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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン30-カルーゼル凱旋門

2021.11.06 07:57

実はナポレオンは危ないところだったのだ。すでにフランス国債は暴落しかかっていた。軍事大国フランスは、征服によって資金をまかない、広がる領土の維持にまた金がかかる。ナポレオンが理想としたローマ帝国のようになっていくのである。そしてローマにならい戦勝記念の凱旋門をつくろうとする。

さっそく命じたのは自らの宮殿チュイルリー宮前のカルーゼル広場に凱旋門をつくることである。しかし工事が進むのに、2年間足場に覆われたまま。皇帝が問いただすと、皇帝の像を待っているという。これはフランス軍の勝利であって必要ない、と皇帝は言った。ヴェネツィアから略奪した馬像を上に載せたのだが。

皇帝はそれで満足せず、エトワールの丘にもっと大きな記念碑を創ろうと思い立つ。最初はなぜか動物の象の巨像だったようだが、これは結局バスティーユの記念碑となった。そしてやはり大きな凱旋門を創ることにした。これが今の観光名所である。だが建設には30年かかることになった。

そして1806年、ライン同盟をつくったことで、プロイセンが中立を捨て、第4次対仏包囲網に加わった。ナポレオンは、またさらに大きな戦争に向かっていくことになる。その前にエトワール凱旋門の建設を命じた。彼のモチベーションをあげるために役立ったのだろう。