小さな仕立て屋
日本に出てくる前のロストークが仕立て屋見習のおとうと双子に体中隅々まで測りつくされる話。
【簡単な設定】
日本へ行く:ケルベロスブレイド世界では宇宙から攻めてくる「デウスエクス」の侵略による被害を一極集中させることで守備を固めており、もろもろの事情で侵略を集中させられる場所が日本しかなかったために、対デウスエクスのもっとも苛烈な戦場が日本になっている。
ケルベロス:不死の存在であるデウスエクスを唯一「殺す」力を持っている。ケルベロス自身もグラビティ(超能力のようなもの)による攻撃でなければ外見的なダメージしか負わない。貧弱な引きこもりでもケルベロスなら、たとえ飛んでいるヘリからノンワイヤーバンジーしても死にません。
ロストークはケルベロスとして日本へ赴くため、戦闘訓練を積んでいます。
(ロストーク22歳・双子8歳頃)
くい、と後ろから手を引かれて、ロストークは動きを止めた。背後にいるのは、急に振り向いたらその勢いで飛んでいきかねない小さなおとうとだ。
「どうしたんだい、ユーラ」
「……こっち」
ロストークがユーラと呼んだのは、普段はおとなしく気弱に見える、ユーリィのことだ。同じ年ごろの子供と比べても華奢な体躯に、プラチナブロンドのくせっ毛が右目を隠すように伸ばされて、ともすれば女の子にも見えるようなかわいらしい少年である。いつもならロストークが鍛錬しているところをじっと見つめているばかりのおとうとが、静かながらしっかりとあにを捕まえて顔をうかがっていた。かわいいおとうとの珍しい誘いにロストークが否を唱えるはずもなく、彼は裾を引かれるままにユーリィについていった。
ロストークが連れてこられたのは村にある仕立屋、ジェーニャの工房だ。そこにはもう一人、ユーリィの双子で彼のおとうとであるアレクセイが待っていた。
「ローシャおそい!」
ロストークを愛称で呼んで楽しそうに笑う。ユーリィと顔や体のパーツこそそっくり同じだが、瞳にはいたずらっ子の光が宿り、ふわふわのプラチナブロンドも活動的に短くさっぱり整えられている。彼は手にメジャーを構え、得意げに仁王立ちしていた。
その隣に座っていた老爺が、ひげを擦りながらニヤリと笑ってティーカップを置く。
「ふん、まあ採寸には悪くない格好だが……下はいただけんな、厚すぎる。それ、脱がせ脱がせ」
「わっ、え? 待って、どういうことだいユーラ、アリョーシャ」
老爺の号令で、ユーリィもアレクセイもいっぺんにロストークへ取り付いてズボンのベルトを外し始める。突然服を剥かれそうになったロストークは焦るが、体格にも力にも圧倒的な差がある小さなおとうとたちを不用意に振り払うことができない。
そうこうしているうちに、ロストークはもたもたとズボンとブーツを脱がされ、修行用の袖なしインナーと下着だけの姿にされてしまった。寒いかと思えばそんなことはなく、室内は鳥肌を立てなくてもいい程度に温められている。上がれ、と導かれたロストークは一角隔離された毛足の短い絨毯の上へ通された。
「何が始まっているんだい、ジェーニャおじさん」
「ちびどもの修行だ、黙って言うことを聞いておれ」
ごわごわしてる、布厚い、と脱がせたズボンをたたみベルトを巻きとりながら感想を述べる双子を見やりつつ、ジェーニャと呼ばれた仕立屋はロストークに熱い濡れタオルを放り投げた。
「汗臭い。わしの店であと五〇秒そのむさくるしい臭いでいるならたたき出すぞ若造」
「鍛錬終わってすぐ来たのだから、仕方ないだろう?」
脱がされて驚きはしているものの、特に恥じらうでもなくロストークはもらったタオルで汗を拭う。理不尽に腹を立てるでもなく、てきぱきと体を拭いていくのを、仕立屋は腕を組んでしげしげと眺めた。
「もういい加減体が出来上がったようだの」
「ずいぶん伸びたものだと思うよ、自分でも」
