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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン32-プロイセン軍撃破

2021.11.09 08:02

プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、1797年27歳で王位に就いた。普国はあいかわらず軍事大国だが、王は優柔不断な男で、イギリスにもナポレオンにもつかず中立を保っていた。しかしナポレオンは、遠慮なくライン同盟をつくり、プロイセン領にも侵入した。プライドだけ高い王は戦争を決意した。

プロイセン兵の規律は大王からの伝説である。そんな軍が、フランスに負けるはずはないと奢っていた。ところがフリードリヒ大王と違い、戦さの経験がなく、15万の兵は指揮系統が悪く、遅々として動かない。ナポレオンは何と1辺60㎞の四辺形の方陣を組み、ベルリンに向かって進軍した。

この方陣は、どこが敵と遭遇しても直ちに集合撃破することができる。1806年10月10日、左翼のランヌ軍が、功をあせりさきばしった普王子軍と遭遇して撃退した。王子は戦死、仏軍に包囲されつつあると知った普軍は退却しようとするが、意思決定が遅れ、ナポレオンに気づかれる。

10月14日、イエナでナポレオン軍は、プロイセン軍を叩きのめす。しかし皇帝の思惑と違い、ここは主力ではない。ダブー指揮下の第三軍団は、アウエルシュタットで、3倍の普主力軍に遭遇することとなった。劣勢の仏軍はもちこたえ、普司令官ブラウンシュヴァイク公が戦死して、指揮が混乱して敗北した。