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輝凛(きりん)の独り言

人との関わり合い

2017.04.26 12:36

現在、カウンセラースクールに通っているのですが、ブログ更新もしないまま時間は過ぎ、それでも通学はしていたので(当たり前ですが)、あっという間に残りあと1回、その前に確認テストを控えているという状態になりました…!


カウンセラースクールでは、カウンセリングの技法もそうですけど、最低限の心理学を勉強する必要も当然あるので、様々なアプローチの心理学の概要を教えて頂きました。


その中で、私が自分の内面を見て行く、つまりは問題解決をするために、自分の考え方の「クセ」だったりに気づくのに、有効なのではないかと感じたのが「交流分析」と「インナーチャイルド(アダルトチルドレン)」について、です。

そしてその解決方法として私が向いていそうなのは、ゲシュタルト療法と、認知行動療法ではないか、というところまで来ました。


そして今回。そのテスト勉強も兼ねて、私が問題解決のために役立ちそうだと感じている「交流分析」について、ブログにまとめてみよう!と。


自分の考え方の「クセ」、その無意識に取り込んで考えていることが行動の背景になっていることがとても多いんですよね。


そしてその結果、困ったことが起きたりすると、

「なぜ、私はこんななのか」

と思う人も多いのではないか、と…。


でも、交流分析の内容がとても多いため、記事は分割するつもりです。

心理学の素人が書いたもので、勉強ついでなので、どなた様も「参考程度」に軽い気持ちで読んでいただきつつ、もし、何かのお役に立てたら幸いです。


人は誰かと関わりながら生きている


とっても当たり前ことかもしれないけど、忘れがちでもあるかもしれないこと。

それは「人間は一人では生きていけない」ということです。

それは誰かに面倒を見てもらわないとダメという意味ではなく、「交流できる相手」が必要でその相手が全くいないと、人は細胞レベルで弱って行くことが分かっているそうです。

交流分析(Transactional Analysis。TAと呼ばれています)は、1950年代にアメリカの精神科医、エリック。バーンが開発したもので、現在も研究が進んでいるものです。


TAが目指すところは、以下の4点です。

  1. 自分自身を理解する手がかりとする
  2. 自分が他人とどのように関わっているかに気づく
  3. 自分が今歩んでいる人生がどんなもので、それが一体何によって決められたかに気づく
  4. 自分が今までに無意識にやってきた行動、考え方、感じ方のもとになっている要因に気づく

どうでしょう?

何となく「私って何でいつもこうなんだろう」「何で私、こんななの?」と、自分が見えてきそうな、言い方は悪いですが、何となく占いの自己分析のようなものに近しいものを感じませんか?


そして。

私たちは日常生活の中で、よい関わりや生産的な関わりもありますが、時には相手とうまくいかなかったり、相手を攻撃したり、逆に自分がダメな人間だと自己嫌悪に落ち込んでしまうことがありますよね。

時には相手を「何だよ!」のように非難する気持ちを持ちながらも、自分も否定してしまうこともあるのではないでしょうか。

このように、人の心は一定ではありません。

そしてこの心は人との交流、関係の中で動いて行きます。

それでもその人にとって「この状態でいることが多い」、つまりはどのような状態になり易いのかは私たちの「基本的な心の状態」に関係があると考えられています。

このことを「心理的ポジション」と呼びます(下図参照)。

ご自分は普段、どのような心理的ポジションにいらっしゃいますか?

また、周囲の人を想い浮かべて「あ、あの人はこれかもな…」と、想像しても面白いかもしれません。

ちなみに私は間違いなく、左上「I am NOT OK , You are OK(自己否定/他者肯定)」にいますね。

そして、たまに「I am OK , You are NOT OK(自己肯定/他者否定)」にいき、ごく稀に、「I am OK , You are OK(自己肯定/他者肯定)」に行けることもあります。

この交流分析は、間違いなく「I am OK , You are OK(自己肯定/他者肯定)」の態度を目指して行きます。


誰だって「存在」を認められたい


先ほど、「人間は一人では生きていけない」「交流できる相手が必要」と書きました。

そう、誰でも人は自分の「存在」を認めて欲しいんです。

他者に対して自分の存在を認めてもらうことが、人間の生きる目的であると言っても過言ではないくらい、人は誰でも自分の「存在」を認めて欲しいんです。


そのような観点から、人間がされて一番傷つく行為、それは「無視」「スルー」です。


先ほど、「交流相手が全くいないと、人は細胞レベルで弱って行くことが分かっている」と書きましたが、育児放棄(ネグレクト)で育った子供は体が小さく発育が遅い傾向があるそうで、もしかしたら「親(他者)との交流が少ないこと」が背景にあるのではないか、と言われているそうです。


LINEでも「既読スルー」に対して「人としてどうなの?」と怒りの感情を露わにする人もいらっしゃいますよね。

きっと怒る方は「相手に自分の存在が無視された」と感じて、寂しくて悲しくて、怒っているのかもしれませんね。


個人的には…。

相手にも事情があるんだろうし…。画面の先の相手の状況までは分からないしねぇ…。
そして、本当に大切な用事だったら電話で口頭で話すか、会いに行けばいいだけなのに、何でLINEだけで解決しようとして、自分の求めるタイミングで構って欲しい願望が叶わないからって、怒っているとしたら…、子供なのかな?

