猿田彦伝説
https://blog.goo.ne.jp/hakhon/e/6c38b690715ca9d2cb45fef13fc53ce7【猿田彦伝説】より
またまた、友人が書いた記事を転載します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
猿田彦(さるたひこ)。
またまた出ました。日本謎の古代史のヒーロー。前にも書いたが、「火の鳥」の準主役。
鼻が異常に高く、背が高く、鉾(ほこ)をもっている。誰かといえば、鞍馬天狗の「天狗」のモデル。天狗は鉾のかわりに「大きなはっぱ」かな~。
それを扇げば、台風のような風が。・・・ということでこの謎の人物に迫ろう。
今日はこれぐらいで、・・・これから仕事だす。""\(・_・)
またまた出てきた「猿田彦」(さるたひこ)
秀吉の「猿と呼ばれた男」シリーズで解説したので、もう一度読んでくれ。
秀吉の顔が猿に似ていたから「さる」ではなかった。「さる」一族の長であったから「さる」と呼ばれた。という結論。近世にまで続く猿とは何か。
「日光東照宮」に現存する、無数の「さる」の彫刻。・ ・・「日光江戸村」の猿軍団・・・(これは東照宮にある猿から来ている)韓国歴史ドラマ「朱蒙」のシンボル「三足烏」。
このマークは日本のサッカー協会のシンボルマークにもなっている。(1930年から)
Jリーグのチェアマンや、ワールドカップの時に「トルシェジャパン」や「ジーコジャパン」が訪れた神社。熊野神社。ここが「猿田彦」祭っている。そして「八咫烏」(やたがらす)を「猿田彦」化身としている。
ややこしいが、日本の古事記、日本書紀、出雲風土記では、九州から近畿に天皇を導いた一族がいたことは間違いない。それが「猿田彦」や「やたがらす」。
実は、日本の神話時代に、九州から近畿に来る天皇は2人いた。
1 神武天皇
2 神功皇后(天皇ではないが)
この物語は二つともよく似ている。いずれも直接、奈良に入れなかった。
この物語がごっちゃになって神話が成立したと考えるべき。
2は「猿田彦」「やたがらす」が先導したのではない、「武内スクネ」が先導。
この「武内スクネ」がくせもので、どこにでも登場する300歳生きたという神話の中でも最も長生きした神、彼が「蘇我氏」(そが)の先祖!!!
「武内スクネ」は神話の中で、「猿田彦」「やたがらす」とごっちゃになることが多い。
結論から言うと「猿田彦」=「「やたがらす」=「武内スクネ」
そして、面白いことに彼が「浦島太郎」の正体で「住吉神社の神」であった。
「浦島太郎」も300歳生きたこと、神功を九州から奈良に先導するとき、亀に乗ってやってきた。今に伝わる有名な浦島太郎物語は「丹波風土記」からでたもので、同じ物語が古事記では「海幸と山幸」の物語(どっかでするわ)として出てくる。
しかも「海幸」が竜宮に行く伝説の主人公は武内スクネとしている。
浦島伝説は日本海に多いが、天橋立にある「籠神社」(このじんじゃ)が本命と思う。
正式名、元伊勢神社。名前からして伊勢神宮より本命という変な神社。
アボジが生きてるときに、何回も一緒に宮司に会いに行った。
国粋主義の塊のような宮司で、朝鮮半島とのかかわりを一切否定。しかし・・・
話は「猿田彦」から「武内スクネ」そして「浦島太郎」に竜宮城はどこにある・・・・・・皆の推理を待ってるぜ!!!
