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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ29-最期

2017.04.28 01:06

コンスタンティヌスは333年まで外征に出続けた。タフではあるが、もう司令官を任せていた息子クリスプスを処刑してしまったのだから、自業自得ということである。何となく秀次を殺した豊臣秀吉を思わせる。それでもこの皇帝がいる限り、ローマは勝利した。

335年に甥を副帝に指名して以後、息子も含めて5人の副帝を置き、長男のコンスタンティヌス2世を正帝として帝国の分割統治をする計画であった。しかし結局、コンスタンティヌスの死後、ローマは15年もの内戦にあけくれることとなった。

336年、コンスタンティヌスは現代のクリスマス、つまり主の生誕の祝いを12月25日に制定した。この日は実はローマ時代の太陽神の祭典の日だった。太陽神はコンスタンティヌスにあてがわれた神であった。彼はうまく自分の祭典をキリスト教の祭典に横滑りさせて保存したといえるだろう。

337年、復活祭を祝ったあと病に倒れ、回復したあとペルシアとの戦役に向かったが、病がぶり返し、ニコメディアで崩御した。臨終にあたって彼はキリスト教の洗礼を受けた。彼の改宗を方便だったという説もあるが、彼はキリスト教を信じていたのは間違いない。そしてキリスト教的皇帝を思いめぐらした。彼の考えるキリスト教は、現世における神の命令の執行者としての皇帝であり、この図式は、東ローマ帝国に受け継がれることとなった。

下はヴァチカンにあるラファエロの弟子作「コンスタンティヌスの洗礼」