ナポレオン33-ベルリン入城大陸封鎖令
2021.11.10 10:32
1806年10月27日、プロイセン軍を追討して壊滅させたナポレオンは、遂にベルリン入城を果たした。普王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、ケーニヒスブルクで、ロシアに保護された。入城したナポレオンが真っ先に眼にしたのが、ベルリンの象徴ブランデンブルク門である。
この門は、前王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世によって建設され、1791年8月6日に完成した。市を囲む税関壁の正門である。ちょうどよいと思ったナポレオンは、戦勝パレードに利用して、頂上にあるヴィクトリア像を、他都市と同じく、やっぱりフランスに持ち帰った。
ナポレオンはフリードリヒ大王の墓参りをしたとき「彼が生きていれば今日ここに居なかっただろう」と感慨を述べた。そして11月21日に発するのが有名な「大陸封鎖令」である。実は、イギリスは、フランスの港の海上封鎖をしていた。そちらがそう来るなら、と陸上で逆封鎖をしたわけである。
しかしヨーロッパは、安いイギリスの工業製品に頼っていた。さすがに全欧州を封鎖するというのは無理がありすぎる。民衆は不満をつのらせ、そのためにナポレオンは欧州の端から端まで、軍を走らせることになり、これが帝国の崩壊の大きな要因となっていく。