毎日新聞CM「聞こえない声」から思うこと
毎日新聞のこちらのCM、ご覧になったことはありますか?
映像の中には、学校での昼食風景。
クラスメイトたちが手作りのお弁当を食べている中、メロンパンだけを食べている生徒。
お弁当を食べているクラスメイトを見つめる姿にみなさんは何を感じますか?
このシーンの設定が中学なのか高校なのかは不明ですが、生徒たちの見た目からしておそらく中学校ではないかと思われます。そして、全国的には珍しい給食のない学校だということもわかります。
このシーンの前には、「子どもの貧困」を取り上げる記事の映像。
このことから、貧困を理由にお弁当を持参できず、菓子パンひとつでお昼を済ませている中学生の存在を表しているシーンであることも想像できます。
これは、CMのための演出だと思いますか?
私たちはそうは思いません。
なぜなら、相模原市にも菓子パンだけでお昼を済ませる生徒や、昼食欠食している生徒が存在していることを知っているから。
このCMでは、ヤングケアラーのことにも触れています。
家族の介護をしていてお弁当を作る時間がない、というのもお弁当を持参できない理由であるかもしれません。
相模原市で実施している選択制デリバリー給食は就学援助の対象です。就学援助を受けている家庭は無償で給食を食べることができますが、事前注文が必要です。また、貧困に限らずその他の理由(ネグレクト等)で昼食を持参することができず支援を必要とする状況であると認められると、デリバリー給食を無償で食べることができます。
「それはよかった」
と思いますか?
その無償の給食を食べている子どもの“聞こえない声”に耳を傾けられていますか?
たとえ菓子パンひとつでも持参できている場合、支援が必要な家庭であると気付かれにくく、支援にたどり着きづらくなるるかもしれません。
中学生の昼食が菓子パンひとつで足りていると思いますか?
このCMで取り上げられているシーンは全て、あなたの身の回りでもきっと起きていることです。
気づいていない、見えていない、聞こえてこないかもしれませんが、だからといって「ない」わけではありません。
もしもこの学校で全員で食べる小学校と同じような給食が実施されていたら、メロンパンを食べている彼は隣の席の子を羨むような目で見ていたでしょうか。
CMは、困っている人たちに周りの人が声をかけて手助けをしているシーンで締めくくられています。
中学校で困っている子どもに、生徒でも教員でもない私たちは直接声をかけることは出来ません。
お弁当を持たせるなどの手助けもできません。
では何ができるのか。
やはり、「知ること」が大切ではないかと思います。
給食の役割を知り、なぜ全員喫食の給食が必要なのか、なぜ温かい給食でなければならないのか、なぜなるべく近くで調理されたものを望むのか。そんなことを多くの皆さんと考えていきたいと思っています。