心が嫌だと叫んでる
去年の9月に体験したこと。
自分の目で観たこと。耳で聞いたこと。感じたこと。
それは全て、わたしの中では財産です。
誰もが経験できることではなかった。もっと言えば、これからも、あんな経験ができる大学生は現れないかもしれない。
なんだろうか。
それでも、心は嫌だって叫んでる。
「もう終わり」そんな風に言うつもりは毛頭ないんです。
お手伝いできることがあるなら、力になれれば嬉しい。
伝えられることがあるならば、どうにか言葉にしたいと思う。
そう思っているからこそ、騙されたって気になってしまうのかな。
準備に追われたにも拘わらず、消化不良な報告会。
意見交換と称した会がインターンの勧誘だった。
セールスを中心に学んだわけではないはずなのに、販促の課題が出た。
体よく使われていると思っても、仕方がない。
最近めっきり、あの単語が私から発せられなくなったのは
魅力が薄れているからに他ならない。
わたしにとって、東京体育館のあの舞台に立つ人たちはヒーローに違いなかった。
たくさんのヒーローたちがあれだけキラキラと活躍しているのに、その行き先があまりにも薄暗いことが、本当に本当に不満だった。
実力もないくせに、内輪でなんで揉めてるのって、たかだか中学生の女の子が、そんな風にしか思えない組織だった。
あれから、10年近くがたって。
歴史的な統合を迎えた。やっと、やっとだった。これで、もしかしたら。あのヒーローたちが不自由なく活躍できる場が作られるのかもしれない、そんな期待で満ちていたのも、本当の話。
バカだったな、って思う。
浅はかだったな、って笑いたくもなる。
そんな簡単に、物事は変わらない。人の気持ちは、もっと変わらない。
わたしはね、ただただ強い選手を観たかった。
質が高くて、2020年に自然と期待してソワソワしてしまうような、そんな舞台に生まれ変わるんだって信じてやまなかった。
蓋を開けてみて、抱いた感情は、人それぞれだと思う。
好きなチームや選手を見つけて、毎週末ワクワクしている人たちもいる。
実際に観に行って、楽しい時間を共有したこともある。
確かに、あるんだけれど。
ど派手な演出を望んだわけじゃない。
IT技術を駆使したマーケティングに、今更驚くはずもない。
選手のアイドル化で白けたいわけでもない。
嫌だな、って。
表面だけ飾られたような場面を用意するためだけに、10年以上もの間分裂していたのだとしたら、応援する気持ちが急速にしぼんでいった。
わたし、今は何の期待も持っていないんだ。
「それでも、観よう」
そんな気持ちすら、いつの間にかなくなってた。
なくなったから、こんなにも、嫌だ嫌だって足掻いてるんだと思う。
困ったな。
あれだけ好きだったものを、嫌いになんてなりたくないのに。
わたしのアイデンティティといっても過言じゃないのに。
困ったな。
痛い。
自分の声が、痛い。