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「宇田川源流 日本万歳!」 日本を代表する人気キャラ「ハローキティ」はなぜ世界に愛されるのか

2021.11.07 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 日本を代表する人気キャラ「ハローキティ」はなぜ世界に愛されるのか


 月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本人は何故素晴らしいのか、そして日本は何故海外の人に愛されるのか。その日本人の「国民性」ということにスポットライトを当てて、何か特別な人が何か特別な才能を発揮してヒーローになるのではなく、日本人が、日本人として「当たり前」のことをしていれば、実はそれが世界から見て非常に素晴らしいことであるというような感覚をもって見ているのではないか。

 日本の素晴らしいところは、誰かヒーローがいるのではなく、この文章を読んでいる人一人一人が全て素晴らしい行動をしているということではないか。そのことをどのように考えてゆくのかということがもっとも重要なのではないかと思うのである。日本人の「当たり前」が、実は世界にとって、「素晴らしい」ということなのは非常に少なくない。逆のことはよく言われることがある。「日本の常識は世界の非常識」というような言葉がある。しかし、実はその「世界の非常識」であってもその内容で、様々なことがうまく言って言うr氏、日本は2000年以上の歴史を餅、どこよりも長い王朝と統一の歴史を継続しているのである。そのことを高く評価できる人が、実は日本の中には少なく、世界には多い。このことを評価できないこと自体が「日本の常識が世界の非常識」なのではないかという気がするのである。

 日本というのは、どうも自分の国は良くないということが、インテリであるかのようなことを気取る気風がある。そもそも、自分の国の良さを実感できない人が、他国を体感できるはずがないのであり、物事を否定的にしかとらえられない人が、他の文化で育った人を正当に評価ができるはずがないのである。単純に、自分の生まれ育った文化を客観的に感じ、よいところは良い、悪いところは治すというような感覚でとらえられる人でなければ、話にならないのである。

 そのような感覚のない人々の「正当に評価できない」気風に負けずに、日本人には頑張ってもらいたい。そのような思いでこの連鎖ウを続けているのである。

サンリオ不動の人気キャラ 「ハローキティ」 快進撃はデザインチェンジから

 日本だけでなく世界でも広く愛されているサンリオのキャラクター。女性セブンでは、読者3078人に「いちばん好きなサンリオキャラクター」についてのアンケートを実施(『女性セブン倶楽部』の会員、全国の20~80代の男女3078人が回答、実施期間は2021年10月2~5日)した。その結果、読者が選ぶサンリオの“推しキャラ”ランキングは、1位はハローキティ(以下・キティ)、2位はマイメロディ、3位はリトルツインスターズ(キキ&ララ)、4位はシナモロール、5位はポムポムプリンとなった。

 堂々の1位となったキティの誕生は1974年。当初は名前もなかったが、『プチパース』という小さな小銭入れで人気に。その後、1975年に誕生したリトルツインスターズの人気に押され気味になったが、1980年からデザイナーを山口裕子さんが務めることになり、大スターになった。

「当時のキティは輪郭線が太く、色使いも原色の赤・青・黄など、ビビッドなものでした。そこで、サンリオの店に来てくれる女のコたちの意見を聞き、輪郭線をなくしてピンクなどのパステルカラーを採用。全体の印象をソフトにデザインチェンジしたんです」(山口さん)

 快進撃はそこから始まった。各時代のトレンドを取り入れ、モノトーンのキティや、コギャルで話題になった花のコサージュをつけたキティなどを発表。流行をデザインに取り入れ、常に女のコの憧れであり続けた。

 そしていまや日本のみならず、世界130の国と地域で愛されるキャラクターとなり、公式ユーチューブも人気だ。キティは時代の期待に応え、最先端を走り続けているのだ。

   1970年代から1990年代のキティグッズ

 サンリオのグッズといえば、文房具や日用雑貨、家電、ファッションアイテムまで多種多様。そこで、1970年代、1980年代、1990年代のキティグッズを紹介する。

【1970年代】

 当時1000円程度で販売されていたアルミ弁当箱は、学校のストーブで温め直して食べた経験があるのでは? プラスチックプレートは1982年以降のデザイン。ともに各時代の食卓を彩った代表グッズ!

