マリリン・モンロー主演『七年目の浮気』
スカートめくりの
場面が意味するのは
333時限目◎映画
堀間ロクなな
いまから半世紀ほど前、日本全国の小学校でにわかに「スカートめくり」が大流行した。きっかけは丸善石油のテレビCM(1969年)だ。ハイオクのガソリンによりスポーツカーが猛スピードで走り抜けると、その風圧で小川ローザの白いワンピースのミニスカートがめくれ上がって下着がのぞき、「オー、モーレッツ!」と口走る。21世紀のいまに放映されてもけっこうインパクトがあったのではないか。
それだけではない。当時、『少年ジャンプ』に連載されていた永井豪の人気マンガ『ハレンチ学園』がこれを取り入れて、主人公のガキ大将もクラスメートの美少女のスカートをめくったことから読者の男の子たちを燃え立たせ、ついには教師やPTAが乗り出して『少年ジャンプ』の不買運動を呼びかけるやらテレビの討論番組で永井を吊るし上げるやらの騒ぎを繰り広げて、それがまたかえって火に油を注ぐことにもなり……。
かく言うわたしも、あのころスカートめくりに興じたひとりだった。いまにすると不思議なのは、なんだってあんなにも無邪気になれたのだろう? もちろん、いくらかは性欲の目覚めといった事情もあったに違いないが、だからと言って、世間にはびこる痴漢や盗撮といった陰湿な行為とは異なるものだったと思う。教室や校庭で、ふだんは縮こまっているような男の子までも妙に活気づいて女の子を追いかけ、その女の子もあらかじめスカートの下にブルマを穿いたうえで大袈裟に逃げ回るという、あっけらかんとした鬼ごっこのようでもあったのだ(かつての行為を自己弁護するつもりはありません、念のため)。
スカートめくりの元祖と言ったら、ビリー・ワイルダー監督の『七年目の浮気』(1955年)だろう。もともとはブロードウェイでヒットした喜劇で、500年後の未来を舞台に相も変わらぬ男のスケベ心を笑い飛ばすという趣向を凝らしたストーリーなのだけれど、いまだにハリウッド映画史において燦然ときらめく地位を占めているのは、ひとえにマリリン・モンローの純白のドレスのスカートが地下鉄の通気口の上でめくれ上がるからだ。それはもはや世界遺産級の名場面と言っていいだろう。
あまりにも有名なスチール写真では、マリリンは困惑して笑みを浮かべながら懸命にスカートを抑えているように見えるけれど、実際のシーンはまるで違う。マリリン扮するブロンド美人が同じアパートに住むようになって、鼻の下をのばした中年サラリーマンがバカンスで妻子の不在をいいことに映画館へ誘い出すことに成功する。ふたりで『大アマゾンの半魚人』を鑑賞したあとの帰りがけ、ニューヨークの夜のうだるような蒸し暑さに辟易したマリリンは地下鉄の通気口に気がつくと、自分から地下の風を足元に導き入れ、「ごちそうさま!」と口走るのだ。
このとき、ふわりと浮き上がったスカートをカメラは斜め上から見下ろすだけで、マリリンの全身を写し出すことはしない。スチール写真よりもずっとさりげないのは、ことのほか性表現に関して厳格だったMPAA(アメリカ映画協会)の検閲によるもので、実はこのあとに、今度は地下鉄の特急がやってきてもっと盛大にスカートを持ち上げる場面が続くはずだったものの、ボツになったという(他に、マリリンの入浴のひとコマもカットされている)。話はこれで終わらない。当時、マリリンの夫だったプロ野球選手のジョー・ディマジオは、スカートめくりの撮影に憤激したあまり2週間後に離婚してしまう……。果たして、これは何を意味するのだろうか。
社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授は、著書『スカートの下の劇場』(1989年)のなかでつぎのように書いている。
「女がパンティを選ぶ時の基準は、二つあるように思える――一つは言わずもがなのセックス・アピール。もう一つはナルシシズムである。別な言葉で言いかえれば、それが男にどう見えるか、ということと、それが自分自身にどう見えるか、ということである。そしてこの二つはしばしば一致しない。(中略)私はボディ・イメージの研究を通じて、男が女のボディに思い描くファンタジーと、女が自分自身のボディに持つナルシスティックなイメージとの間には、大きな落差があることをますます確信するようになった。そして通常男たちは、この女の王国の存在に気づかない」
どうやら、スカートめくりのシーンが表現していたのは、男どものスケベな視線など歯牙にもかけず、みずからを一瞬の快感に委ねたマリリンのナルシシズムの王国の光景だったらしい。その無邪気で孤独なイメージが世界遺産級の場面としたのだろう。こうした観点に立つとき、そこにあえて性の倫理観を持ち込んだMPAAや、さらには激情に駆られて離婚に走った夫君のほうが、女のからだにずっと陰湿な感覚を持っていたのかもしれない。さらに敷衍するなら、かつて小学生たちのラチもないスカートめくりにまで、血相変えて目くじらを立てた教師やPTAもまた……(決して自己弁護するつもりはありません、念のため)。