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永遠のTAO

2018.10.29 07:02

Facebook 五島 秀一さん投稿記事

天の岩戸の構造を科学するとこうなる!タオ(道)の深い意味を探る!

https://ameblo.jp/kokko0803/entry-12703785032.html?fbclid=IwAR0iIUHz1meUUzzy2GI5ARQsnReu3Cd3G-j2zir20YLhfUwA15PyHTwEiYw

【永遠のTAO】by Dr.Shu

テーマ:event

2021年10月31日(日)

永遠のTAO〈アマテラスヒーリング/タオイズム/気の舞スペシャル〉

日程:2021年10月31日(日)

開場:13:00 

開演:13:30

終了:17:00(休憩Q&Aあり)

参加料金:15,000円(第一回・第二回ご参加の方:10,000円)

第一部  アマテラスヒーリング

弘法大師空海は室戸岬の洞窟にこもり、アマテラスは天の岩戸という≪洞窟≫にこもりました。『古事記』を物理的に読み解くと、天の岩戸の場所、その物理的構造、奥行き八メートル、全長三十メートルだと推定できます。 ≪洞窟≫の奥には、米などの食料の貯蔵庫があったに違いありません。スサノオという存在から心の傷を受けたアマテラスは、 自らを癒すため≪洞窟≫にこもりました。ただ≪洞窟≫にこもったのはこれが初めてではないでしょう。アマテラスにとって≪洞窟≫という場所は、日常的にセルフヒーリングを行っていた場所だったと思われます。心の傷を癒すためには≪脳波がα波になる≫必要があります。その脳波がα波になるように合理的に設計されたのが≪洞窟≫という特殊な空間です。天の岩戸の場所と構造がわかれば、現代のヒーリングにおける大きなヒントにもなることでしょう。

参考資料(有料)「アメノウズメのものがたり」

1998年4月17日(13:00~14:00アメノウズメからの交信)

まことの岩戸隠れとは力の強きスサノオが参られぬよう門を固く閉めたる山の城

アメノウズメのものがたり|Dr.Shu 五島秀一|note

海女のウズメと申します

第二部  タオイズム by Dr. Shu

≪洞窟≫という闇の世界で自らをヒーリングし、光の世界に戻り現実を力強く生きる。ここには闇と光、陰と陽のエネルギーの原理、深い哲学が隠されています。まさに陰陽を表す道教のタオとは、天地自然に添って無為自然に生かされているという人生観。Dr. Shuの気の舞、科学的論理、霊的洞察には、このタオ思想が含まれているのではないでしょうか。Dr. Shuが開発した≪歴史波動と天占易学≫の波動とは≪螺旋状的世界観≫を表します。歴史波動が常に陰と陽の間を波打っているのは、陰は霊的・精神的なものに向かうプロセスであり、陽はこの世的・物質的なものへ向かうプロセスです。大宇宙の根源には、精神的・霊的な極限と物質的・現世的な極限の世界があり、時の流れの中で両極端のものが往復という運動を通して、永遠の調和を目指していることを表しています。当日は≪洞窟≫のテーマから始まり、次にDr. Shuによるタオイズムの世界観をお話しいただきます。

第三部  気の舞スペシャル

テーマ:永遠のTAO

気の舞:五島秀一

ピアノ演奏:林 煌純

会場:代官山サロン・ドゥ・コロナ

お申込の方はお名前、ご住所、携帯番号をご記載の上

takashima.toshiko@gmail.com までお願いいたします。

動画販売の録画視聴(視聴期限あり)のご予約をされる方は上記まで同様にお申込みください。

動画のURLのリンクをお送りいたします。お届けは11月末〜12月初め頃の予定となります。


https://www.bs-tvtokyo.co.jp/tao/03.html 【伊那谷】より

長野県・南部、標高3000メートルを越す中央アルプスと南アルプスの二つの山脈の間をゆったりと流れる天竜川。そこに伊那谷と呼ばれる日本でも有数の大きな谷がある。

老子は、自然はあらゆるものを生み出す「万物の母親だ」といくつもの言葉で残している。

英米文学者で詩人の加島祥造は、60歳を超えて、この谷と初めて出会った。

都会に長く暮らしてきた加島は、老子の言葉とTaoの思想に触れ、この谷でその奥深さを実感したという。

老子の思想とは、この谷のように、あらゆるものを受け入れながら、我々が生きる意味を

永遠に問い続けようとする思想ではないのか。

この谷は、加島にとって、老子の言葉を通して感じ取ろうとするタオの原風景であった。

遊園地の、大きな観覧車を想像してくれたまえ。

沢山のスポークが、輪の中心のこしきから出ているがこの中心のこしきは空っぽだ。

・・・・・(中略)・・・・・

粘土をこねくって、ひとつの器(うつわ)をつくるんだが、器は、かならず、中がくられて空(うつろ)になっている。この空(うつろ)の部分があってはじめて、器は役に立つ。

