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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 小野組の破産を受けての連鎖倒産を逃れる渋沢栄一の機転こそ現在に必要なスキルでは?

2021.11.02 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 小野組の破産を受けての連鎖倒産を逃れる渋沢栄一の機転こそ現在に必要なスキルでは?


 水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」に関して様々な事を書いている。今回は、国立第一銀行最大の危機ともいわれる、「小野組の破綻」について、そこから「論語とそろばん」に結びつく思想の内容が書かれている。ある意味で、戦争などとは異なり、「渋沢栄一の思想」ということがここに書かれることになるので、ドラマとしては表現しにくいところであるがうまく描かれていたのではないか。

 さて、そもそも「小野組」とは、小野家は、初代新四郎則秀が江州高島郡大溝(滋賀県高島市)で、陸羽の物産と上方の物産を交易していたとされている。1662-63年(寛文2-3年)ころ次男の主元が盛岡に下り、近江屋を開業し、村井権兵衛を名乗った。権兵衛は近江商人を頼りに盛岡に入り、志和村で酒造業を始めて成功したと伝えられる。権兵衛の甥である善助は、京都と江戸で「井筒屋」の屋号で開業し小野を名乗るようになる。小野一族は、上方から木綿・古手などの雑貨を運び、奥州から砂鉄・紅花・紫根を上方に送り、物産交易を営み財を成していった。

 1776年(安永5年)幕府の「金銀御為替御用達」となり十人組に加入し、御為替名目金を自己の営業資金に流用し、京都では和糸・生絹・紅花問屋を、江戸では下り油・下り古手・繰綿問屋、盛岡では木綿商・古手商・酒造業を営んでいた。

 生糸取引は古河市兵衛が、為替店は小野善衛門(西村勘八)が統括していたが、1872年(明治5年)、渋沢栄一の仲介によって、三井組と共同で「三井小野組合銀行」(第一国立銀行の前身、現在のみずほ銀行)を設立する。小野組は、1873年(明治6年)には、全国に支店四十余、大阪府の外二十八県と為替契約を結び、三井組を凌駕していたが、1874年(明治7年)になって、政府の為替方に対する方針は担保額の引き上げなどの一方的な金融政策の急変によって、小野組は御用御免を願い出て、資金全部を大蔵省に提出して精算をし、1877年6月処分を完了した。古河市兵衛は、この時小野組と取引があった渋沢栄一の経営による第一銀行に対し、市兵衛は倒産した小野組の資産や資材を提供することで第一銀行の連鎖倒産を防ぎ、渋沢という有力な協力者を得ることに成功することになる。一方この件をきっかけに、三井組は単独経営を志向するが、栄一は小野組の古河市兵衛の誠実な対応にも助けられ、被害を最小限に留め、三井組による銀行経営の独占を退けた。自ら単独の頭取となり、公益に資する民間取引を軸に据えた銀行の路線を確立する。

 このように、武士の戦いから商人、そして金融界の戦いに部隊が変わるが、その中にも人の義理や人のつながりが重要になるというような形になってゆくのである。まさに「論語の世界」がここで出てくるのではないだろうか。

 

 

【青天を衝け】西郷隆盛、まさかの“新聞死”でSNSも驚きの声「ナレーションもなく…」

 俳優の吉沢亮が渋沢栄一役で主演を務めるNHK大河ドラマ『青天を衝け』第33回「論語と算盤」が、きょう31日放送された(※総合での放送は後7:10から)。

 今回、第一国立銀行の大株主、小野組が放漫経営で倒産する。小野組に無担保で多額の貸しつけをしていた第一国立銀行も、連鎖倒産の危機に陥る。さらに、三野村利左衛門(イッセー尾形)率いる三井が、この機に乗じて第一国立銀行を乗っ取ろうとする。銀行を守るため、栄一は、三野村との一世一代の大勝負に出る。

 一方、喜作(高良健吾)は、主要な輸出品である蚕卵紙(さんらんし)を値崩れさせようと、横浜の外国商館が口裏を合わせて買い控えをし始めたことに憤慨していた…という内容だった。