「最初に好きになったキャラクターがキティちゃん。ロンドン郊外在住という設定のせいか、グッズにはよく英語が書かれていて、「なんて書いてあるんだろう、かっこいいな」と思っていました」(56才・会社員)

「友達と、キティちゃんのお弁当箱をお揃いで買って、友情を確かめ合いました。当時の自分たちには値段が高くて、毎月少しずつ貯金していました」(55才・主婦)

【1980年代】

 電子機器のアイテムが大ヒット。1980年販売のデジタルウオッチは売り切れ店が続出した。

「ハローキティ形の蓋がついたデジタル腕時計は、バンドが紺と水色の2種類あり、姉とそれぞれ持っていました。友達にうらやましがられましたね~」(45才・会社員)

「家族や友達からの誕生日プレゼントはいつもキティちゃんでした。赤いキティちゃんのカメラ(当時約2万円)を親に買ってもらったときの喜びが人生でもっとも大きく、これはいまも更新されていません」(49才・主婦)

【1990年代】

 パールピンクのキルティングが特徴的なポーチやバッグ、お財布などがある「ピンクキルトデザイン」シリーズは、憧れブランドのバッグから着想したという。発売されるとなると、店の前で並んで待つ“徹夜組”も出るほどの争奪戦に。耳のリボンが花になり大人っぽい印象に。

「私たちの時代のキティちゃんといえば、断然『シャイニーピンク』シリーズ。私はお小遣いで財布を買いました。財布代が高くて、肝心の中身がほとんど入っていませんでしたが、大人になった気分になり幸せでした」(36才・会社員)

「高校時代、友達と始発でサンリオのショップ『ギフトゲート』に行き、ピンクのトートバッグをゲットしました! そのためにバイト代を貯めたことを覚えています」(42才・会社員)

取材・文/前川亜紀 撮影/楠聖子

※女性セブン2021年11月11日・18日号

2021年11月2日 16時15分 NEWSポストセブン

https://news.livedoor.com/article/detail/21129862/

 さて、日本人が頑張る時のアイテムとして、「お気に入りのグッズ」という物があり、そのお気に入りのグッズに対して、思い入れなどを込めて考える風習がある。ある意味で「ものに対する象徴性」という特性がある。

 例えば、「社長の椅子を目指す」という言葉があるとすると、この言葉には二つの意味が存在するのが日本人となる。一つは物理的に「社長の椅子のある場所に行く」ということになる。まあ、何か災害が起きた時や緊急事態の時などに、その人のところに救助に行くなど、物理的に社長の椅子のある場所に向かうという話は、当然に存在する。しかし、通常この言葉を聞いた場合「社長という地位になるように不断から努力をする」という意味にになる。「椅子に座る」ことは、誰でもできるが、社長になるということになると、それは誰でもが簡単にできることではない。その状況の中において、「社長を目指す」ということではなく「椅子」に「象徴性」をもとめ、そしてそのような象徴性を使ったことによって、直接的な表現を避けるということになる。これは日本人ならば誰でもが行う内容であると考える。

 もちろん、一つの単語に象徴的な意味が含まれるのは、日本語だけではない。例えば「heart」といえば、一つは「心臓」という意味であるが、「My sweet heart」と書いた場合「心臓が甘い」とは訳さないであろう。基本的に「心臓」から生きている人間という意味になり、甘い人、つまり「恋人」というような表現になる。しかし、このような事例が日本語以外の場合は、ある意味d絵限定的なのに対して、日本語の場合は、様々な意味を込めることができ、そしてその内容をもって、頑張ることができるのである。

 「ハローキティ」もそのような役割があると考える。もちろん、それを見たときに人それぞれに感慨は違うものと思う。もちろん「ハローキティ」を知らない人は少ないかもしれないが、実際に「嫌い」という人もいるであろうから、それ以上のことを何か考える必要はないのではないか。しかし、そのモノに好き嫌いなど勘定をぶつけることができるのは、当然にモノに対しての象徴性があり、その象徴性に対して敏感に感じることのできる日本人の感性の鋭さがあるのではないか。

 当然に、その鋭い感性があることから、顧客のニーズを読み解き、そしてその顧客のニーズに合わせてマイナーチェンジをすることが可能になる。これが日本のキャラクターにおけるブランド戦略であり「ハローキティ」に関して言えば、様々な意味で、各年代そしてその年代に合わせた使い方を行い、その都度しっかりとしたマーケティングを行うということになるのである。そのことがしっかりとできていれば、実はキャラクターは長く愛されるし、また、その価値観の中で、世界に通用するものが出てくるということになる。

 日本というのはそういうことのできる国民性を持っている。それは、この件に関して言えば、何気なく使っている「象徴性」によるところが大きいのではないか。

 日本人のこのような繊細で鋭敏な感覚を、我々も持っているのである。