Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

関西女子とぴ

大阪でも活動するグラドル「新井ゆうこ」妹・有村架純、家族、自分自身の夢を語る!

2015.06.19 04:16

「大阪で映画『ビリギャル』の試写会が行われた際、
母と2人で妹に会いに行ったんです」と語るのは、新井ゆうこ(24)。
グラビアアイドルとして活動中の彼女が
今、注目を集めている。きっかけは、
5月20日に夕刊紙で彼女が“有村架純(22)の姉”と報じられたこと。
新井は、時の人となった。そんな有村の姉であることを
伏せてきた彼女が、重い口を開く。


「記者の方に声をかけられたときはパニックになって、
これからどうなってしまうのか不安でした。
でも妹は自分も精いっぱいのはずなのに何度も連絡をくれて
『お姉ちゃんには“自分は自分”というものがあるから大丈夫』と励ましてくれた。
すごく嬉しかったし、気持ちも楽になった。
そのとき『お互いやるべきことをやっていこう』と誓ったんです」



 強い絆で結ばれた姉妹は、これまでも手を取り合って
乗り越えてきた。実は、新井が中学生のとき両親は離婚。
シングルマザーとして奮闘する母を助けるため、
彼女はバイトを始めた。有村も高校時代に週6で
掛け持ちしていたことを、かつて本誌は報じている。



「母は毎日、朝から夜まで働いていました。
そんな姿を見ているうちに、私も頑張らなければと思いました。
学校に通いながらパン屋さんやモデルのアルバイトで
週5日ほど働いていました。妹も高校に入ると、
バイトを掛け持ちしていました」



 そんな可愛い妹も、姉の後を追うように芸能界入り。
高校2年で有村は家族と離れ、単身東京へと向かった。
だが、それは自分の影響ではないという。



「妹は、私の後を追ってきたわけではありません。
高校入学のころになって突然、『女優になる!』と言い出したんです。
最初はびっくりしました。でも本当にオーディションを受けるというので、
私と母が応募写真を撮ってあげました」



 姉妹が大阪と東京で夢に向けて奮闘する日々。
だが、有村が13年に『あまちゃん』でブレイクを果たしていたころ、
新井は引退を考えるほど自信をなくしていたのだという。



「このころは大阪での撮影モデルが中心で、
東京の仕事も減っていて……。私は自信を無くしかけていました。
母も心配して『他の仕事も考えてみたら?』と言ってくるように。
それは“芸能の仕事をやるなら中途半端ではダメ”という
叱咤激励だったのだと思います」



 そんななか、新井に転機が訪れる。
昨年TSUTAYAプリンセス・グランプリに輝いたのだ。
自分の道を信じてこつこつ積み上げた努力が、実った瞬間だった。



「私は16歳から大阪で撮影会や小さな
広告モデルなどをやってきました。
当時から支えてくれるファンもいるし、
東京でもファンが少しずつ広がってきたんです。
地道にやってきたことが結果につながったと思うと、
すごく嬉しかったですね」



 妹の有村は『あまちゃん』以降も映画『ビリギャル』など
ヒットを連発している。人気女優となった妹を、
彼女はどう見ていたのだろうか。



「嬉しいですね。私と妹とは仕事のジャンルが違うので、
互いに“私は私”と思ってやってきた。
だから妹がブレイクしても、あえて“有村架純の姉”と
言うこともないと思って公表しなかったんです。
これからもグラビアや雑誌の仕事はずっとやっていきたいし、
女優業もオファーがあれば挑戦したい。
実は、母親の夢が“姉妹共演”なんです。
だからこれからも自分のできることを精一杯やって、
いつか母の夢を叶えてあげたいと思います」

引用「女性自身
【↓クリック協力お願いします↓】


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 

下のURLをクリックするだけで
ブログのランキング投票になります★ 
ぜひご協力宜しくお願いしますっ(*^^)v
http://blog.with2.net/link.php?1728269