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砕け散ったプライドを拾い集めて

雪虫

2021.11.01 08:21

2005年だったと思うが、フジテレビ系列で倉本聰の原作・脚本で『優しい時間』というドラマがあったが、その第1話のサブタイトルが「雪虫」であった。舞台は富良野で近くを流れる空知川……「石狩平野」を作っている石狩川の最も大きい支流である。
実は 私はその石狩平野の一角で生まれて育った。

随分寒くなったなと思う10月末前後のある日、米粒ほど小さくて青白い綿毛をまとった「雪虫」がそれこそウンカのように突然集団発生する。通学の自転車で速度を上げて走っていると目といわず、鼻といわず飛び込んでくる。服にも点々と綿毛がついている。その狂乱の日が過ぎて、3週間ほどで本当の初雪になる。だから、「雪虫」。子供のころはコレを“雪の妖精”って信じて疑ってなかった。

 「雪虫」の本名は「トドノネオオワタムシ」だという。可憐な少女の名前を聞いたら、「百々目鬼(ドドメキ)です」と元々は妖怪の名を告げられたほどに目を剥く。「雪虫」というメルヘンな愛称と「トドノネオオワタムシ」というこのごつごつした響きの本名とのとんでもない落差よ。
 「トドノネ」は〝トドマツの根〟という意味で、この根から養分を吸って生きているアブラムシの親戚。人々が「雪虫」として見ているのはすべて処女生殖によるメスばかりで、これが雪の降る直前に羽化しわざわざヤチダモの木へと決死の飛行をする。(ヤチダモじゃなきゃならない理由があるのだろうね……)まるで、セレンゲティの大サバンナのヌーの大群がライオンにもめげず、大河のワニにもへこたれず目的地へとひたすら目指すのと同じ衝動に駆られているのだと思う。


ヤチダモにやっと辿り着いたメスはここではじめてメスとオスの子虫を産む。その子虫のオスには生殖器だけはあるが、樹液を吸う口はない。飲まず食わずで、子虫のメスとの生殖を終え1週間で死んで行く。「雪虫」がオスである期間はこれだけで、このオスは“精液の注射器”としてだけの生を受け、そして果てる。子虫メスもヤチダモに卵を産みつけたら同じく死んでいく。
 (この親のメスが直接卵を産みつけてもいいものを、なぜわざわざ子虫のメスオスを産むのか?それで何が担保されるのかが分からない。)
いずれにしろ、色も恋も想いも何にもない。遺伝子を残すためだけにという研ぎ澄まされた機能というかマシーンなのだ。

 この周辺を司馬遼太郎がズバリ!と言及している。

 「昆虫のオスが昆虫の生態のなかで儚い役割でしかないように、人間においても男は多分に女より希薄にしか人生を生きられず、その意味において流れに浮遊していく根無し草というにちかい」

 人類のオスとしては心底身につまされて、深々とうずくまるばかりだ。 ……つまり、さまざまな事を四捨五入して枝葉とかヒラヒラの飾りとかワケわからないセンチメンタリズムなどを全部ゴミ箱にザラザラと捨ててしまえば、われわれ人類のオスもつまりは“精液の注射器”でしかないのだと思えてくる。 蚊のメスは猛々しくヒトの血を吸いに来るが、蚊のオスは露や樹液を吸ってひっそりと生きている。 カマキリのオスはメスとの交尾中に、そのメスに頭部をムシャムシャと食べられて、彼女の栄養になる。20%前後がそうやって果てる。

オスはいずこでも〝注射器〟くらいの機能しかない。その機能がなくなれば、〝メシを食う単なる道具〟に過ぎなくなる。

 今年の北海道の天候は暑かったり寒かったり落ち着かなかったらしい。もう雪虫が飛んだところもそうでないところもあるらしい。 もちろん、「雪虫」はわれわれにイリュージョンとか、ロマンチシズムを与えるために、乱舞しているのではない。だが、〝胸アツ〟な風物詩であることは確かである。

もうすでに、石狩平野でも十勝平野でも根釧原野でも雪虫は気が狂ったように乱舞してしまった後であろう。 「ウエザーニュース」が〝雪虫の大量発生から21日後には初雪が降る〟という調査結果を発表している。
10月20日に雪虫が飛んだところは、11月10日前後には初雪が降る。