ものがたり『バガヴァッド・ギーター』第31話:行為の放棄とは(2)
2017.05.04 22:02
クリシュナはアルジュナに
『放棄』とはどういうことなのか、
教え続けています。
「アルジュナよ。
自分の欲がない気持ちで
至上主に行為の結果を捧げずに、
ただ、
行為を放棄してしまう人は不幸である。
だが、
行為の結果を主に捧げるヨーガ
によって、
主を崇拝する人は、
知識を得たものとなり、
すぐに
超越的段階(ブラフマン)に至る。
このヨーガを実践する人は、
心と知性と感覚を支配していて、
すべての生きものに思いやりがあり、
絶え間なく働いても
決して行為に縛られない。
このヨーガを実践して
知識を持った神聖な意識の人は、
『何かを見ても、聞いても、触れても、嗅いだり、食べたり、動いたり、
眠ったり、呼吸したり、話をしたり、
排泄したり、握ったり、眼の開閉をする時』も、
実際には、
『自分は何もしておらず、
五感がその対象と作用しているのみ』
と見て、
常に何にもとらわれない。
自分の執着心を捨てて、
ただ自らの義務をおこない、
その結果を至上主にささげる人は、
まるで、
蓮の葉が水を弾いて濡れないように、あらゆる罪をはじいて、
よせつけない。
このヨーガに生きる人は、
すべての執着を捨てている。
身体と心と知性をつかって
いろいろなことをしたり、
仕事をしているが、
それは、ただ、
自分を浄化するため、である。」
…続きはまた明日。
(今日は5章6-11節まででした)