中がつまっていたら、何の役にも立ちやしない。

同じように、どの家にも部屋があって、その部屋は、うつろな空間だ。

もし部屋が空(から)でなくて、ぎっしりつまっていたらまるっきり使いものにならん。

うつろで空(あ)いていること、それが家の有用性なのだ。

これで分かるように私たちは物が役立つとおもうけれどじつは物の内側の、何もない虚(きょ)のスペースこそ、本当に役に立っているのだ。

加島祥造「タオ---老子」より 第11章 「空っぽ」こそ役に立つ

固くて強いものが世の中を支配しているかに見えるがね本当は、いちばん柔らかいものが、

いちばん固いものを打ち砕き、こなごなにするんだよ。

空気や水のするように、タオの働きは、隙のない固いものに滲みこんでゆき、いつしかそれを砕いてしまう。

何んにもしないように見えるがじつに大きな役をしているのだ。

このように、目に見えない静かな働きは何もしないようでいて深く役立っている。

これは、この世ではなかなか人に気づかれないんだが、比べようもなく、尊いものなのだよ。

加島祥造「タオ---老子」より 第43章 人はなかなか気づかない

天と地が生まれて、物に名がついたわけだが、名とは、物の表(うわ)っ面にただ張りつくものだ。美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。美しいものは、汚いものがあるから、美しいと呼ばれるんだ。善悪だってそうさ。善は、悪があるから、善と呼ばれるんだ。

悪が在るおかげで、善が在るってわけさ。同じように、ものが「在る」のも、「無い」があるからこそありうるんでね。

お互いに片一方だけじゃあ、ありえないんだ。

・・・・(中略)・・・・

だから、道(タオ)の働きにつながる人は知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。

ものの中にある自然のリズムに任せて手出しをしない。

すべてのものは生まれでて千変万化して動いてゆくんだからね。

・・・・(後略)・・・・


https://devafatima.com/2020/12/07/tao-the-three-treasures/ 【二度とふたたび古い私ではあり得ない『TAO永遠の大河2』】より

1週間ほど前、急に読みたくなって、中古を購入。(Oshoの講話本のほとんどを湘南藤沢の瞑想ルームに置いているため、東京の自宅には特にお気に入りの数冊しかないのだ)

数年前に再販された新装版ではなく、この素敵な装丁の初版本で読みたかった。

『存在の詩』と同様に、多くの人に衝撃を与え、多くの人の人生を狂わせた一冊。

やはりこの装丁と口絵の写真も、この本に力を与えている。

それにしてもなぜ今このタイミングで、この講話が無性に読みたくなったのか。

少しずつ読み進めていたが、今日やっとそのそれが腑に落ちた。

「888」

どうやら、先日目にしたこの数字の表すところと、それにまつわる出来事についての理解を示してくれているようだ。

一番上等な人間は、〈道TAO〉について聞くと不意にそれと同調しているのを感じる

それは彼にとっては知的な理解じゃない 彼のトータルな実存がひとつの新しい歌に打ち震える 彼が〈真実〉について聞くと 突如として何かが符合する 彼はもう同じ彼ではない

ただ聞いただけで 彼は完全に異質な人間になってしまう 彼がそれを理解するのに

知性を使わなければならないというようなことはない そんなものは一足遅れの理解でしかないだろう

最高のタイプの人間は即座に 何の時間のギャップもなしに理解する

もし彼が〈真実〉を聞けば ただまさにその真実を聞くということだけで 彼は理解してしまっている それを理解するのに 知性を持ち込まなければならないというようなことはない いやそれでは延期してしまうことになるだろう 彼のトータルな実存がそれを理解する

ただ知的な部分だけではない

彼の魂だけではなく 彼のマインドだけではなく 彼の肉体さえも新しい道の震え方をする

新しいダンスが彼の実存に入り込んでいる そして、もう彼は二度と同じ彼ではあり得ない

一度〈真実〉について聞いてしまったら 彼は二度とふたたび古い彼ではあり得ない

ひとつの新しい旅がはじまっている もうどうすることもできない

彼は動いて行くしかない 彼は光について聞いてしまい しかも、彼は闇の中を生きている

もうそれに達しない限り 彼にとっては休息などというものはあるまい

彼は深い不満を抱くだろう ああ、そうだ。もう知らなかった頃の私には戻れない。

そしてそれは、ずっとずっと望んで探していたものだったはずだ。

そしてそれが「今年経験する、魂にとって最も重要な出来事(※)」であるに違いない。

(※すっかり忘れていたのだが、今年の初めにセルフアカシックヴューイングをして、それを観に行ったのだった)

それだけの知覚力を持った人間なら ただ小鳥の歌を聞いただけで 危機を通り抜けるそよ風を聞いただけで 流れる水の音を聞いただけで目覚めることができる それで十分だ

なぜならば、あらゆるところから〈聖なるもの Divine〉は語りかけているのだから――

もし知覚力があれば あなたが何を聞いても あなたは〈聖なるもの〉を聞いたことになる

ほかに何ひとつ存在しはしない あらゆる音は〈彼〉の音だ あらゆるメッセージは〈彼〉のメッセージなのだ どこもかしこも〈彼〉のサインがはいっている

一級品のマインドにとって 道というのは全然道なんかじゃない 彼は何の道もなくあっさりとその寺院にはいって行く そこにいかなる橋の必要もありはしない

実は、冒頭に別の章からの引用をして、それにまつわるエピソードを書きかけていたのだが、どうもしっくりこなくて削除した。

それは過去のことだったからだ。もうすでにそこには私はいない。

川の流れゆくままに、888に導かれるままに。美しい音を聞きに、光の方へ。