『新陰流を修めた藤堂家臣 佐伯権之助惟定』
2018.10.27 15:00
『新陰流を修めた藤堂家臣 佐伯権之助惟定』
藤堂家臣の佐伯権之助家初代・惟定(これさだ)は、新陰流と縁があった様です。惟定は藤堂高虎に仕えて慶長の朝鮮役、大坂両陣に従い、その功により禄は四千五百石に上りましたが、若年の頃、新陰流 正統第二世となった柳生石舟斎の一番弟子といわれる大野松右衛門(後に柳生姓を賜り柳生松右衛門を名乗る)から印可状を与えられています。原本は関東大震災時の火災にて焼失しましたが、明治期に東京帝国大学史料編纂掛史料編纂員だった辻善之助氏(後に、東京帝国大学名誉教授)が、三重県津市の古文書を調査した際に作成された「佐伯惟幸氏所蔵文書一覧」に「柳生松右衛門尉印可状」(天正十九年)が含まれており、同記録は東大史料編纂所に現在も保管されています。
【出典・参考】
『伊賀市史』通史編 第二巻 第三巻
『名張市史』
『津藩分限役付帳』名張市所蔵
『御学館内絵図』伊賀市上野図書館蔵
『藤堂藩の新陰流兵法』村林正美
『荒木保明家譜』鳥取県立博物館蔵
『増補 藤堂高虎家臣辞典附分限帳』佐伯朗
『藤堂高虎と家臣逸集』佐伯朗
【協力・監修】
玄忠寺
荒木又右衛門記念館
伊賀市上野図書館
新陰流兵法 碧燕会