コケと日本人
http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/14/1433.htm 【植物の世界「コケと日本人」】 より 参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
森の暗い林床や不動の岩などに広がる,或いは樹齢を重ねた大木に付いたコケの緑の褥シトネは美しく,清々しい。また,山道や谷間の陰湿地の生えるコケの姿は,ひっそりとして地味です。コケのある風景には様々な趣があり,古くから,古色コショク,永劫エイゴウ,森厳シンゲン,静寂,隠逸インイツ,孤独と云った情緒を象徴するものとされ,日本人の「わび」「さび」の思想や禅の心と関わって来ました。
〈コケの多様な意味〉
コケと云う日本語は,「木毛」又は「小毛」に由来すると云われています。稀に「もけ」「もく」と云っている処があり,「木毛」から転訛テンカしたか,或いは「藻草モクサ」が「もく」,「もけ」と変化したのではないかとも思われます。細長く削り取った木片や魚の鱗を意味する「こけら」,頭に出来る白色鱗状の「ふけ(「コケ」と云う処もあります)」などとも関係がありそうです。事実,植物のコケを「こけら」と呼んでいる地方が,主として東日本のあちこちにあります。舌の表面の白い舌苔ゼツタイも「こけ」と云います。
何れにしてもコケは本来,小さい毛状,粒状又は片状のものを意味し,植物については,菌類,地衣チイ類,微小藻類,蘚苔センタイ類,一部のシダ類など,小型胞子植物の総称名として使われて来ました。
中部地方の日本海寄りの諸県においては,キノコを「コケ」と云っています。地衣類の大部分は何々ゴケと呼ばれていて,和名だけでは蘚苔類との区別が付きません。藍藻ランソウ,珪藻ケイソウ,微小緑藻リョクソウ類などが生えた水底の石や水槽壁の水垢ミズアカも,広くコケと俗称しています。
更に,ホラゴケ,クラマゴケやモウセンゴケ,サギゴケのように,小型のシダ類,種子植物にもコケの付く名があります。現在,植物学上の標準和名として,コケ類は Bry-opbyta(センタイ類)を指す用語になっています。ですが,一般の人々がコケと云う言葉から心に描くイメージは,極めて多様でしょう。
コケの漢字として現在用いられているのは「蘚」と「苔」ですが,蘚苔又は苔蘚と,両者を結合してコケ類を表現することが多い。蘚はコケ類の総称として単独で使われることは殆どありません。漢字の「苔」は中国,わが国共に真正シンセイの根・茎・葉が分化していない隠花インカ植物を広く意味していました。その点においてはコケと云う語の使われ方と似ています。今でも海苔は「のり」と読んで藻類を指します。『万葉集』『古事記』その他の古典においては,こけ(地衣類なども含む)に当てられる漢字としては他に,蘿,薜,莓などが見られます。現在,わが国や中国の植物学者は,苔を Hepaticae(タイ類),蘚を Musci(セン類)に当てていますが,台湾においては逆に用いています。
〈永遠の繁栄を願う〉
「苔むす」という言葉は,『万葉集』においてはコケ(苔,蘿,薜)を詠み込んだ歌11首,題詞1件のうち,1首を除く全てにおいて用いられています。『古今和歌集』においては2首のうち1首に,『新古今和歌集』においては21首中2首に現れるだけです。
最近の和歌や俳句には,殆ど見られません。従って,「苔むす」は古語化した言葉と云えますが,国歌としての『君が代』にありますので,誰でもよく知っています。
『君が代』は,『古今和歌集』卷第七の「賀歌ガノウタ」に出ています「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(よみ人しらず)が起源であり,後第一句が「君が代は」に変わりました。
天孫瓊瓊杵尊ニニギノミコトが木花之開耶姫コノハナノサクヤビメを妻としたとき,姫の父神大山祇オオヤマツミノカミは姉の石長姫イシナガヒメも一緒に付けて寄越しました。しかし姉は醜かったので,直ぐ返しました。そのとき父神は「姉の方は名のとおり岩のように永遠の生命を持っているが、妹は美しく咲き匂ってもその命は花のように短い。天神アマツカミの御子ミコの命も脆モロく儚ハカナいであろう」と云って嘆きました。『古事記』に語られています神話です。
三重県伊勢市にあります皇大コウタイ神宮(伊勢神宮)の摂社セッシャ朝熊アサマ神社には,この父子三柱の神が祀られており,妹姫は桜大刀自神サクラオオトジノカミ,姉神は苔虫神コケムシノカミと称されています。石長姫が「苔むし(す)の神」と云われて祀られていることに注目しますと,『君が代』の歌の究極の根源はこの辺りに秘められているような気がします。
「むす」の漢字「生」は,中国最古の文字学古典『説文解字セツモンカイジ』に拠りますと,草木が土上に生まれて,更に進むことを意味すると云います。今一つの漢字「産」は,草木の芽が伸びる意味,また人が生まれたとき行うある儀礼を示しますが,「産霊」と云う熟語は「むすび」と読み,万物を生産する神の霊力のことです。「結ぶ」も同系統の語で,男女が結ぶことによって新しい生命が生まれ,その子を「生ムす子コ」,「生ムす女メ」と云います。『君が代』の「苔むすまで」は,「コケが生えるまで」に留まるのではなく,更に,結んで生むことを重ねて,永久に発展し続けることを意味していると解釈したい。
イギリスの格言「A rolling stone gathers no moss(転石コケを生ぜず)」においては,勤勉・繁栄を無駄なコケが生えない転石に例えていますが,わが国においては,不動の岩にコケがむすことを悠久の生々発展に結び付けています。イギリスと日本の対照的な岩・コケ観に注目したい。
「苔むす」考の結びとして,『金槐キンカイ 和歌集』の源実朝ミナモトノサネトモの歌に,
岩にむす苔のみどりの深き色を いく千世までと誰か染めけむ
とあり,岩にむしたコケは年中緑を保ち,幾年月を経ても新しく生々を繰り返して,絶
えることがありません。正しく千代八千代を象徴する悠久の姿です。
〈幽寂・清冽の風景〉
『万葉集』においては,コケを詠んだ歌の大部分が「苔むす」の表現で,年月の経過,
永劫,森厳の風景を詠っていますが,平安時代以後の古歌においては,山中のコケの美しさ,静けさ,清々しさを詠んだものが多くなります。『新古今和歌集』の一首を挙げてみましょう。
あしひきの山路の苔の露のうへに 寝覚め夜ふかき月を見るかな
藤原秀能フジワラノヒデヨシ
藤原秀能は鎌倉時代の武士ですが,歌人として名高く,後鳥羽ゴトバ上皇ジョウコウの寵愛チョウアイを受けました。山中の景を詠んだ歌が多く,この歌もその一つで,山中に野宿したとき詠んだ歌です。夜が更けて目覚めたとき見た,コケの露に映った月が千々チヂに乱れて光っている幽寂ユウジャクの風景です。
次の斎藤茂吉モキチの歌は,叙景ジョケイ的な表現で,静かなコケの眺めを描いています。
あまつ日は松の木原のひまもりて つひに寂しき蘚苔コケを照せり
ハイゴケを主として,コケ類が林床一面に広がっている海岸砂地のクロマツ林でしょうか。筆者(安藤久次氏)もかつて,日本海側のある海岸において同じような光景に出合ったことがあります。
小説にも,ときどきコケの風景が現れます。武田泰淳タイジュンの『ひかりごけ』においては,ヒカリゴケの淡く光る洞穴の幽玄な雰囲気が,井伏鱒二イブセマスジの『山椒魚サンショウウオ』においては,サンショウウオの眺めたスギゴケとゼニゴケが生い茂る谷川の隠微な情景が描かれています。北原白秋の作品に,格調の高い美しい詞「水上ミナカミ」があります。川の源流の清冽セイレツさを「神カンながら神寂カンサび古フる」と表現し,冒頭は,「水上は思ふべきかな。苔清水湧ワきしたたり、日の光透きしたたり」と云った詩句で始まります。
苔清水と云いますと,西行サイギョウが3年間住んだと伝えられる吉野の西行庵の近くの谷に,コケの間を縫って湧き出る清水があり,「苔清水」又は「とくとくの清水」と呼ばれています。芭蕉バショウは此処において,
春雨のこした(木下)につたふ清水哉カナ 露とくとく心み(試み)に浮世すすがばや
の句を残しています。山清水,岩清水,草清水,その他「清水」の付いた夏の季語は幾種類もありますが,苔清水と云う言葉が最も清冽で幽邃ユウスイな風趣があり,清水の美称として一番優れていると思います。
〈隠逸,死の表象〉
コケは人里離れた山間の陰湿地に生え,その姿や色合いが地味,清楚セイソなので,「苔」と他の語を結んで隠逸・枯淡の心境や境遇を表す熟語が作られました。「苔の衣」「苔の袂タモト」「苔の袖ソデ」は隠者や僧侶の衣服又はその部分を,延いては世捨て人の境遇を意味します。更に「苔の庵イオリ」「苔の岩戸」は隠遁イントン者の住む山中の粗末な住居,行ギョウを積む岩窟ガンクツを云います。『新古今和歌集』の一首を挙げましょう。
なにとなく聞けば涙ぞこぼれぬる 苔の袂に通ふ松風 宜秋門院ギシュウモンイン丹後タンゴ
尼の身である私の僧衣の袂に吹き通う松風の音を聞きますと,どう云う訳か分かりませんが,涙がこぼれてきます。こう詠った宜秋門院丹後は平安時代末期から鎌倉時代初期の女流歌人で,この歌を詠む3年前に出家しています。
『徒然草ツレヅレグサ』と共に中世随筆の双璧ソウヘキとされます『方丈記』は,隠者文学の代表的作品で,鎌倉時代の初期,鴨長明カモノチョウメイが山城ヤマシロの国,日野山ヒノヤマの奥に結んだ方丈の庵において綴ったものと云われています。第四段は次の文で始まります。
おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと(ほんの暫くと)思ひしかど、今すでに、五年を経たり。仮の庵もややふるさと(住みなれた所)となりて、軒に朽葉クチバふかく、土居ツチイに苔むせり。
土居とは土石を築いて造った草庵の土台のことです。苔むした土居は、深く積もった朽ち葉と共に古びたことを示しますが、更に「苔の庵」と同義で、山中の粗末な住居を表現しています。
越後エチゴの国,国上山クニガミヤマの小庵において孤高・清貧の歳月を過ごした江戸時代後期の有名な禅僧良寛の歌に次のような一首があります。
山かげの岩間をつたふ苔水の かすかに我はすみわたるかも
質素な隠遁の日々を送っている良寛は,自分の境遇を山陰の岩の間を伝う苔清水に例えています。後の下りは,「ひそやかに住んでいる」とも「ひっそりとして心が澄み渡っている」とも解釈出来ます。或いは,両方の意味を重ねているのかも知れません。
隠者,僧侶と結び付いた観念が更に敷衍フエンされて,究極の侘びしさを表す言葉が生まれました。「苔の下」がそれで,「墓の下」「あの世」のことです。死んでから行く先を意味する「苔の行方ユクエ」と云う語もあります。謡曲『朝長トモナガ』の,「苔底テイタイが朽骨キュウコツ、見ゆるもの今は更になし」と謡われている「苔底」も同義です。更に「苔むすかばね」と云った悲壮な表現もあり,「草むすかばね」と同じく,山野に晒されたままの戦死者などの遺体のことです。
『新古今和歌集』に藤原俊成フジワラノシュンゼイが秋の頃,亡き妻の墓所に近い堂に泊まったときに詠んだ歌があります。
稀マレに来る夜半ヨワも悲しき松風を 絶えずや苔の下に聞くらむ
たまに来る夜だけでも悲しいこの松風の音を,墓の下において絶えず聞いているとは,さぞかし侘びしい想いであろうと黄泉ヨミジの妻を偲び,哀れんでいます。先に挙げました丹後の歌にも「苔の袂に通ふ松風」とありましたが,松風の哀愁は,古来わが国の詩歌に広く詠われています。「苔」の言葉と結び付きますと一層哀感が高じます。
俳句には,「苔の下」と云う言葉は用いられませんが,「苔の花」が夏の季語にあり,死者や墓に関わる句によく出て来ます。
父の墓倒れてありぬ苔の花
苔の花は,コケの胞子体ホウシタイ,またスギゴケ類に見られるような杯状の雄花盤ユウカバン
やゼニゴケなどの雌シ・雄器床ユウキショウを指します。
今一つ,コケの関係する熟語に「掃苔ソウタイ」があります。墓石のコケを掃いて洗う意味から,先祖の墓参りや,先賢の墓を訪ねて,碑銘などから事績を調べることを云います。俳句においては,孟蘭盆ウラボンの墓参を表す初秋の季語として用いられます。
掃苔の人になみ立つ高野杉 長谷川素逝ソセイ 〈庭園と盆栽,盆景〉
わが国程,コケを園芸に広く巧みに利用している国はありません。日本庭園の地面,庭石,石灯篭,蹲踞ツクバイ,庭木などに生えるコケは,古色,閑寂の情緒を作り出すのに役立ちます。芝生と違ってコケは,種類を選びますと陰地にも陽地にもよく生育します。
「わび」「さび」の境地を本領とする茶室に付帯する露地ロジには,苔むした風景を欠かすことは出来ません。
特に京都にコケの美しい日本庭園が多い。コケの飾り気のない素朴な姿と色合いは,庭を歩きながら,また座して観る人々に,静かな喜びや安らぎを与えてくれます。
銀閣寺や,俗に「苔寺」として知られている西芳寺サイホウジのような回遊式の広い庭園においては,ウマスギゴケ,ホソバオキナゴケ,カモジゴケ,コバノチョウチンゴケ,ヒノキゴケ(以上は茎の立つ蘚類),エダツヤゴケ,ハイゴケ(以上は茎の這う蘚類)などの種類がよく生育しています。ゼニゴケ,ジャゴケのような葉状苔タイ類は好まれません。南禅寺,東福寺などのように方丈の周りの狭い地所に造られた定視テイシ式庭園においては,大抵ウマスギゴケが用いられています。
近畿地方と中部地方においては,各地に造園用のコケ(主としてウマスギゴケ)を栽培,販売している業者があり,最近は料亭,旅館などの庭園地被チヒとして需要が多い。
大徳寺の塔頭タッチュウ,龍源院リュウゲンインの方丈北側にある龍吟リュウギン庭(室町時代)は,三尊石組みを中心とする須弥山シュミセン形式の作庭で,面積は小さいがその思想は広大です。仏教の宇宙観を表す須弥山の石組みの周りには,無限の時空を示すコケ(ウマスギゴケ)の筵ムシロが八海の大海原を形成しています。
また,竜安寺リョウアンジの有名な石庭は,禅の唯心ユイシンの世界を表現した典型的な枯山水カレサンスイで,石組み,白砂ハクサ,及び石を取り巻く常緑のコケ(ウマスギゴケ)の簡素な地模様が,超俗の孤高と静寂の風景を作り出しています。この庭を観る人々は,簡・無・間・清浄・幽玄と云った禅の心を思い思いに学び取って,瞑想メイソウの境地を味わうことが出来るでしょう。
盆栽,盆景は,小さな器に草木を植えて,縮景の自然美を観賞します。小さな盆器の中に表現された美や心は,枯山水と同じように深遠広大で,老大木,深い森林,起伏する山々,清澄な渓流,広がる海と云った自然の風景を其処に観るのです。
これらに用いるコケは,盆栽においては常緑の下草として上に立つ樹木の美と威厳を支え,盆景においては草となり,木となり,ときにの水の流れともなって,様々な風景を連想させてくれます。
日本人に特有な自然美,美意識には,うつろい,散る,刹那セツナの情緒を好む一方,節操,不変,悠久の観念を尊ぶと云った二面性があります。サクラ,モミジ,ハギなどに寄せる想いは前者であり,マツ,キク,コケなどの姿を讃えるのは後者の心境と云えましょう。