大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ-25教義
2017.04.24 11:28
ミラノでのキリスト教公認のときで、教徒数はローマの人口で10%以下のようであり、それほど多くない。コンスタンティヌスはそれ以前より、プラトン的一神教を志向しており、それに明確な形を与えたのがキリスト教であった。天下をとってからは、キリスト教振興策を次々に行い、彼のブレーンに司教も入っていき、皇帝にアドバイスした。
しかし野党から与党に脱皮するのはたいへんなことである。権力の統治の手助けをせねばならないし、民衆に統一的な教義を提示しなければならない。ところがこれまでキリスト教は、説教者によっていろんな考えが入っていた。その最大の問題がイエスと神との関係といっていい。神の受肉という考えはかなり破天荒であり、ユダヤ教でもあとに続くイスラムでも認めない。
しかし端的にいうと、キリスト教とはイエスに従う人たちの宗教である。イエスは、ユダヤ教の食事の決まりや安息日を守ったり、断食や献金をするという外面的慣習的な宗教と真っ向から反対し「愛の宗教」を掲げた。イエスが神ではないなら、ユダヤ教でいいことになる。しかし戒律を守ることを信仰とするのはわかりやすい。現代でもそれを免れているとはいえない。
聖書ではイエス自身「神の子」「神の右の座につく」と言っている。そこで当時大きな勢力となっていたのは、イエスは神の被造物であり、神の性質はもつが、神そのものではないという、アリウス派であった。このまま放置すると、キリスト教が分裂して争いが起きるだろう。コンスタンティヌスは介入することにした。
下はアリウス派の教義を表現したモザイク壁画