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自己肯定感と自己信頼感

2021.10.29 01:21

私はいつも人と比べる。


比べて、「悔しさ」が胸に広がることが最近多い。

『自分だって!!!!!』


という気持ちになる。



その気持ちとの折り合いをどうつけるかが課題。

そこの感情に囚われ過ぎてしまうと、この先に行けない感じがするからだ。


それについて、先日友達から言われた言葉で鮮明となった。


「あなたはすごいよ。常に人と比べれるって勇気がないとできない。自己肯定感低くないんじゃない?」



私は34歳くらいまで自己肯定感低く生きてきたと思い込んでいた。

こんな私が生きてて申し訳ない。

こんな私と友達になってしまって、あなたに申し訳ない。

(いつでも友達やめていいから)

なんて言葉が頭の中をいつも駆け巡っていた。



だから、「あなたは自己肯定感低くないんじゃない?」と言われた時に、頭が動き出した。

まず、

人と比べることに、「勇気がある」という言葉を当てがっていいのか!という発見。

そして、

上記に述べた頭の中をめぐる言葉達の事象は、自己肯定感の低さから現れることに間違いないということ。


では一体、何が起こっているんだ?




私のパワースポット時間でもある、夜のお風呂の時間。

その時に降りてきた。


『自己信頼感だ。』




私は自己肯定感は低いが、自己信頼感がとても高い。


どう違うかというと、


【低い自己肯定感】

訓練して高めてきた「自己肯定感」だが、

今でも何かが起こると、瞬時に「私が何かしてしまったのか!?」と、

自分がダメ前提で物事を見て受け取ってしまうことがある。

そしてそこに気付き、

「あなたは何も悪くないよ」

「あなた以外の人は、絶対にあなたの存在・人格について否定することは出来ないんだよ(あなたがそれを許してしまわない限り)」

「悲劇のヒロイン劇場を始めてはダメだよ!」

と、思考の修正を何度もかける。

しかし心が弱っていると思考の修正をかける前に、心の「核」の部分にまで侵入させてしまい深手を負うことがある。



【自己信頼感】

「私は絶対、いつか花を咲かせられる!」と信じている。

どんな花を咲かせたいのか、今は花は咲いていないのか?

など細かいことは全然分からないが、

「私は今よりももっと出来るようになる!」と思ってる。

そう思い込みたいのか、「今」を否定しているのか、

色々考えたけど、よく分からない。

ただ、

『自分の心の中に広がっている世界を、まだほんの一部しか表現できていなくて、

いつか全部表現できることが分かっている』

という感覚。

「いつか」とは、今世中なのか、この魂が完成するまでに、なのか分からないが。

出来ると信じているのか、やると決めているのか、それも分からない。






書いていて思ったのが、

「決定されていること」は分かっているんだけど、

細かな部分の「何が?」「どのように?」が全く分からず、

それを追求するために突き動かされて生きているなぁ~と。


疲れるなぁ~。(笑)

もっと気楽にしたいが、心を緩めるとすぐに次への扉を開きたくなる衝動が抑えられない。

この衝動は「ワクワク」だから方向的には間違っていないと確信しているが、

やっぱり疲れる。でも、絶対に気楽に生きていくのも疲れると分かってる。(笑)

つまらないと思う。

「疲れるなぁ~」という言葉が出ている状態が絶好の良い状態、楽しめている状態なのかもしれない。

ずっと休日だと幸せを感じれなくなる。

頑張っているから、たまの休日がとても特別に幸せ。そんな感じ^ ^。



順調かどうかのキーワードは、

『疲れるなぁ~』

なのかもしれない。






あっ、余談だけど、

肉体に入れていない魂はこの感じを羨ましいと思っているらしい。

この感じを味わいたくて、肉体に入る順番待ちをしているんだって。(笑)

信じるか、信じないかは、あなた次第。

でもこの感じが死んでもずっと続くわけではなさそうだから、

肉体があるうちだけ、精一杯頑張ってみようと思える。

死んだら、一旦休息。そこまでなら頑張れそう。

一区切りがないとね。