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さざれ石の巌となりて苔のむすまで

2018.11.04 08:20

https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/32/detail=1/b_id=128/r_id=206/ 【最も貴き愛でたき美しき日】より

天皇陛下は本日で80歳の誕生日を迎えられました。歴代天皇で在位中に80歳となられたのは、昭和天皇に続いて2人目とのことです。

この佳日に全国の神社では天長祭(てんちょうさい)が斎行され、当宮におきましても、

午前10時より斎行されました。(天長祭についてはこちら)

大変寒い中にもかかわりませず、ご参列いただきました関係各位には衷心より厚く御礼申し上げます。

いまさら!?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、国歌の意味はご存じでしょうか???

   「国歌」  

 君が代は  千代に八千代に  さざれ石の   巌となりて  苔のむすまで

君が代の歌詞の原歌は、今から1100年ほど前に編まれた「古今和歌集」に見られ

ます。この和歌を詠んだ人の名前ははっきりとしていませんが、尊敬する「君」の長寿を祈るものであり、思いやりと謙虚さを大切にしてきた日本人の生き方を表しています。

「君」は、天皇陛下を、「君が代」は天皇に象徴される日本国・国民全体を指します。

「さざれ石の巌となりて」とは、小さな石がより集まって大きな岩となる様子を表し、

それに「苔がはえるほど」末永く日本の国が栄えてほしいという願いがこめられて

います。では、ご一緒に。

 君が代は  千代に八千代に  さざれ石の   巌となりて  苔のむすまで

改めて最も貴き愛でたき美しき(いとも とうとき めでたき うるはしき)この日に

国歌(君が代)について考えていただければと思います。謹んで聖寿の万歳と国の弥栄をご祈念申し上げます。祝祭日には戸毎に日の丸を掲げましょう!


https://sunagoya.com/tanka/?p=10470 【君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで】より

古歌「国旗及び国歌に関する法律」(1999年)

〈君が代は/千代に八千代に/さざれ石の/いわおとなりて/こけのむすまで〉と5・7・6・7・7音に切って、一首三十二音。

「君が代」が五七五七七の歌であることを、あなたはいつ知っただろうか。長いあいだ私はちっとも気がつかなかった。四十代後半で短歌と出会い、「古今和歌集」の「巻第七 賀歌」のページをひらいて初めて知った。そこにはこういう歌が記されていた。

わが君は千代に八千代に細れ石のいはほとなりて苔のむすまで 読人しらず 歌番号343

*「千代」に「ちよ」、「八千代」に「やちよ」、「細」に「さざ」、「苔」に「こけ」のルビ

「君が代」とは、初句が違うだけだ。「君が代」って短歌だったのか、と虚をつかれた。むかし小学校で何かの式のときに自分が歌ったあれは、ボクシングの国際試合でリング上のボクサーが歌うあれは、和歌という名の短歌だったのか。昔からそこにあることばが、ふいに五七五七七の姿で立ちあがってくる驚きは、美空ひばりの最後のメッセージが短歌だと知ったときの比ではない。

日本人が国歌を歌うことって、短歌を歌うことだったのか。

だまされた、というのとは少し違う気もするが、実感として一番近いのは、「だまされたような気がする」だ。いまでも多くの人は、少し前の私のように、それが短歌だとは知らずに「君が代」を歌ったり聞いたりしているのだろう。

『日本古典文学全集7 古今和歌集』(小学館)は、歌番号343の一首をこう解釈する。〈わが君のお年は千代、八千代にまで続いていただきたい。一握りの小石が少しずつ大きくなり、大きな岩になり、それに苔が生える時までも〉。解説には、〈『和漢朗詠集』にもとられ、中世には第一句が「君が代は」となり、現行の国歌と同じ形になった〉とある。

国歌としての「君が代」をめぐる社会的な議論は多々あるが、ここでは立ち入らない。それにしても、と思う。国歌の歌詞という、公中の公のことばが書かれたのと同じ形式で詩を書く、五七五七七の詩を書く、とはどういうことか。短歌って、何なのだろう。

さて、「君が代」が短歌だと知ったとき、そうか日本人なら誰でも労せずして短歌を一つ知っていることになるのだな、と私は思った。国歌なのだからと。だが実情はどうもそうではないらしい。この一文を書くにあたり、ネットで調べたところ、「君が代」は習ったことも歌ったこともなく、歌詞は知らない、という人が相当数存在するのだ。「私は歌えません」という投稿を多く目にした。「君が代」を歌えるのは、日本人の何割くらいの人間なのか。

ともあれ、こうはいえるだろう。「君が代」は、日本人なら誰でもとまではいかないが、7月6日の本欄で紹介した俵万智〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉よりも、また他のどの一首よりも、圧倒的多数の日本人に知られている短歌である。


https://hakatanomiryoku.com/column/14391-2 【「さざれ石」について】よい

皆さん,「東長寺」の名物「福岡大仏」へ昇る階段の左側にひっそりと建っている灯篭をご存知ですか。

さざれ石で制作されている石灯篭だということです。さざれ石とは,日本国歌「君が代」の歌詞に歌われていることでその名が知られています。

『君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで』

作詞:不明(読人しらず)古今和歌集初出

インターネット等によると,さざれ石は細石で元々小さな石の意味ですが,長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって一つの大きな岩の塊に変化したものを指します。

石灰岩が雨水で溶解して生じた粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき,石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできるものです。日本では滋賀県と岐阜県境の伊吹山が主要産地です。

