「『江戸名所図会』でたどる江戸の四季」18 冬(2)「二軒茶屋」②雪見
茶屋での雪見を描いた代表的浮世絵と言えば北斎「富嶽三十六景 礫川雪の旦」。「雪ノ且」の「且」は「旦」の誤りだろう。「旦」は「水平線から太陽がのぼるようす」を表現した漢字で朝の意。「あした」と読む。この作品、どこにある茶屋から富士山を眺めたものか?「礫川」の読み方がわかれば明らかとなる。答は「こいしかわ」。つまり東京都文京区小石川。小石川のどこにそんな高台があったかというと、文京区春日1丁目に位置する牛天神社(現在の牛天神北野神社)のようだ。『江戸名所図会』「牛天神社 牛石 諏訪明神社」を見ると、牛天神社はかなり小高い丘の上にあり、ちょうど富士山の見える西の方角が崖になっていて、その眺望を楽しめる茶店が立ち並んでいたことがわかる。
北斎の絵の中では、慌ただしそうに膳を運んでいる女中や欄干から身を乗り出すようにして、何か遠くを指さしている女性客が描かれている。指の先にあるのは富士山か、それとも上空を舞っている三羽の鳥か。夜来の雪がやんですっきり晴れ渡り、一面の銀世界となった江戸の町と澄んだ空気の中でくっきり浮かび上がる雪化粧した富士。ため息が出るほどの美しさだったことだろう。二階座敷の人々が感嘆の声をあげるのも当然だ。
北斎は降り積もった雪の中、どうやって牛天神社まで出かけたのだろう。徒歩で歩き続けたとは思えない。
「いざゆかん雪見にころぶ所まで」芭蕉
屋根船を柳橋当たりで仕立てて、神田川をさかのぼり水戸藩上屋敷前(現在のJR水道橋駅の前あたり)の「市兵衛河岸」船着き場で降りて、そこから徒歩で向かったと思われる(あくまで想像だが)。水道橋から船河原橋(飯田橋)の間の一帯は「市兵衛河岸」と呼ばれていた荷揚げ場。河岸名は岩瀬市兵衛の屋敷があったことに由来する。現在でも防災船着場として利用されている。
『江戸府内絵本風俗往来』は雪見の名所として、この牛天神社をふくめ次の場所を挙げている。
「隅田川の堤、三囲長面寺の辺、真崎、上野東叡山、不忍池、湯島台、神田明神宮社内、王子辺、日暮里諏訪社の辺、道灌山、目白不動境内、牛天神社地、大森八景坂、吉原」
眺望のよい小高い場所や水辺が好まれ、多くの浮世絵によって描かれている。ただし、いくら物見高いのが江戸っ子の常といっても、寒い雪景色を見に出かけるのは一般の人の趣味ではなかったようだ。
「雪見とはあまり利口の沙汰でなし」
「馬鹿めらと雪見の後にのんでいる」」
また『江戸府内絵本風俗往来』にこうある。
「雪見は文士墨士か、または武家に限りたりしも、時によりては何れの粋士か、障子船に棹ささせて、障子の内には置炬燵、絶品の女子、声静かにささやきて、墨田川両岸の雪景を賞し、船を山谷の岸につなぎ、八百善にあらざれば有明楼にて杯を傾くあり。または蓑笠被りて足踏みしめつつ墨堤を徘徊し、真乳山・山谷橋あたりの景色に吟脳を催すなどあり」
『東都歳時記』「隅田川看雪(ゆきみ)」を見ても、登場人物の中で雪見を楽しんでいるのは小さく描かれた屋根船の連中と料理屋から女将さんに見送られて出ていく蓑を着た二人組くらいのもの。タイトルに反して、全体の印象は寒々とした冬景色だ。ただ、炬燵に入りながらの雪見船は楽しかったろうと想像する。正面からそれを描いているのは『江戸名所花暦』「隅田川の雪」。
「すみた川水の上にもふる雪の きえのこれるは都鳥かも」橘枝直
さらに雪見船をアップで描いているのは豊国「雪見八景 晴嵐」。江戸の雪見の名所の一つ隅田川に浮かぶ屋根船の中のこたつに入り、ワイングラスのような酒器で酒を楽しむ女性。なんとも羨ましい。
北斎「富嶽三十六景 礫川雪の旦」
『江戸名所図会』「牛天神社 牛石 諏訪明神社」
『江戸名所図会』「牛天神社 牛石 諏訪明神社」 部分
『江戸切絵図』「小日向絵図」
『江戸切絵図』「小日向絵図」
「水戸殿」(水戸藩上屋敷)に隣接して「牛天神 龍門寺」があるのがわかる
広重「不二三十六景 東都水道橋」
広重「江戸名所 御茶の水」
広重「江戸高名会亭尽 木母寺雪見」
広重「江都名所隅田川雪見之図」
一猛斎芳虎「隅田川雪見」
『東都歳時記』「隅田川看雪」
『江戸名所花暦』「隅田川の雪」
豊国「雪見八景 晴嵐」
水野年方「三十六佳撰 雪見 寛文頃婦人」