「肉付きも安定して来たろう」
「飛ぶことも考えたらこれくらいがちょうどいいかな。これ以上の筋肉はつけないつもりだよ」
ロストークの返事に満足そうな顔をしたジェーニャが、畳んだ服をわきに積んでいた双子へ声をかける。
「聞いたか」
「ばっちり!」
「……がんばる」
あずかり知らぬところでいろいろと決定されていっているロストークは、おとうとたちが楽しそうなのを見て、好きにさせようと身を任せることにした。
老爺が顎をしゃくるのに従って、双子がロストークを部屋の隅へ引っ張っていく。促されるままに身長計に乗せられ、ユーリィが引きずりだした椅子に乗ったアレクセイが背伸びしてロストークの身長を読み上げた。
「一八九センチ!」
「じゃあ、着丈は一六〇くらい?」
「ほー、伸びたもんだ。初めて採寸したときはユーラよりチビだったぞ」
「そりゃあそうだよ、僕がここに来たのはユーラたちのときよりも幼いころだもの。子供の一年は大きいんだから」
背中を押されて身長計から降ろされると、アレクセイが首にかけていたメジャーを手に取って、ロストークを見上げる。双子たちは、彼の胸下までしかない身長で小さくぴょこぴょこと跳ねた。要求を察して、ロストークは片膝をつく。
「両膝ついてやれ。ついでに背筋伸ばしてまっすぐ前見ろ」
仕立屋がプロの声で言うのに、すんなりとしたがってロストークが両膝をついた。測れるところは全部測ろうとばかりに、手始め首の径を測ろうと双子が額をくっつけて話し合う。いざ採寸となると、アレクセイが持っていたメジャーをユーリィに押し付けた。
「むり?」
「ちがう、おれはもうできるからユーラが練習するの!」
「わかった」
むきになって小さく叫んだアレクセイへ、ユーリィは淡々と返事をした。
するりと指先にメジャーを滑らせて、ロストークの首へ巻き付ける。
「くるしくない?」
「平気だよ」
アレクセイが拗ねたようにロストークの片腕にしがみつくが、その程度では彼は小ゆるぎもしなかった。ゆらゆらと指先を動かしていざない、アレクセイが機嫌を直すまで、と手を握ってやる。 ユーリィはさっさと首の採寸を終えて、まじまじとロストークの喉仏を観察している。興味本位でボタンのごとく喉仏を押してロストークをむせさせ、静かにうろたえながら頼もしいあにの弱点を心に留めた。襟の高い服にするか、ふわふわのタイでもつけてやらねば。
「げほっ……そこは、僕の弱点というか、みんな弱いから……急所だから……」
「アリョーシャ。遊んどらんで、メジャーを持たないなら結果を書き出さんか。ローシャも、あまり甘やかしてやるな」
アレクセイがロストークの腕からもぎ取られ、唇を尖らせながら渡された紙にペンでユーリィが口にした数字を書き込んでいく。
「子供のうちに甘やかさないで、あとから誰が甘やかしてくれるっていうんだい?」
「こいつらは子供だが、今は職人の弟子だ。やるべきことができなけりゃ、あとで困るのはチビどもだろうが」
温和ながら真剣なやり取りへ、一等真剣な声が割って入った。
「ローシャ、脇。開けて」
絶妙の力加減で、びん、と手の中で紙製のメジャーを張ったユーリィが、今度は腕の採寸にかかろうとしている。武器を取りまわすロストークの腕は、うまく服を仕立てなければ見た目と機能の両立が難しい。現に彼は、既製品を選ぶときは伸縮性のある生地か、機能を優先させた結果として体に合わないサイズの服を着ている。仕立屋やその弟子たちから見れば、やや腹に据えかねるところもある状態だ。
ロストークが素直に腕を差し出せば、くるりと巻き付いたメジャーが二の腕、肘下の筋肉が張った個所を測り取り、手首の太さまでが記録された。
数字を読み上げたユーリィが、これまでさんざん練習台にされてきた仕立屋をじっと見あげてつぶやく。
「ふとい」
「誰と比べとるんだ、誰と。わしにこんな筋肉は必要ないからいいんじゃ」
