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Chihiro Sato-Schuhさんの記事を転載

2021.10.31 14:59

【マトリックスは破れた】

この一年半ほど、政府もメディアも筋の通らないことをこれでもかというくらいにやり始めて、それは時が経つごとにますますひどくなっていくようだ。


最初は、分母のない数字ばかりを出して、まるでものすごく危険な病気が流行っているかのように言い出した。普通ならば、どれだけの人口の割合でどれだけの人が病気になっているのか、そのうち軽症者はどれくらいで重症者は何人くらいで、どのような状況なのか、というようなことを言うものだけれど、そういう説明がまるきりないままに、危険だ大変だとばかり言っているのだから、それだけでもう何かがおかしいのはわかる。


多くの人は、その時点でもうテレビを見るのをやめ、新聞の定期購読をキャンセルした。


それから、マスクをしていない人を警察がよってたかって取り押さえたり、デモに集まっている人たちに、放水したりと、ますます筋の通らないことが続いていった。感染が恐ろしくて警察が出動しているのならば、完全防護服でも着てから身体に触らなければならないはずだが、それを何人もの警官が飛びかかって取り押さえていたのだ。その上、寒い季節に群衆に水をかけているのだから、国民の健康のためにやっているのではないことはもうはっきりする。


政府もメディアも、民主主義や表現の自由やらを守ろうとしていないこともこれではっきりした。


さらには、感染を予防するという薬剤で大きな被害が出ているというのに、それを問題にするどころか隠蔽し、あろうことかそれを今度は強制し始めたのだ。ここまで来たら、政府もメディアも医療機関も、人の命さえ考えていないことははっきりする。


そうやってこの1年半ほどの間、私たちの目の前に次々と恐ろしい事実が明かされていったのだ。その度に私たちは大きなショックを経験したけれど、そうやって毎回私たちは真実に開かれていった。


恐ろしい事実が見えてくるたびに、これが今に始まったことではないことにも気がついた。今まで何十年も、私たちはそれに気がついていなかっただけなのだ。政府は民主主義で動いていて、公正な選挙によって選ばれているのだと思っていた。メディアは客観中立の原則で事実を報道していて、表現の自由が守られていると思っていた。だから、メディアも政府も信頼することができると思っていて、ちょっとおかしなことがあっても、それはそんなものなのだと思っていた。


この1年半ほどで、そのすべてが作られた虚像に過ぎなかったことが、次々と目の前に突きつけられていったのだ。私たちはそれまで、マトリックスのようにヴァーチャルな虚像を見せられていたのに過ぎなかったことを。


マトリックス、つまり私たちは、作られた共同幻想の中で生きていた。そこでは、生きるためにお金を稼ぐのが当然の生き方だったし、社会の中で働ける人間になるように、子供は学校へ行って学ぶのが当然だった。そして、組織に従って働く人間になり、税金を払い保険料を払い、選挙に行って政治参加し、そうすることで社会に役に立つ人間として生きることができるのだと思っていた。


ところが、そのすべてが何者かによって操られていたことが、この1年半ほどで徐々に見えていったのだ。政府もメディアも裏で操られていて、民主主義など見せかけのものに過ぎなかった。ある政党を応援することで社会をよくすることができると思っていたけれど、実はどの政党も操られていた。彼らは人々の利益どころか、自由や人権や生命さえも考えていなかったのだ。


そうした事実を一つずつ突きつけられていくのは、大きなショックだった。けれどもそれによって、私たち人間は、本当はもっとずっと大きな可能性に満ちた、すばらしい存在だったということがわかっていったのだ。私たちが貧しく疲れ切っていて、大した生き方ができないでいるのは、私たちは愚かだからではなかった。そういう生き方を押しつけられていたからに過ぎなかったのだ。


毎日8時間も働いて、それでもカツカツの生活しかできないのが現実の世界だなんて、そんなことは作られた幻影に過ぎなかった。実際には、少数の人たちが投機という形で巨額のお金を吸い上げていたから、そういうことになっていただけだったのだ。


人間は愚かで自己中心的な存在だから、皆が平等に豊かになれる社会を作れないのだと思ってきた。でも、それもまた作られた虚像に過ぎなかった。実際には、政治が少数の人間の利益で動かされていて、皆が豊かになるようになど考えられていなかっただけなのだ。


