松の誕生物語
https://asia-allinone.blogspot.com/2021/06/p153.html 【漢字の誕生物語:漢字 松はどのように生まれたか。漢字 松からイメージできるもの】より
漢字 松の誕生物語:漢字 松の成り立ちと由来
私は今まで漢字に興味を持ちその成り立ちを探ってきました。今までのアプローチ方法は、まず漢字ありきでした。
しかし、今よくよく考えてみますと、漢字の成立した過程は、全く逆の過程を通っていると考えられます。
最初にはまず物や人や行動、あるいは事象があり、それを認識・理解した後、他の人に伝達・説明するために言葉が生まれたはずです。つまり、まず最初には「もの」があったはずです。
最初に、ものがあり、それを把握し、その事物人らかの手を加え、それで行動を起こし、他の人にその自分の意図を伝えたいときに漢字も生まれたはずということです。
こんな当たり前のことを忘れていました。そして、漢字を見て、どう解釈したらいいかということばかり気にしてきました。
古代の人々が松の木が植わっており、その松の木を他の人に伝えるにはどうしたでしょう。
もっとも特徴的な物で説明するのが一番だと思います。
皆さん、誰かに松というものを人に伝えたいときに、松という漢字を使わずに説明したいときにはどうしますか。まず、木と松葉と松ぼっくりの絵をかくのが一番手っ取り早いと思います。
松・金文 木+松葉+松かさ
松・小篆 金文を引き継いだ →松・楷書 字としての形を整える。
https://news.livedoor.com/article/detail/14416603/ 【【漢字トリビア】「松」の成り立ち物語】より
「漢字」、一文字一文字には、先人たちのどんな想いが込められているのか。時空を超えて、その成り立ちを探るTOKYO FMの「感じて、漢字の世界」。今回の漢字は「松・竹・梅」の「松(ショウ)」です。
「松」という字は木へんに「公(コウ・おおやけ)」と書きます。
「公」は漢数字の「八」の下にカタカナの「ム」に似た形を書きますが、「ム」は両手で抱え込む、囲い込む様子を表し、漢数字の「八」は、左右にものを分ける様子を表しているといいます。
このふたつを組み合わせた「公(コウ・おおやけ)」という字が意味するのは、抱え込もうとする両手を左右に開き、つつみ隠さず公開する、ということ。
松の葉は、手の指を開いたような、向こう側が透けて見える形をしています。
風通しがよく、背景を隠さずに生える葉っぱをつける木が「松」。
そこで、木へんに「公(おおやけ)」と書くようになったというのです。
ちなみに「おおやけ」という言葉の語源は「おおきい・邸宅」の「宅」。
「宅」は「やけ」とも読みますから、「おおきなやけ」、「おおやけ」になりました。
いつも変わらない姿で立つ「松」の木は、「大きな邸宅・大きな家」のような存在だったのです。
「松籟(しょうらい)」「松涛(しょうとう)」「松韻(しょういん)」。
松の葉が風に吹かれてたてる音に様々な呼び名をつけ、耳を澄ませては心の平安を得た先人たち。
厳しい寒さに耐えながらつややかな緑の葉を保つ姿にも感銘をうけ、長寿や永遠の命を象徴するめでたい木として親しんできました。
そして何より松は、神々が依り代として降り立つ神聖な木でもありました。
茶室の釜が沸く音のことを「松風」といいます。
茶人たちはその音を聴いて松の梢を通り抜ける風を感じ、心を落ち着かせてお茶をたてるのです。
茶の湯に影響を与えた禅の修行においても同じこと。
無彩色の墨絵に描かれた松林の絵を眺め、そこから吹き渡る風の音を聴き、騒がしい俗世を離れて静寂を想い、悟りをひらくのです。
ではここで、もう一度「松」という字を感じてみてください。
二○一一年三月十一日。
人々の心の拠り所だった美しい松原は、一瞬にして失われました。
岩手県・陸前高田市の海岸沿いに広がっていた「高田松原」。
かつての名勝に残されたのは、たった一本の松の木でした。
樹齢二百年以上、先の震災を含めて四度の津波に耐えてきたこの松は、「奇跡の一本松」として、復興への希望をつないできました。
一旦は塩水の影響で枯れてしまいますが、現在はモニュメントとして復元され、再び凛とした立ち姿を見せています。
あれから七年。
私たちもそれぞれの空の下で立ち止まり、一本松が奏でる音に、心の耳を澄ませてみることにしましょう。
漢字は、三千年以上前の人々からのメッセージ。
その想いを受けとって、感じてみたら……、ほら、今日一日が違って見えるはず。