 きょうの放送では、三野村、西郷隆盛(博多華丸)、大久保利通(石丸幹二)と、栄一と関わりがあった3人の“死”が一気に描かれた。三野村は、三井銀行を設立した翌年に亡くなったことがナレーションで報告された。大久保は、岩崎弥太郎(中村芝翫)に弟・岩崎弥之助(忍成修吾)が、慌てながら暗殺されたことを報告する形で、死が伝えられた。

 西郷の死については、栄一が読んでいた新聞で伝えられ、SNSでは「まさかの文字死」「ナレ死ならぬ新聞死」「ナレ死ですらない『西郷死す』」「ナレーションもなく、西郷隆盛死す」など演出に驚きの声が寄せられた。

2021-10-31 ORICON NEWS

https://www.oricon.co.jp/news/2212239/full/

 さて今回の「青天を衝け」は、明治7年の小野組の破綻から、西南戦争の終戦まで、いやそのあとの大久保利通の暗殺まで、一気に3年も進んでしまった。今回の大河ドラマは選挙報道があったので、7時10分から7時55分までであり、まあ、私のように選挙にも関連している人にとっては「選挙の結果の前で気が焦るときの一服の清涼感」ということになっていたのではないか。その意味でも、なんとなく落ち着いてみることができた。

 ドラマであるから仕方がないが、岩崎弥太郎が悪く描かれ、五代友厚が善人に見られる。くせ者の三井、少々抜けている小野組と、キャラクタイーがしっかりと色分けされている。まあ、はっきり言ってしまえば、そう単純なものではないし、ドラマによって、その描き方は全く変わるのであるが、しかし、その内容はやはりドラマ特有の作り方になっている。もちろん、岩崎弥太郎を尊敬している人にとっては、あまり面白くないであろう。しかし、まあ、ドラマとはそのようなものなのである。

 もう一つは。蚕卵紙の焼却である。もちろん、「金を燃やしているようなもの」であり、なかなかやることではないが、しかし、業界を守るため、特に、貿易において産業を守るためにそのようなことをするのは、よくあることだ。当然に、そのことをよくわかっている渋沢は、象徴的に行ったものの、そこまで大々的に行ったわけではない。当然に、そのようなパフォーマンスのみであり、それを多くの時間を割いて行ったのである。このエピソードから大久保利通が頭を下げて渋沢が、政府に近い存在になったというエピソードを書いたものであるが、一方で、ドラマ的には、尾高淳忠との当初の内容である「横浜異人館焼き討ち」という、彼らが攘夷を唱えて活動していた若いころの話につなげ、その伏線を回収するということをやっている。まさに「横浜」「外国人」「焼き討ち」というこの三つの単語で、伏線を回収し、それを渋沢喜平のセリフとして混ぜ込んで、物語をうまくつなげているというのも、なかなか興味深い。ドラマとはまさにこのように「本物からすれば、時期も環境も違うし、本人が本当にそう思ったかどうかもわからない」ということを、このようにつなげて伏線を回収するという話に仕立て上げるのである。この技術は、やはり脚本家と演出家の腕であろう。ドラマとしては半年しかたっていない。その半年の中に何十年もの五百井が凝縮される。渋沢栄一が原点にいつも立ち返って物事を考えているということを、しっかりと印象付ける内容である。

 逆に、ドラマというのは伏線ではない、そして主軸テーマとは関係ない内容をそぎ落とす。ある意味で、「限られた時間でテーマをどのように訴えるか」ということが重要であり、それ以外のことは歴史的な大事件であっても、完全にかっとしてしまう。今回まさに西郷隆盛も大久保利通もナレーションもない死である。西南戦争も、大久保襲撃も当時はかなりのインパクトであろう。しかし、西南戦争に至ってはナレーションもなく新聞の文字で尾張であり、また大久保もセリフの中で終了だ。まあ、木戸孝允に至っては出てきてもいない。幕末を描くのに、近藤勇も榎本武揚も坂本龍馬も木戸孝允も出て来ない、大隈重信はいるのに板垣退助はいない。その中で、西郷も大久保も「脇役」としてその使命を全うした。NHKのドラマ制作が、「かなり思い切った」やり方をするのは、見ていてなかなか面白かったのではないか。

 このようなドラマの作り方もあるのだ。その作り方こそ、多くの人が「テーマに忠実である」という意味で、わかりやすくなっているのではないか。

 さて、これからは伊藤博文や大隈重信などの時代になる。