和の精神は生命と宇宙法則だった
Facebook ごとう 孝二 さん投稿記事 I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜
「和の精神は生命と宇宙法則だった」
日本人の精神は、しばしば「和」の精神といわれます。「和」というと、妥協やなれあいをイメージする人もいるでしょう。
しかし、真の「和」の精神には、生命と宇宙の法則が現われているのです。
聖徳太子は、十七条憲法の第1条で「和を以て貴しとなす」という趣旨を説きました。
太子のいう「和」とは、単に仲間うちで仲良くやっていく事ではありません。
太子の憲法の第1条は「上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則ち事理自ら通ふ。何事か成らざらむ」という言葉で結ばれます。
すなわち、「和」の心をもって、お互いに話し合えば、そこに自ずから物事の「理」が通うのだ、できないことなどあろうか、というのです。
「人の和」は「宇宙の理法」に通じるという信念を、太子は持っていたと思われます。
「和」ということを、スポーツで考えてみると、グループで行うスポーツでは、チームワークが重要です。つまり、チームの調和です。
チームがまとまっていると、メンバー個人個人の能力以上の力が出せます。メンバー各自が優秀でも、チームがばらばらでは、力は出せません。チームの呼吸が合っていると、1+1=2ではなく、3にも5にもなります。
呼吸が合っていないと、2どころか、0.5にもなりません。つまり、「和」が大切なのです。
チームが「和」をもって団結していると、想像できないほどの潜在能力が発揮されます。
奇跡的なほど、絶妙なプレーが出てきます。
信じられないほどのグッド・タイミングで、すべてがうまくいきます。言わば、集団による至高体験(peak experience)、高シナジー効果です。ここに、調和という状態が持つ不思議なパワーがあります。
職場においても、「和」が大事です。一つの目的に向かって、職場のみんなが心を合わせて考えると、一人では思いもつかないような発想が、次々に湧き出てくるものです。
何かの計画を実行するとき、互いを信じて取り組んでいると、初めは不可能かと思えたような課題でも、信じられないほどうまく解決できてしまうのです。
調和は、集団を一体化し、単なる要素の総和を越えた、創造力を生み出すのです。
こうした「和」が見られる見事な実例が、あなたです。自分の身体について考えてみてください。あなたの身体は、約60兆個もの細胞で成り立っています。
60兆とは銀河系の星の数にも匹敵するといわれます。
それらの細胞は、父母の結合による、たった一つの受精卵が分裂・分化したものです。
その細胞は、脳・目・胃・腸・手・足など、それぞれの目的・役割に応じて成長します。
そして、様々な器官・組織・細胞の働きによって、呼吸や血液循環や消化などの活動が、休むことなく営まれています。
なんという、見事な調和でしょう!
まるで60兆人ものメンバーによるオーケストラが、壮大なシンフォニーを奏でているようです。
その指揮者のはずのあなたは、そんなことを何も意識せず、パソコンを打っています。呼吸もしています。心臓ももちろん、動いています。この驚くべき不思議が、あなたなのです。
あなたという存在は、60兆個もの細胞の調和によって存在しているわけです。
そのことに気づくなら、調和の原理とは、あなたを超えて、あなたをあらしめ、あなたを生かしている根本原理だと理解できるでしょう。
日本人は、こうした生命や社会を貫く「調和」の大切さを、深く感じてきた民族だといえましょう。
そして、自然の様々な現象に調和を見出し、自然と調和して生きるように心がけてきたのが、日本人の生き方だといえましょう。
日本人が「和」を重んじるのは、生命や宇宙の法則に基づいて生きる、知恵の働きです。
そして、「和」の精神には、生命と宇宙の法則が現われているのです。
生命と宇宙に根ざす「和」の精神が真の日本精神なのです。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事 旅人の贈り物
むかし、ある村に住む人々がたいへんみじめな暮らしをしていました。かつてはみんなとても幸せな生活を送り、旅人をあたたかく迎えることで知られた村でした。
ところがいつの頃からか、誰もがたがいにいがみあうようになりました。特にはっきりとした理由もないのに、あちこちで争いが起き、信頼していた仲間に競争心を抱いたり、見下したりするようになっていました。
村長はこんな村の有り様を悲しみました。このままでは元のような平安な日々がもどりそうにありません。といって、いったいどうしたらいいのか見当もつきません。いまでは旅人すら来ることはなくなり、村はすっかりさびれて荒れていましたが、村人はそんなことを気にかけもしません。
けれど、ある日、ひとりの旅人がやってきました。彼はなにか大切なことを知っている様子でした。村長は旅人に、自分が村について絶望しかけていることを打ち明けて、このままでは村は滅びるだろうと嘆きました。
それを聞いた旅人は、村長に言いました。
「たったひとつ方法があるかもしれない。うまくいけば、昔通りの幸せな村にもどれるかもしれませんよ」。
「ああ、どうか・・・その方法を教えてください」
「とても簡単なことです。実は・・・この村に村や人々を救うメシヤ(救世主)が住んでおいでになるのですよ」。
村長は自分の耳が信じられませんでした。でも旅人があまりに真剣で、メシアの存在に歓びを隠せない様子に、なにも言い返すことは出来ませんでした。
旅人が立ち去った後、村長は自分が聞いたこの秘密を仲のいい人にそっと教えました。そのうわさは間もなく、野火のように村中に広がりました。
「オレたちのうちの誰かがメシアなんだって!」
「信じられるかい?この村にメシアが姿を隠れておられるそうだ!」「いったい誰がメシアだろう」
メシアご自身がこの村に住んでおられるかも知れないと思ったとき、村人の毎日は変わりました。
もしかして、あのパン屋だろうか。石工かも知れないぞ。いやいや郵便を配達して村をまわるあの男は日頃からなんとも優しいではないか・・。待て、待て、ニワトリを飼って卵を売りにくるライリーおばあさんだって、メシアの可能性はありうる・・・。
村人は次々に、あの人かもしれないこの人かもしれないと想像しました。ふしぎなことに、そう考え始めたときから人々は互いに敬意を抱くようになりました。そしていっしょにとても大切なものを求めているかのように毎日を送るようになりました。
もしかすると・・・その大切なものは自分たちの目の前にあるのかもしれない・・・。いつの間にかまた大勢の旅人が村を訪れるようになりました。ふしぎな旅人はそれっきり村にはもどってきませんでした。もうそんな必要はなくなったのです。
●村人の心の中には、もとのような平和で幸せな暮らしがもどったらどんなにいいか・・・物事が正しい状態だったらどんなにいいだろうという思いがずっとひそんでいたのですね。
名古屋に続き、大阪個展にもたくさんの方々においでいただきました。本当にありがとうございました。みなさまから大いなる愛と勇気をいただき、これからの制作のパワーにしていきたいと思います。これからが冬本番・・・寒さに向かいご自愛ください。