楳図かずお 著『半魚人』
外見か内面か
それが問題である
334時限目◎本
堀間ロクなな
母親と幽明境を異にして30年近くの歳月が流れた。いまにして最も感謝することのひとつは、小学生だった時分、とうてい裕福とは言えない生活のなかで内職の収入を割いて、本だけはわたしが欲しがるままに買い与えてくれたことだ。目の前のページに未知の世界が立ち現れ、そのめくるめく情景にわれを忘れていつまでも読み耽ってしまう経験は、もう二度と味わえるはずもなく、あの年代だけの貴重な特権だったろう。それを噛みしめるにつけ、母親の太っ腹ぶりに改めて頭が下がるのである。
ただし、マンガは対象外だった。現在では国をあげて「クール・ジャパン」などともてはやされているのとは裏腹に、当時は教育上、有害無益なものと見なされていたせいだ。そうしたところ、わたしが小学2年か3年の秋だったと記憶している。週末に学校でバザーが開かれたのに母親と出かけると、たまたま『少年マガジン』の古い号が一冊だけ10円で売られていて、このとき初めてマンガ雑誌を買ってもらった。そこに載っていたのが、楳図かずおの『半魚人』(1965年)だ。
計90ページのマンガは、最初のコマに掲げられたつぎの文章からはじまる。「人類にも最後の日がいつかはくる それはいつか? もしかするとすでにじわじわとやってきているのかもしれない」――。
主人公の少年・次郎は、最近、兄の身体に変化が起きているのに気づく。尖った歯で生魚をむさぼったり、皮膚がウロコで被われたり、手のひらには水かきが生じたり。ある夜、ひそかに家を抜け出した兄のあとを追っていくと、いきなり海に飛び込んで泳ぎまわる半魚人と化していた。次郎が親友の健一に相談したところ、生物学の博士である父親の研究室へ連れていかれる。その説明によれば、地球は気温が上昇して海面が上がりつつあり、千年後には水びだしになるため、すでに人間から魚へと変化しようとする現象が世界じゅうで見られるという。いつの間にか半魚人の兄もそこへやってきて、力任せに博士を海に突き落としたのち、囚われの身の健一を水槽に閉じ込め、次郎の面前でその口元やまぶたをナイフで切り裂いて魚の容貌に改造していく……。
この作品は『少年マガジン』に6回にわたって連載されたという。わたしが手にしたのはちょうど後半に入って事態が急転するあたりの回で、次郎の兄の手で顔面手術を施された健一は、いったん失神したあとに目が覚めると、もう次郎のこともわからず、奇怪な面相でひたすら「水、水、水はどこだ?」とさまようのだった。そのおぞましい姿にわたしはおののきながら、ページを閉じては怖いもの見たさでまた開いたりして、いつまでも眠れなかったことを覚えている。それは、わが人生で最も恐怖に襲われた読書体験だった。
子どもだましと言ってしまえばそれまでだが、しかし、ただの子どもだましでは済まないのも確かだろう。この物語のバックグラウンドをなしているのは、今日、人類にとって最大のテーマである地球温暖化の問題だ。二酸化炭素の増加にともなう温室効果の仕組みを解明して、今年のノーベル物理学賞に選ばれた真鍋淑郎博士が最初の論文を発表したのは1967年のこと。つまりこのマンガより2年あとだったと知ると、楳図かずおの先見性に驚かされる。あるいはまた、ひとは母親の胎内にあるとき、魚類から進化した系統発生を繰り返すように魚の形状を呈する一時期があることは周知のとおりだ。2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥博士らが取り組む遺伝子工学には、もし本当に必要とされる場合には、われわれの内なる魚をクローズアップする技術の可能性も開けているのだろう。そう、『半魚人』は絵空事ではないのだ!
ただし、幼い日に自分の心を揺さぶったのはそうした高尚な問題意識ではなかった。早生まれという出生の事情もあるのか、あのころ、わたしは貧弱なからだつきのうえ喘息持ちで学校を休みがちだったから、クラスの女の子たちの体格を見上げては圧倒される日々を送っていた。だからこそ、ひとは見た目じゃない、中身のほうが大事と信じて読書にもいそしんだのだろう。そんなわたしの切なる思いを打ち砕いたのが『半魚人』だった。ひとは外見が変わったら、あっけなく内面も変わってしまう。結局、最後にものを言うのは外見だという恐るべき発見と出くわしたのだ。いまにしてみれば、そのくらいのことは女の子たちはとっくに認識していたのかもしれないが。
マンガのラストで、いまや完全な半魚人となった健一が海に飛び込むと、次郎は崖の上からハーモニカでかれの大好きだった『荒城の月』を吹く。だが、かつての親友はほんの一瞬振り返っただけで泳ぎ去ってしまう。地球の未来に向かって。