日本人の起源
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=334268 【日本人の起源(縄文・弥生・大和)
334268 八咫烏・・・この国を影で仕切る秘密組織】 より
『飛鳥昭雄DVDサンプル「八咫烏 この国を影で仕切る秘密組織」(円盤屋出版)(リンク)』からの転載になります。
眉唾ものとも言われますが、よく調べられており、日本を含む歴史を考える上で、新たな示唆を提示されており、一部、御紹介します。
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日本を動かしているのは八咫烏 ルーツは聖徳太子。推古天皇に仕えた。その頃にすでに八咫烏の原型がある。
日本は陰と陽を踏む国。陰陽道に繋がる。天皇家には2種存在する。物部氏系と秦氏系、古いのは物部系。ニギハヤヒが古い。
秦氏系は神武天皇=天孫族。今の表向きの天皇はすべて神武=秦氏系。神武がヤマトに乗り込んでいったときに道に迷い、その時に道案内をしたのが八咫烏。よって、八咫烏の勢力は、古くから日本に居た存在。物部氏。ニギハヤヒは大国主そのもの。出雲大社は物部系。神武とニギハヤヒは同じ神宝をもっていたため、同族と判断し、国譲りが実行された。物部氏は、徐福と一緒に来たという。
現在までの天皇家は秦氏系。表は、秦氏系=神武から始まる系譜。物部系は裏にまわった。同族なので表・裏で日本を動かしている。現在も存在する
八咫烏。組織は、大烏=3柱=3人(三羽烏トップクラス)、取り巻きは9人=12人。下っ端は烏天狗。聖徳太子は12の冠位を与えたのは、このしきたりに従ったから。組織構造は、イエスキリストの12支族と同じ構造。ペトロ・ヤコブ・ヨハネが3トップ。その他の9人は彼らを補佐する役目という組織構造。ヘブライの数秘術から来る3+3+3の構造。基本、11の倍数の数秘術を重んじる。
秦始皇帝は、自分の体のための不老不死の薬を蓬莱山に探す目的で徐福を日本に向かわせたわけではなかった。始皇帝はある明確な意図をもって日本に徐福を送った。
始皇帝は、天皇家の神宝の一部を徐福に託して日本にもっていかせた。後に来る天孫族=神武系の神宝とあわせて日本に隠すことが目的。その目的を達成するのが主眼であり、不老不死の霊薬を持ち帰られなくても、始皇帝が徐福の首を切らなかったのは、そういう理由。この神宝は世界中で探し回られているもの。キリスト・ユダヤと関係している。徐福は旧約聖書の民。秦氏神武は新約聖書の民。
八咫烏の存在理由は、この皇室がもっている世界最大の宝を守るため。これを世界の目から覆い隠すために存在する。だからこそ、一切、表の政治には口を出ず、裏にまわった。徹底的に覆い隠さないと世界から日本に奪いくるのでそれを阻止するために秘密結社となった。
その後、徐福は日本に上陸して邪馬臺国の原住民の入り婿となった。その末裔が、卑弥呼。卑弥呼は八咫烏の血(ヘブライの血)が半分入っているハーフだったため、霊性をもち、予言が可能であった。
物部は裏に回って天皇家を支えている。物部系は秦氏系の圧力を受けて神武系(秦氏系)に牛耳られているのは一見事実である。がそれは、あえてそうしている。意味がある。今年、伊勢神宮(神武系)と出雲大社(物部氏)の同年、式年遷宮である。両者手打ちの年。必要であれば八咫烏は表に出てくるはず。
出雲大社は、スサノオ。物部系。
伊勢神宮は、アマテラス。秦氏系。
誓約の仲人は籠神社。
伊勢神宮は表の神道。日本の神様は八百万の神=多神教の世界。しかし、裏神道がある。それは、一神教。唯一絶対の神。京都の下鴨神社。鴨(賀茂)氏系。大嘗祭は、下鴨神社で行われる。烏も鳥。鳥居は鳥が居るとかく。下鴨神社が裏の神道。
八咫烏は物部氏、賀茂神社は秦氏。見せて隠すという施策をとったため、国体が守られている。
日本の闇組織=八咫烏を抹消しようと思ったら、アメリカが日本を潰せば、キリスト教徒やユダヤ教の標的となる。日本の闇組織に手を出せないので面白くない。
ガド族とヘブライ語のミ=Fromをあわせると、ミガド=御門 ガドからきた(ミ)男。闘う男=闘争の民。武列と継体の間は断絶したのは、ガド族の直系が居なくなったため、。その後、レビ(=神職=特権階級)が皇統を支える。レビ(レビ神官=預言者)は祭祀族だからこそ、武力をつかさどる神から、祭祀をつかさどる天皇となった。このようにして神社が天皇陛下の配下に組み込まれることになる。
古神道=物部神道は、生贄の儀式を行っていた。ユダヤ新旧約聖書の古神道は血の儀式=生贄の儀式を昔から行っていた。物部系の神社では殆どが行っていた。籠神社も同じ。この生贄の儀式を制御し、宮司を監視するために下鴨神社から禰宜を送り込んだ。賀茂が禰宜を送ったから、「鴨ねぎ」という。
※鴨葱(リンク)
鴨ねぎとは「鴨が葱を背負って来る(かもがねