自然は「訪れる場所」ではない。それは生きる場所なのだ
Facebook兼井 浩さん投稿記事 ■“Nature is not a place to visit. It is home.”
― Gary Snyder
「自然は「訪れる場所」ではない。それは生きる場所なのだ」
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『白鳥沙羅のたわごと・・・化学物質過敏症』より
■自然に沿って生きていきたい
石油ファンヒーターとか、冬場に使いますが、石油の燃焼でホルムアルデヒドが出ます。
台所と石油ストーブを使う部屋はシックハウスに要注意です。
冬場のうつ病増加は、石油のホルムアルデヒドも関係があるそうです。
薪ストーブはいいのかな? 薪も化学物質に汚染されているから、それを燃やすと有毒なものが煙といっしょに出るそうです。
化学物質のせいで体調を崩しました ‥ 。 ( なぜはっきりと「化学物質」だって言えるかと言うと ‥ 家庭から 「 化学物質 」 ‥ つまり石油で作られたものを極力減らしたことで ‥ 体調が良くなったからです。 私だけでなく ‥ 家族全員が ‥ )
それで、いろいろと調べていく中で分かってきたのです ‥ 。 私たちが日頃厄介だと思っている菌や虫なども含め自然は ‥ 全てが一つの大きな命だってことが。
私たちは、自然が一つの大きな命であるにもかかわらず、日常に何の疑問も持たず殺虫剤で虫を殺したり、殺菌剤で菌を殺したりしています。 この行為こそ自然全体から見ると ‥ 自分自身を殺しているのと同じ行為になるのです。
私が体調を崩したのも ‥ 地平線まで広がる田んぼに撒く農薬の毒のせいだったのです 。私たちが土地を所有しそこで作るお米は自分たちの物 ‥ そう思った所から ‥ 虫や鳥や他の生き物には一切食べさせないぞ ‥ ってそんな考えから間違いが起こったのだと思います。
自然の生き物を見ていると ‥ 土地に境目を入れて ‥ ここは自分だけの土地だって決めて食べ物を栽培する者はいません。 確かに縄張りって人間が解釈する行動をする生き物がいます。 しかし、彼らは ‥ 意識してそうしているのではな く‥ 無意識に ‥ 自然任せにそうしているだけです。
人のようにあれこれ考えて ‥ 道具を使って ‥ 意図的に外側からコントロールしてはいないのです。 ここが自然の生き物と人間の大きな違いではないでしょうか?
私たちは、道具を使って意図的に森を「畑や田んぼや町」に作り変え ‥ 結果生き物が生きていきにくい世界を作ってしまいました。 そして、人間の作りだした不自然な世界で生きていけない生き物たちが町へ止む無く来るようになったのです。 ‥ それを人々は簡単に殺してしまうのです ‥ 。
人は、まず自分たちが「自然を所有する」と言う ‥ 自然を逸脱した行為を反省せねばならなかったのに ‥ それを置き去りにしたまま ‥ 自分たちの所有物を取られないように自然の世界に大胆にも毒を撒いてしまったのです。
最近は、多くの人が神経痛で悩まされています。 それは、菌や虫を嫌がるようになって ‥ やたら神経毒である殺菌剤や殺虫剤を使うからです。 この殺菌剤や殺虫剤は畑や田んぼで撒かれる 「 農薬 」 と同じなのです。
こんなものを ‥ 本当に家庭で使って大丈夫なのでしょうか? 最近では日常に使う洗剤にも殺菌剤が使われるようになってきたのです。 ただでさえ問題ありの洗剤がますます危険なものに変化していっています。
それでわたしは、どうして ‥ こんな世界になってしまったのか考えるようになりました。 例えば ‥ 原種である黒人がそうでない白人に迫害されているのはなぜか。 なぜ黒より白が優遇されるのか? 野生的な生き方はなぜ野蛮だって言われるのか? どうして泥がつくと人は 「 汚い 」 と言うのか? なぜ人は菌を 「 単細胞 」 といい虫を 「 虫けら 」 といって軽蔑するのか? ‥‥‥‥ まるで自然のままではいけないかのように‥。
この世界が自然と文明が逆転している事(地下にあった石油が地上に溢れ ‥ 大地が石油で作ったアスファルトで埋め尽くされ ‥ 石油の混ざった空気や水や海に覆われてしまった ‥ など ) に気が付き ‥ どうしてこうなったのか考えるようになりました。
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■『本当の生き方は何か、真剣に考えたい』
今の世の中は、自然破壊に繋がることをする者ほど優遇され、逆に自然に沿って生きる者(野生の生き物も含む)ほど虐げられているような気がします。
たとえば、化学工場 ( 農薬、肥料、医薬品、洗剤など ) を作る者たちがこの世のためになると言って ( 本当は自然破壊に繋がるのに ) ‥ 経済的力を持ちこの世を支配していますし、菌や昆虫など自然の調和に欠かせない生き物たちが殺されいなくなっています。
現在、農薬のような毒性の強いものが、空からいとも簡単に平然と散布されていますが ‥ それで苦しむ人たちがどんなに訴えても、誰もそれを問題にもしないし変えようともしません。
その裏には、 「 自然破壊に繋がるものほど優遇され、逆に自然に沿って生きる者ほど虐げられている 」 という見えない法則に裏付けられているからではないでしょうか?