「おれたちもおっきくなったらこんな風になるのかな」
順に紙へ書き込みながら、アレクセイが憧れの目でロストークを見た。
「お勉強ばかりじゃなくて、外へ出て運動すれば、たぶんね」
「ならんくていいぞ、かさばるからな」
「あっ、ひどいなジェーニャおじさん」
ロストークは際立って背が高く、身長に応じた筋肉をまとって大柄だ。堂々としながらもスマートな立ち振る舞いと、気を抜いたときの柔和な仕草で、それほど見る人に圧迫感を与えることはない。が、幅をとる体なのは事実だった。
「かさばるじゃなくて、頼もしいと言ってくれないかい?」
くすくす笑いながら注文を付けて、ロストークはユーリィがたたいた腕を持ち上げ、ぐぐぐと力こぶを作る。目を輝かせた双子が改めて腕の径を測って、仕立屋はため息をついた。
帽子でも作るつもりなのか頭の径も測り、腕が回らないと騒ぎながら二人がかりで胸囲が測られる。
「あとはウエスト!」
「ヒップと、股下」
「これだけ念入りに測ったなら腿と脹脛と足のサイズも見ておけ」
「わかった!」
ロストークの体は男性として理想形の一つと言える程度に整っている。とびぬけた身長に対して顔は小さく、高い頭身にバランスよくつけられた筋肉。腰はくびれないが、肩幅と胸の厚さに対してしっかりと締まって、安定感のある逆三角形を作り出している。正面から見れば腰幅とそう変わりない尻も横から見れば厚く、バレエダンサーにも似た筋肉の盛り上がりは、腿裏との境界線もはっきりとして若々しい。腰の位置は高く、重心を引き上げた姿勢と歩き方が足の長さを強調する。すらりと伸びた脚も重い体を支えて動き回るために鍛えられ、腿に浮かび上がる筋肉のおうとつにも張りがあった。
きゃいきゃいと楽しそうに採寸する弟子たちと、くすぐったそうにおとなしくしているロストークを眺めていた仕立屋は苦笑いする。
「弟子ども、そいつは少なくともこの店の客の中では規格外だからな。ほかの客に失礼なことをぬかすなよ」
「はーい」
魅せるために整えた美しい体を持つ者なら、いくらでもいる。男性モデルを見繕えば、ロストークよりも美しい顔と体の持ち主など数えるのもばからしいだろう。
ロストークも、モデルたちと目的は違えど、外見を作っている。持って生まれた容姿に合わせ、なおかつ自らに課した役割を果たすための実用性を持ち、他者には役割を受け持つのにふさわしいという印象を与えるための作戦として。
彼の狙い通りに体は完成目前、挙措も外見と持てる技量を活かして、しっくりとなじんだ。荒事においても品を失わず、しかし優美すぎない動きは身に染み付いている。
「ローシャはおれたちがかっこよくしてやるんだ」
「ローシャは、ほっとくとださい」
「顔も体もかっこいいのによれよれのランニングシャツと擦り切れかけのズボンじゃ台無しだもんな!」
採寸を終えた双子たちは、紙に書きだした採寸結果をまとめながら好き勝手にはしゃぐ。
「わかっとるじゃないか」
ぼそり、と仕立屋がつぶやいた。ユーリィが首にかけていたメジャーをついと取り上げて、ロストークに静止を命じる。
「仕立屋の仕事は、着る人間の持つ魅力を引き出すことだ」
くるり、しゅるりと、もたつきながら双子が測ったところをたどるようにするするとメジャーが走った。熟練の人形師に扱われる人形のように、ロストークは仕立屋の手に従って測りやすいよう身じろぐ。騒いでいた仕立屋の見習いたちも、いつしか黙り込んで師匠のメジャーさばきを凝視していた。
「裸で突っ立って八〇点の人間を一〇〇点、それ以上にするのがわしらの仕事だ」
一気に必要な点をすべて計測してから、仕立屋は紙に数字を書き出していく。
「自覚的な客が目指す姿に近づけるのも仕事のうち、客自身が気付いとらん要素を引きずり出すのも仕事のうち」
