はとバスの歴代の輸入車⑤ボルボ アストローペ
1988年3月、はとバスにとって昭和最後の輸入車が2台導入されました。導入されたのはボルボ・アステローペで、それまでの輸入車とは異なり、スウェーデンのボルボ社製シャーシに、日本の富士重工が車体を架装した日欧合作の車両でした。このユニークなモデルは、1985年に開催された「国際科学技術博覧会(つくば万博)」の大量輸送に対応する為に用意された連節バスにルーツがあると言っても過言ではありません。連節バスの製造には複数の会社が候補として上がりましたが、最終的にはボルボ社製シャーシに富士重工がボディを架装することとなり、アステローペはこの際に構築された関係の賜物だと言えます。
アステローペがユニークなのは生い立ちだけではありません。当時のほとんどの大型バスがリアエンジンであったのに対し、アステローペはミッドシップエンジンのレイアウトを採用し、その特徴を最大限に生かすため、車体後部のダブルデッカー化を実現しました。このミッドシップレイアウトを可能にしたのは約10000リッターという当時としては小型のターボ付きエンジンで、これも当時は珍しかったATと相まって、欧州車の走りを堪能することが可能でした。
1987年にはとバスが導入した輸入車ヨーロコメットが定期観光用であったの対し、アステローペは貸切観光用として登場しました。貸切観光用の輸入車は1983年と1984年に導入されたケスボーラー社のUFC式スーパーハイデッカー以来でしたが、ケスボーラー社の車両が長距離の観光重視であったのに対し、アステローペは後部にサロンルームを備え、1981年導入の特殊車両ニューパノラマの後継車種の位置付けでした。
はとバスのアステローペはモデル発表後、比較的早い時期に登場していますが、前面の視界を確保するための大型プロジェクターやレーザーディスクのカラオケなど最新鋭の装備を採用していました。しかし、最も注目を集めたのははとバスのみとなった後部の吹き抜け構造でした。後部のサロンルームは他の会社で活躍するアステローペ同様1階に設けられましたが、はとバスの車両は特別に後部2階部分を無くし、開放的な空間を実現していました。車両後部天井にははとバスとしては珍しいシャンデリアがあり、ちりばめられた小さい照明と相まって、夜には幻想的な空間を演出するなど、大変個性的な車両でした。
写真①
アステローペは黄色をベースとしながら、特殊車両であることをアピールする目立つデザインを採用していました。サロンルームがあるリアオーバーハングが長い、独特のプロポーションでした。
写真②
非常口の位置が分かるショットです。
写真③
車両前部の視界を確保するため通常は収められていたプロジェクター用大型スクリーン。
写真④
車両後部、1階のサロンスペース。