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【レポート稽古場②】『夜ヒカル鶴の仮面』by 斎藤明仁

2021.10.26 10:27

稽古場からのレポートです。

2021年10月に京都芸術大学にて上演される川口智子演出『夜ヒカル鶴の仮面』。お稽古第2週のうちの二日間を見学させていただいた。これはそのお稽古を演劇素人の筆者からの目線で書き記したものである。

見学三日目。お稽古場に入ってまず目にしたのは、スーツケースからあぶれた小道具の数々だった。電話(いわゆる黒電話のような)、鍋、コップ、服、鶴の仮面に犬の仮面など、『夜ヒカル』に登場する小道具たちの多くが並んでいる。その中には、中国や韓国で死者の弔いに使われるという紙銭や南無阿弥陀仏と書かれたマッチ箱大の音楽の鳴るおもちゃ(?)など、日本では見慣れないものもあった。また、仮面も能面やお祭りの屋台で売られているようなものを想像していたが、実際にそこにあったのはそれらとは違ったかたちをしていた。

役者四人は先週見学したときと同様に、輪になって踊りながら読み合わせをしていた。ところが今日はそのバリュエーションの中に、踊りではなく大縄跳びが追加されている。二人が縄を回し、一人が跳び、一人が跳んだ回数を声に出して数えて、十回跳んでは交代するという一連の流れを繰り返していた。同時に考えなければならないことが増えているにも関わらず、科白を身体で覚えるというその取り組みはどうやら日課になっていたようで、以前より言葉が流れるように口をついて出てくる印象があった。余談だが、役者四人はお稽古の合間、各自がストレッチなどをしている際にも、まるでそれが当たり前のように科白を読むともなく口ずさんでいた。

「デタラメ語翻訳」は今日もかたちを変えて行われた。中西が通訳を、滝本・武者・山田は二人と一人に分かれる。二人組は事前に話すテーマをお互いだけが分かるように決める。通訳はそれを如何に残りの一人に正確に伝えられるかが求められている。今回は通訳以外の全員がデタラメ語で話す。デタラメ語A⇔通訳(日本語)⇔デタラメ語Bというような具合である。川口からはジェスチャーになるべく頼らないようにとの条件が出された。一回目が終わり、中西は「お見合い」がテーマだと予想した。果たして、事前に武者と山田が決めていたのは「マッチングアプリ」だった。見事に予想は的中した。滝本・武者対山田に分かれた二回目、中西は二人組のテーマが「観光」であると思ったと云い、これも概ね当たっていた。つまり、中西は言語以外の情報だけを用いて本当に通訳を成し遂げたのである。もしかすると、「デタラメ語翻訳」は今日が最後かもしれない。

休憩後、遂に立ち稽古に入る。この日ははじめの「音楽」が挿入される前の部分までをつくる。舞台には七つの仮面が並んで、姉/妹が横たわっている。役者は皆それぞれ舞台の端に座って、彼女をじっとみつめている。これから演じられるのは、ト書きには存在しない部分――

見学四日目。お稽古場に入ると、役者四人は小さく輪になって座り、科白の読み合わせをしていた。北川も見学に来ていたので、川口とともに上演に使う映像の打ち合わせをしていると、「29分!」との喜びの声が上がる。役者がしていたのは、科白読みのタイムトライアルだったようだ。先週、川口が30分以下に縮めたいと話していたが、その目標を達成したのだった。気づけばもう途中でつまづくことはほとんどないし、科白を忘れて台本を手にするということもなくなっていた。

その後の立ち稽古はまず、映像と関係する場面を抜粋してつくっていった。仮設のスクリーンには北川が編集した映像が流れる。今年の夏にアジアのアーティストたちに行われた、葬式と結婚式がテーマのインタヴューの記録映像だった。その中には、新型コロナウイルスの蔓延以降どのように儀式が変わってしまったのかということについての話もある。『夜ヒカル』のテクストに散りばめられた謎に迷い込んでしまうために時折忘れかけてしまうが、本作品は間違いなく弔いの演劇である。儀式の仕方を忘れてしまっても、死者に対して何らかの感情を手向けることはできるのではないだろうか。また、仮面が舞台でどのように機能するのかも目にすることができた。なるほど仮面はこのかたちだからこそ、本来の使い方に留まらない新たな役割を与えられており、それが非常に印象的だった。

川口は役者に「その日好きだと思った動物になって演じてほしい」と云った。それは例えば、ゴリラである隣人や猫である通訳―姉―鶴といった具合である。人間ではないから見方は全く異なってくるし、それぞれの動物なりの方法で舞台上の出来事を把握する必要がある。舞台は徐々にカオスになっていく。お稽古中、川口は「ばかばかしくていい」「カオスでいい」と度々口にしていた。

この日の最後は通し稽古だった。まだ完成しきっていない場面もあるし、そもそも上演は毎回必ず違ったものになる。いったいどこまでが本番の上演と同じになるのかは分からない。その意味で、今回見たものもひとつの「作品」であるのかもしれない。振り返ると、淡々と語る妹、ひとりでにファッションショーを開催する隣人、二匹連れ立って泳ぐ亀など、様々な場面が思い出される。本番まで残り約1週間、その間にどんどん舞台の姿は様変わりしていくであろう。お稽古見学も毎回楽しさを増していく。川口智子演出『夜ヒカル鶴の仮面』は今のところ、シュールでカオスでゆるふわである。

フォーラムの細かい打ち合わせも始まっている。改めて、これほど多くの方々が丹精込めてこのプロジェクトをつくりあげているということが感慨深い。いよいよ京都である。

斎藤明仁(上智大学)