大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ26-公会議
2017.04.25 07:57
キリスト教の歴史における最初の公会議「ニカイア公会議」は、325年5月20日から1カ月間、現トルコのニカイアで行われた。参加者は250人で、ほぼ東方からの司教だったという。結論からいえば、この会議は、神とイエスが同じであるというアタナシウス派が教義とされ、アリウス派は異端とされた。コンスタンティヌスは、司教達の通行を提供し、自ら哲学者も交えた顧問団を連れて参加した。
ここでキリスト教として初めてのマニフェストである「ニカイア信条」が決定され、その後付けくわえられて今日まで教徒達はこれを唱えている。コンスタンティヌスは、教義論争にあまり興味はなく、ともかくキリスト教一致に心を配っていたらしい。
会議で結局アリウス派が追放されたことは、彼を失望させるもので、その後も彼はアリウス派を復帰させようとした。が、新たに正当派とされた方はそれを受け入れず、その頑固さに実は皇帝は腹をたてて、正当派のほうを追放したこともあり、この問題での決着は、その後も尾をひくこととなった。
神とイエスは同体というのはある意味玉虫色決着で、神のほうは絶対的・審判的性格があり、イエスのほうは反権力的・救済的性格がある。この2面を持っているということが、キリスト教が権力的にも民衆的にも使えるオールマイティな特徴をもたせ、時代や立場によってどちらかが強調されて、キリスト教が使われることとなった。
下はニカイア公会議。中央はコンスタンティヌス、寝ころんでるのはアリウス