と思っていますが…。

まぁ、怒る気持ちも交流分析の観点を知れば「あ、寂しいから怒っているのね」と捉えることが出来るので「いつも怒るなよ」ではなく「寂しくさせてごめんね」と言えば、きっと、「分かってくれた!」と、相手は喜ぶはずです。

ただ、ウザい相手なら「うるせー!」の一蹴でいいと思います…。全力で嫌われて下さい。

あれ?私、酷い…?
いえ、ウザい相手、別に関わらなくてもいいような相手だったら、交流を続けなくてもいいんじゃないの?そういう相手にまで「嫌われないように」という気持ちでいなくてもいいんじゃないの?と思っているだけなんですけどね…。
あえて自分が疲れてしまうようなことをしなくてもいいように思うんですよ…。


そのような「交流がない、無視された状態が人間には一番つらい」としたら。

ツイッターなどのSNSなら、実は「関わらないで!」という意思表示という「交流」が持てる「ブロック」以上に。

相手は反応しているかもしれないけど、こちらには一切それが届かない「ミュート」の方が…、実態を相手が知った時、相手の精神的には「来る」ものがあるんじゃないか、とさえ感じてしまいますが、どうでしょう(^^;

そういう話は置いておいて。

この相手に対して「存在を認めてもらっている」と感じるには、ただ他者が「存在」するだけではダメですよね?

何かしらの「日常のやりとり」が二者間に存在するからこそ、相手に対して何かしらを与えることで、様々な感情などが生まれて来るわけですから。

この日常のやりとりのことを「ストローク」と言います。

ストロークとは、人が他者に与える認識、注意、反応のことで、肯定的なもの、否定的なものに分類されます。

肯定的なストローク、プラスのストロークの例として、褒める、笑いかけること。

否定的なストローク、マイナスのストロークの例として、叩く、無視することが挙げられます。

具体的なストロークの種類は下図を参照してください。

恐らく、プラスの肯定的なストロークは「条件つき」のものが多いのではないでしょうか。

100点を取ったら褒めてもらえる、など、何かをした見返りとして、プラスの肯定的なストロークがもらえる、というか。

無条件、プラスの(肯定的)ストロークは、赤ちゃんの存在が挙げられるのではないでしょうか。

お母さんの腕に抱かれて、泣いても笑っても許されて、とにかく周りがニコニコしていて、ただそこにいるだけで、周囲が「可愛いわねぇ」と言ってくれたり。

そして、無条件、マイナスの(否定的)ストロークは人格否定、「生理的に無理」などもあるかと思うんですよね。ただ、この人格否定以上に、何の反応もしないという反応、「無視」は他者にとっては一番のダメージと言われています。

ただ、私たちは日常のやり取りの中で、1つのストロークを受け取っているとは限らないんですよね。


たとえば。

友達の誕生日にプレゼントを贈ったとします。


【A】友達は笑顔で「ありがとう!」と声を弾ませて受け取ってくれました。

【B】友達はいつもと変わらない表情で「ありがとう」と平坦な声で言い、プレゼントをテーブルの上に置いたまま、スマートフォンの画面を見始めました。


友達の反応が【A】だった時と、【B】だった時とで、自分がもらったストロークで何が一番大きいでしょうか。

友達に「ありがとう」という、言語的(言葉)の、肯定的ストロークをもらったことに変わりはありませんよね。

でも、それ以外の非言語的(態度)のストロークの影響がかなり大きいのではないでしょうか。

このように、日常のやり取りの中で得られるストロークによって、他者との関係性や、自分の心理的ポジションが変わってくるのです。


心の貯金箱

人は他者との交流なしに生きて行くことは出来ません。

そしてその他者との交流の証が「ストローク」だとします。

人はストロークを満たしたいという欲求があるため、ストロークをいっぱいにしようと生活をします。

肯定的なストロークでいっぱいに出来ればいいのですが、それが出来ない場合、否定的なストロークでももらいたいと思うのです。

心の貯金箱のような、ストロークバンクという考え方があり、人は心の中にあるストロークバンクを満たしたい、時間経過などと共にストロークは減って行くので、常にストロークバンクを満たしたいと、人は生活をしていくのです。