子供たちが学校へ行って何時間も勉強しなければ、ちゃんとした知識や思考を身につけることができないというのも、また作られた虚像に過ぎなかった。学校は本当の思考力をつけるためになど作られてはいなくて、逆に思考力をつぶして、上から言われたことにただ従う人間を作るために子供を訓練する場所だったのだ。実際には、子供たちは自由に学ばせれば、あらゆることを遊びながら楽々身につけてしまう力を持っている。そのための教材だって、本当はすでに十分に存在している。そうしたことがすべて隠され、学校が唯一であるかのような幻影を見せられていたのだ。


私たちは医療システムに頼らなければ、健康を保てないと思ってきたけれど、それもまた作られた幻影に過ぎなかった。それは、製薬会社が巨額の利益を上げるために、皆が医療に依存するようなシステムをこしらえてきただけだったのだ。医療システムは製薬会社に操作されていて、人を健康にするようになど作られていなかった。あれやこれやの病気の不安をあおって、製薬会社の製品を大量に消費するように操作されていたのだ。実際には、私たちには強い免疫システムと自然治癒力があって、自ずと健康を保ち、病気から自力で回復する力を持っている。多くの場合、私たちは医療システムを利用しない方が健康でいられるのだ。


大きなショックと失望とともに、私たちはそうした事実に少しずつ開かれていった。これまで長いこと夢を見せられていたのだと気がついた。それは大きな失望だったけれど、でも、そうとは知らなかった頃に戻りたいとは思わない。あの頃は何も知らないで、現実とはそうしたものだと思っていた。知らなかったから、それで幸せだとも思っていた。だけど、今にして思えば、そんな幸せなどお仕着せの窮屈なものに過ぎなかったことがわかる。


私たちは、作られた共同幻想の中で生きていたのだ。幻想の中で生きるのは、一種の狂気、つまり精神病の状態だ。精神の病は心理障害と違って、認識力自体が狂ってしまう。だから、本人は自分がおかしいとは思っていないのが狂気の状態だ。自分と違う認識を持つ人間の方がおかしいのであって、自分がおかしいとは思っていない。


それが集団で起こっている場合、誰も病気だとは思わない。それが共同幻想というものだ。マトリックスとは、まさにそうした共同幻想のことなのだ。それを、メディアや教育システムを使って、人工的に作っている。同じことを繰り返しすり込むことによって、多くの人はそれを現実だと思い込んでしまう。そして、そのように思わない人の方がおかしいと思い込む。


私たちはそういうことを人間の性だと思っていた。私たち人間は、自分の狭い見解から出ることができないので、つねに争い続けているのだと思っていた。それもまた、作られた共同幻想にすぎなかったのだ。それは現実とは違う作られた認識であり、作られた狂気だった。


この一年半、私たちはそうやって少しずつマトリックスから出ていったのだ。今、世界中で独裁制のようなことになっていて、この上なくひどい状態なのだけれど、でも、ここまで追い詰められなかったら、マトリックスから出て行くことはできず、マトリックスが存在していることさえ気がつかないでいただろう。


幻想から目覚め、自分の認識を取り戻すこと。つまるところ、それ以上の幸福はない。自分の認識を取り戻し、自分の魂を取り戻したとき、すべての喜び、すべての力、すべての愛は自ずと出てくるからだ。


その地点から見ると、マトリックスにとらわれていた頃の私たちは、カサカサに干からびたような存在であったように思える。一度出てしまったら、あそこへ戻ることは2度とないだろう。それは成長と同じで、後退するということはあり得ないからだ。


世界中がこんなひどいことになっているのに、マトリックスから出てしまった人々の顔は不思議と明るい。それを見るたびに、私たちは本当はすばらしい時代に生きているのかもしれないと思う。ともかくも、かつてなかったような大きな転換を、私たちはリアルに体験している。そして、そんなことが起こっているからには、これまで想像もできなかったようなすばらしい時代が待っていることは、もはや確実すぎることだと思う。

↑Chihiro Sato-SchuhさんのFacebookからの転載です。


何度読み直しても、否定できる箇所がない。う〜ん。。