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"Club Jazzとは"Club Jazz Session Battle開催にあたって

2017.04.18 14:18

5/12(金)深夜

The Flamingo vol.3では

コンテンツとして、

"Club Jazz Session Battle"を開催する運びとなりました。

ダンスバトルですが、音楽のジャンルが縛られたバトルは珍しいかなと思います。


参加してくださる皆さん、

観戦してくださる皆さんに

"Club Jazz"という音楽がどんな音楽なのがご紹介したいと思い、

簡単に文章にまとめさせていただきました。


Kyoto Jazz Massive

沖野修也さんが書かれた

「クラブ・ジャズ入門」を参考にして書かせていただいています。


もし、解釈が間違っているところがあったらすみません、ご指摘いただけるとありがたいです。


自分が生まれたのは、1992年で、

アシッドジャズやトーキンラウドができた頃になるんですかね…


実際にパーティーを体験したわけでもありません。


しかし、2000年代、2010年代を生きるジャズダンサーとして、

色んな先輩の方々や、本、レコードの裏に書いてあることなどを繋ぎ合わせて

かつてのイギリスで起こったこのムーブメントに思いを馳せています。



"Club Jazz"とは?

(参考:沖野修也著「クラブ・ジャズ入門」)


1970年代、イギリスのクリス・ヒルやボブ・ジョーンズなどのDJが、ソウルやファンクと並列する形でジャズファンクやフュージョンをディスコでプレイし始めたことが起源にある。

1980年代、その影響を受けたポール・マーフィが、ジャズファンクやフュージョンに加えてハードバップやアフロキューバン、ファンキージャズを「エレクトリック・ボール・ルーム」でプレイするようになる。

これには、黒人ダンサー達が狂喜乱舞した。

やがてポール・マーフィの後継にあたるジャイルス・ピーターソンが「レアグルーヴ・ムーブメント」を巻き起こす。

中古のレコードショップで安く売られていたソウル、ファンク、ジャズファンク、フュージョンに新しい価値を見いだし、ダンスミュージックとして再生。

ジャイルス・ピーターソンはやがて盟友パトリック・フォージと

「トーキンラウド・セイイン・サムシング」というパーティーを始める。

このパーティーは

◎ダンサー向けのジャズセット

◎イギリスのジャズミュージシャン達によるライブセット

◎ジャズの影響を受けたあらゆる音楽を紹介するDJタイム

によって構成されていた。

時代は流れ、1990年代。

ジャイルス・ピーターソンは「アシッドジャズ」というレーベルを立ち上げ(ジェームス・テイラーやブランニューヘヴィーズ、ジャミロクワイらが所属)、

そこから独立して新たなレーベル「トーキンラウド」(インコグニート、ガリアーノ、4ヒーローらが所属)を設立する。

これを機に、この動きは「アシッドジャズ・ムーブメント」としてイギリスだけでなく世界中に広まっていった。

日本のクラブでも、このムーブメントが浸透していく。

それを、日本での先駆けである沖野修也氏が「クラブジャズ・ムーブメント」と名付けた。

クラブジャズの定義を表すのに必要なキーワードは4つ。

◎踊れる

◎発掘

◎リバイバル

◎クロスオーバー

クラブジャズとは、「クラブでDJが使えるジャズ」を包括的に表す言葉である。