たまに、見かけることがあると思うんですよね。

攻撃的な言葉を相手に浴びせて、嫌がらせをしてくるような人。

ああいう人たちは、肯定的なストロークがもらえないため、ストロークバンクがスカスカなんですよ。

それでもストロークバンクを満たしたいので、攻撃的な言葉を相手に浴びせて、相手や周囲から「やめてください!」だとかの反応が欲しい。

相手を攻撃することが目的ではなく、反応を得ること、構ってもらうことが目的なんですよね。

こういう人は最近とっても多いように感じます。

特に日本人は人を褒めることが苦手ですし、真面目で目標意識が高い人も多いため、ちょっとやそっとでは、褒めてもらうということが出来ないですよね…。

頑張ったとしても「上には上がいるんだ」と言われたり…。

そうなると、もう頑張らなくてもストロークがもらえる、否定的ストロークをもらえればいいや、というような態度になっていくことは、ごく自然なことなのかもしれません。


でもまぁ…。
こういう人の心理的背景や行動根拠がそうであろうとしても、そこに流れてしまって実行してしまっていて、相手に迷惑をかけたり、相手を傷つけていることに無自覚になっていて、「だって仕方ないじゃない!」と自分を正当化しているとしたら…。
本当にクソだな、とは思いますよね、はい(バッサリ)。


一番望ましい状態は、自分自身に肯定的なストロークをかけてあげられることです。

ストロークを与えてくれるのは、決して他者だけではないのですから。

他者の反応に左右されず、「よっし、私、頑張れているぞ!偉い!」でもいいんです。

声に出さなくても、そうやって心の中で自分に声をかけてあげる。

それだけでも、人の心は満ちて行くことがあり、それが「自信」に繋がって行くこともありますからね。


値引き(ディスカウント)と謙虚さ

ストロークとやや近いもので、人が他者に与える認識、注意、反応のことではあるのですが、ある人の「価値を値引く」ことを、値引き(ディスカウント)といいます。

たとえば、着ている洋服の価値を値引いたり、その人の能力を値引いたりして、人間関係を悪くすることで、相手だけではなく、自分自身の価値を値引くこともあります。


たとえば。

相手がいろいろ褒めてくれていたり、厚遇してくれているのに、「私なんてそんな価値はない」と、自分自身の価値を自分だけが低く見ていることも「値引き」になるでしょう。


相手にいろいろ協力し、先方から「本当にありがとうございます、助かりました!」と言われたのに「そんな、大したことではないですから」と、相手の「ありがとう」を否定してしまうような返事をするのも「値引き」でしょう。


素直に「ありがとうございます!」と答えたり、相手のありがとうには「どういたしまして!」と、相手の言葉を肯定的に受け止めているというストロークを出せばいいのですが、どうしても否定的なストロークを出してしまうことは、日本人には特に多い傾向だと言えるでしょう。


日本人は「謙虚さ」「謙遜」が美徳とされている文化です。


ただ、その「謙虚さ」「謙遜」と「自己卑下」は違うんですよね。


社交辞令として、「いえいえ、そんな大したことないです」と謙遜して言うシーンはあると思うのですが、それを友達との関係など、社交辞令で付き合う必要がない相手にまで出してしまうと「あれ、なんか他人行儀…。冷たい…」と、相手に感じさせてしまう可能性もありますよね。

その場合、どこか自己卑下が入っている可能性があり、その「私なんて大したことしてない。皆の方がちゃんとやっていたし…」という、ネガティブな感情が相手に伝わってしまっている可能性があります。


私のように普段の心理的ポジションが「I am NOT OK , You are OK(自己否定/他者肯定)」にいることが多いと、「大したことないです」が自己卑下として、相手には伝わってしまう可能性は極めて高いようにも思います。


また、日本人に多くある「お節介」。

これも「相手の価値を値引き(ディスカウント)」している状態です。


だってお節介って「あなたには出来ないでしょうから、私が代わりにやってあげます」なんですよね。

いえいえ、相手にも出来るかもしれないし、出来なくてもやりたいかもしれない。

相手の能力や意欲を奪うということは、相手の価値を低く見ているからこそ、出来ることですから。

たとえ、相手がそれが出来なくても「任せる」ということは、相手の立場から見たら「信用されている」という、肯定的なプラスのストロークで受け止められることもあるのです。


他にもディスカウントが使われる例を紹介します。


意外と使ってしまっているように思います。

どのような言葉を相手にかけて、それに対してどのように相手に応えるのか。

お互いの価値観でしたり、環境の違いなど、様々な影響があるので、決して自分が思うような結果になるとは限らないにしても、極力、お互いに肯定的なプラスのストロークを渡し合えるような交流をしていきたいですね。