書き出した紙をひらりと机に放って、仕立屋は自分の目線よりも高い位置にあるロストークの顎を指先でつまんだ。
「お前も見目に気を使うなら半端なことをするな、若造。日本はしゃれ者が多いぞ」
さらりと指を離し、弟子たちに向き直った仕立屋は彼らの書いた紙を見せろと要求した。差し出された数字を見てまあよかろうと鼻で息をつく。ロストークは仕立屋の言葉にぱちりと目を瞬いて、それからへにゃり、眉を下げて笑った。
「言いに来なくてごめんね、ジェーニャおじさん。まだ先だと思って」
「フン。おかげさまでお前がどれだけ服を軽く見ているか分かったわ」
「ローシャ、ジェーニャの服はだいじに、してる」
「そうだぞ! ちゃんとホコリ取りのブラシかけるしクローゼットに風も通してるぞ!」
「そういう話じゃない」
日本へ渡ることを本人の口からではなく、弟子たちから聞いていた老仕立屋はわざとらしくへそを曲げて見せた。数か月先のこととはいえ、この狭い村で大事なことが本人の口から聞けないというのは、老人の気には食わなかったようだ。まして、ほんの子供のころから見守ってふさわしい服を作ってやってきた、孫のような青年が戦地へ赴くというのに。
「わしが散々服に気を使えるようでなければ紳士にはなれんと言い聞かせてきたのは無駄じゃったな」
「そんなことは」
「お前はそのヨレヨレの服で最前線に立つつもりか」
「だって汚れるし、ボロボロになるじゃないか」
「汚れる、傷むで最初からみすぼらしい服を着るならいっそ潔く裸で行け。着ているほうがみっともないわ」
暴論を投げつけて、老仕立屋はため息をついた。
「お前が戦うことを前提に考えていることなど知っとる。知っとるのだから、傷むことなど承知の上で作っとるのがわからんか」
撫でつけていた白髪頭をがりがりとひっかいて、仕立屋がロストークをにらむ。
「こいつらもそうだ。まず動きやすい服の作り方を教えろと、そう言ってきた。次が裂けたら致命的にみっともないところの補強の仕方だ」
修行でほつれた服を双子が直してくれるようになったと思えば、数日後には継ぎあての仕方が変わっていたことを、長兄は思い出した。傷んだところばかりではなく、何ともなっていないところにも新しく布がつけられていたりして、針使いの練習かなとのんきにほほえましく思っていたことを反省させられる。
「格好つけるなら隙なくきめて出ろ。そのうえで戦って傷んだ服をみっともないとは言わん、文句をつけたりせん」
「ローシャ、あのね」
「おれたち、ローシャが戦うときの服作りたいんだ」
「かっこ、よくて、ローシャに似合う、戦える服」
先ほどむしりとったズボンとベルトを返しながら、双子がぽつぽつと訴えた。
「やさしいローシャがすき」
「でも戦ってるかっこいいローシャも大好きだから」
「かっこよくできるのにしないなんて、てぬき、やだ」
連撃に耐えかねて、ロストークがくしゃりと顔をゆがめた。改めて強く愛されていることを知らされて、震えと一緒にあふれ出るのは泣きそうな笑顔だ。
大きく腕を広げて、双子を胸に抱え込む。
「わかった。僕、かっこよくいられるように頑張るから。とびっきりの服、お願いするよ」
「作ったら大事に着ろよな!」
「クローゼットにしまい込んだら、おこるからね」
「もちろん!」
双子をぎゅうと抱きしめて、仕立屋にもハグをして、ロストークはしわくちゃの職人の手を握った。
「ありがとう、ジェーニャ。日本に行ってからも、できるだけ適当な恰好しないように頑張るから」
「子供に弱いのは知ってたが腹立つぐらい改心が早いな。覚えとれ」
憎まれ口を返しながら力強く握手を返して、仕立屋はにやりと笑った。
日本にわたって数か月。遠い故郷から届いた小包を開けたロストークは、仕立屋の仕返しなのかおとうとたちのシュミなのかと、自分にぴったりのサイズの婦人服を手に一晩悩むことになった。