日本全体で1年間に販売される合成洗剤の量は、なんと約100万トン ( 東京ドーム3個分 ) です。 既に東京ドーム120個分が販売されたことに。 もう飽和状態じゃないでしょうか?
でもだれも問題視しません。 むしろテレビでは、海が以前よりきれいになったとさえ言います。このままだと ‥ 多くの生き物たちがこの地上から絶滅するでしょう。 そして多分近い将来人間も ‥
人は‥絶滅しないために自然に沿って生きるか? それとも絶滅してもいいように ‥ 自然と関係ない新たな体を文明の知恵で作りだすか?
どちらを本当の生き方として ‥ 私たちは選んで生きていくのか ‥ 今、真の生き方が問われています。
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自然のことについて教えてくれます。
地球少女アルジュナ 前篇 (ダイジェストに編集)
https://www.youtube.com/watch?v=U4jMftXlkQc
時夫と樹奈と福岡正信さん(?)とのやり取りが...自然から離れた人々を諭してくれる。名言、名場面多数。
地球少女アルジュナ 後編(ダイジェストに編集)
https://www.youtube.com/watch?v=SbaeOL2fkHw
~ある静かな秋の夜ひとつの国が死んだ~
便利で楽になろうと文明に沿って生きてきた私たち。しかし、「楽になるのと幸せになるのは別やった。」と樹奈のお父さんが言うように、私たちは、文明に追い込まれ身動きができなくなってしまった。~「電気や水道が止まってしまうだけで何もでけへん...。」と時夫がつぶやくように...文明はあっけなく私たちを終わらせる...。
Facebook Takahisa Taniguchiさん投稿記事
「環境を破壊する人たちは大金を手にして、環境を守ろうとする人たちは清貧かボランティア。
危険とされる添加物や農薬まみれのものを売る人たちは大金を手にして、食の安全について訴える人たちは清貧かボランティア。
動物の殺処分を生み出す人たちは大金を得て、動物の保護をする人たちは清貧かボランティア。
安い労働力を搾取する人たちは大金を得て、その人たちに食事を提供する人たちは清貧かボランティア」
今のこの状況は果たして、「企業」の側だけでつくり得たものだろうか?
怪物のように大きくなり、世の中に多大な影響力を持つ企業で、環境や社会に負荷が大きい事をしているとされる企業がたくさんあるけど、そのモンスターのような企業を、エサともいえる「買いもの」で、大きくしてきたのは、他でもない消費者である私たちの側でもある。
ドイツでは『ゼロ・ウェイスト(ゴミゼロ)』を目指す、はかり売りのお店がいたるところに存在する。
「日本にもはかり売りのお店が欲しい」という声をたくさん頂くけど、僕の知る限りでも、日本にもはかり売りのお店はたくさんできている。
そして、すぐにつぶれていっている。
消費者が、ゴミを出さない事よりも、容器を持参しなくていい利便性を「選ぶ」なら、
はかり売りをしているお店に勝ち目はない。
ドイツでは、パーム油(ヤシ油の事で、日本でも、インスタントラーメン、
カレールー、チョコレート、洗剤、化粧品などに使われている)が、
畜産の次に地球の森林減少を起こし、オランウータンなどのすみかを奪っているから、
パーム油(日本では原材料名で「植物性油脂」表記の事が多い)の不買運動が起き、
パーム油が含まれている商品は基本的に禁止される事になった。
もちろん、企業の側にも問われるべき責任がある事は間違いない。
だけど同時に、1人ひとりがどういった企業や商店、商品を買いもので応援するのか、
その日々の選択を、これまでにないほどに迫られていると思う。
衆議院選挙の投票は終わったけど、「買いもの」という名の投票は今も毎日続いていて、それは確実に未来を変えていく。