思い通りにいかないから楽しいのです。事前準備なしでいきなり目的地に飛行機で行って見たいものだけ見てすぐ帰ってくることを旅といえるのでしょうか? それはあまりにもったいないように思います。
本や映画にはたくさんの人の人生が詰まっています。 読み深めることで人は実際の何倍もの人生を追体験できるのです。これはすばらしいことです。
そして…これまで書いてきたことは僕がいままで出会ってきた多くの本から学んできたことです。
学びはやがと好奇心に変わり、人の縁へとつながり、たくさんのご縁に支えられて僕らはやわい屋という場所を持てています。本から知った世界は、新しい暮らし方や生き方や様々な発見をくれました。そう僕の人生を創ってくれたのです。
だから、このちいなさ古書店が古本屋のなくなったこの地域で、日々暮らしていく人たちの毎日の当たり前の暮らしを、いまよりほんの少しでも明るく照らせる灯明のような場所になったらと思います。
循環する社会をめざしてもいきなり社会を変えることは出来ません…でもちいさな自分の場所でなら様々な取り組みが出来ます。 三十年かかって壊してきたものを取り戻すには三十年の時間がかかるのです。僕らは終わりの時代に生まれたのではなく、始まりの時代に生まれたのです。
屋根裏のちいさなセレクト古書店[やわいや書店]が多くの方の学びのきっかけとなることを祈って、いま走り始めます。 やわい屋書店は、六月中旬完成予定です。
追加情報や店内写真は六月頭にご披露できるかと思います。
やわい屋共々今後とも何卒よろしくおねがいいたします。
やわい屋 朝倉 圭一・佳子