猿田彦の正体が分かれば、日本の古代史の謎が解ける、と言ってもいいと思う。
猿田彦が、実は浦島太郎の物語の主人公、「海幸、山幸」と同じと前回、話した。
実は竜宮にいったのは、弟の、山幸(やまさち)。
山幸彦が、兄の海幸彦と猟具をとりかえて魚を釣りに出たが、釣針を失い、探し求めるために「しおつちのかみ」の教えにより海宮に、亀にまたがって行く。そこで海神の女・豊玉媛(とよたまひめ)と結婚。
3年過ごすが兄との約束を思い出し、「釣針」と「たま」を得て帰る。
そして兄を降伏させたという話。
「玉手箱」が「たま籠」(かご)になるが、凡そ似た話。
この「たま」の入ってた「かご」を祭っているのが、京都府宮津・天橋立の「籠神社」(元伊勢神宮)この神社は「羽衣伝説」の神社でもある。
天女が、水浴しているところを、あまりの美しさに羽衣を隠して、天に帰れず・・・。という話。その羽衣も「籠」に入っていたという。
朝鮮の神話にも同じ「羽衣伝説」がある。ところで、竜宮はやはり朝鮮である。
しかも「新羅」である。なぜ、「新羅」なのかは、直接話をしなければ説明が難しい。(ごめん)「武内スクネ」は何度も「新羅」に行った。
そして彼こそ、古く、大和に大和朝廷が出来る前の、つまり、天皇が大和に来るまでの、
蘇我、平群、葛城の先祖であり、古い奈良に土着した「大王」。もちろん「朝鮮からの古い渡来人」。鉄の製法を持ってきた一族。という結論だけここでは話す。
https://yamimin-planet.com/sarutahiko-and-teng/ 【猿田彦と天狗】より
『日本書紀』において、猿田彦(サルタヒコ)命は『鼻の長さは七咫(約126cm)で身長は七尺(約210cm)口元が明るく輝き、八咫鏡(大きな鏡)のような眼で、ホオズキのように赤い色をしている』と述べられている。
この風貌から猿田彦は天狗と同一視されるようになり、神社の祭礼では天狗のようなお面を付けて高下駄を履き、先導役として見られるようになった。
猿田彦と八咫烏
太陽の化身
『古事記』において猿田彦は「天の八衢やちまたにいて、上は高天原を照らし、下は葦原の中つ国を照らす神、ここにあり」とあり、『日本書紀』では「八咫鏡のように照り輝く眼」をもつと述べられている。
こうした記述から、猿田彦は天照大神のような太陽神だったという説もある。
また、猿が日の出の太陽を迎えるように鳴く習性から太陽信仰と結びついたという説や、古代における農耕は猿が棲む山に入り込む焼畑が始まりであったことから、山神や日の神として信仰されるようになったという説もある。
一方、カラスは夜明けに群れて騒ぎ鳴く習性から太陽信仰と結び付けられた。
先導役として
猿田彦と天孫降臨
天照大御神の御子神・天之忍穂耳命は葦原の中つ国の不穏な状況によって降臨できずにいたが、大国主による国譲りが完了し、ようやく降臨できる状況となった。
そこで、天照大御神と高御産巣日神によって再び中つ国に遣わされることとなった。
その準備中に、天之忍穂耳命と高御産巣日神の娘との間に邇邇芸命ににぎのみことが生まれた。
天之忍穂耳命が邇邇芸命を遣わすことを進言したので、邇邇芸命は天降ることになった。
この後の展開は『古事記』と『日本書紀』でそれぞれ異なる。
カラスと神武遠征
『古事記』神武記では、神武天皇が熊野から大和に向かう際に、夢で天照から「天より八咫烏を遣わす」とのお告げを受けて実際に大きなカラスが現れて道案内をしたという話がある。
猿田彦もカラスも先導役としての側面をもっている。
カラスと天狗
日本の烏天狗は仏教の八部衆の一つである迦楼羅天の影響を受けているといわれている。
迦楼羅はインド神話における鳥類の王ガルダが仏教に取り込まれたものである。
半鳥半人で、炎のように赤い翼を持つ。
参考資料
戸部民夫「『日本の神様』」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド」PHP研究所、2004年
杉原 たく哉「天狗はどこから来たか」大修館書店、2007年
戸部民夫「神様になった動物たち」大和書房、2013年
藤井 耕一郎「サルタヒコの謎を解く」河出書房新社、2015年