どれくらいの時間を要して固まるのでしょうか。


https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/11583 【「君が代」の歴史的変遷】より

日本の国歌に制定されている「君が代」について、みなさんはどの程度のことをご存じですか。ここでその歴史を少しばかりたどってみましょう。まず出典ですが、一番近いのは『古今集』賀の巻頭にある、

我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(343番)

です。これは題知らず・読人知らずの歌ですが、年賀に天皇の長寿を讃美・祝福したものと考えてよさそうです。なお初句は「我が君は」とあり、「君が代」という本文異同は認められません。

この歌は、以後いろんな歌集に再録されます。その一つが『和漢朗詠集』ですが、その鎌倉時代の写本に初めて「君が代は」本文が登場していますが、主流は依然として「我が君は」でした。それが江戸時代になると、狭義的・主観的な「我が君は」より広義的・客観的な「君が代は」の方が使い勝手がよいということで、広く流布していきました。この「我が君は」から「君が代は」への変遷をまず押さえてください。

話変わって明治維新の後、日本に国際化の波が押し寄せてきます。そうなると対外的な外交儀礼の上で、どうしても国歌のようなものが必要になってきます。最初は薩摩(鹿児島)という小さな世界でのことでした。当時薩摩に来ていたイギリス歩兵隊の軍楽隊から、日本を代表するような曲はないかと打診されたことがきっかけだったようです。それまで日本は国歌を持っていなかったし、持つ必要性も感じていませんでした。

そこで当時、薩摩の歩兵隊長を勤めていた大山弥助(巌)は、自ら愛唱していた薩摩琵琶の「蓬莱山」という曲の一部である「君が代」を推薦しました。「君が代」が国歌となる道筋を付けたのは大山巌ということになります。その歌詞にイギリス陸軍の軍楽隊長フェンライトが曲を付けたのが最初の「君が代」でした。それは明治3年のことです。しかし歌詞と曲がしっくりしていないので、改めて雅楽課に作曲の依頼がありました。

雅楽課の奥好義が日本古来の旋律をもとにまとめたものを、上司の林広守が補作して曲として完成させ、明治13年に演奏しています。これが現在の「君が代」の始まりとされているものです。それもあって「君が代」の作曲者を林広守としているものもあります。これに洋学の和声を付けたのは、ドイツ人のフランツ・エッケルトです。

これを国歌として扱うこともありましたが、きちんと制定されないまま長く運用されてきました。オリンピックなどのスポーツ競技の優勝者を称える際、あるいは小中学校で式典が行なわれる際に歌われてきました。ところが第二次世界大戦における軍国主義に対する反省、加えて新憲法で天皇が国の象徴とされたことから、学校で君が代を斉唱する事の是非が激しく議論されました。その際、「君が代」に代わる新たな国民歌制定の運動もありました。

最終的には国旗及び国歌に関する法律によって、ようやく「君が代」は日本の国歌と制定されました。それは平成11年8月のことでした(公布日である8月13日が「君が代」記念日)。ついでながら歌詞が一番しかない「君が代」は、世界で最も短い国歌の一つともいわれています。


http://kamenoko.jp/kame-tubuyaki/8135/ 【日本の国歌「君が代」は、外国の国歌とは、まるで、違います。気づいていますか。】より

そうなんです。外国の国歌は戦争や血や敵などという戦闘的なイメージが多いです。それに比べて日本の国歌は、とても平和な歌なのです。『君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌と なりて こけのむすまで 』現代語訳から、「男性と女性が共に支えているこの世は 千年も 幾千年もの間 小さな砂がさざれ石のように やがて大きな盤石となって 苔が生じるほど長い間栄えていきますように 』なんて、美しい歌詞なのでしょうか。もともと君が代の歌詞は905年に奏上(そうじょう)された古今和歌集に収録されていた歌が元となっています。そして、この歌は905年の時点で「詠み人知らず」となっているくらい、「昔から歌われていた歌」とされています。つまり、平安時代には「古い歌」であったのです。出雲大社にも「さざれ石」がありますが、知っていますか。

今日は、嬉しい事に、ずっとずっと、長い事ご無沙汰していた方から、嬉しい事に、連絡いただいたのです。本当に長い事失礼していたのです。というのは、今年の2月の末に、東京のO美術館にて、展示会があり、「ふむふむ地蔵」を梱包して、送って貰っていたのです。その後、コロナウイルス菌感染症の「パンデミック宣言」があり、自粛ムードになったのです。だから、10ケ月間も失礼してしまったのです。東京への送料も未払いでした。もう。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。なので、「やきもの館」で作った、小物も持ってきてね。と、お願いしました。すると、間もなくして、「やきもの館」の女館長さんが来られました。

小さな、手作りの小物をいっぱい持ってです。小さなきのこのブローチが、とても素敵に作ってあります。ミニミニのトイレに可愛い猫ちゃんも可愛いです。どれもこれも可愛くて、私だけが見るだけでは、もったいない。と、職員にも、披露します。

とうとう、みんな、小物は、買うことにしました。そして、今日は火曜日でしたので、お茶会です。その彼女にも、一服どうぞと、ご馳走することができました。  うふふ。どうして、こんなに、嬉しくなるのでしょうね。幸せを感じるのですよ。

それは、きっと、日本という国が、縄文の遥か昔から、精神性の高い民度が、形成されていた証拠なのでしょうね。「おおみたから」の命を、「出雲神話」の国譲り神話からも、来ていたのでしょう。あぁ。日本人は、すっかり、戦後の空白の時間が75年も経ってしまったのですね。あぁ。 やっと、やっと、日本人の「根っこ」に気づかせていただいた。有り難い事です。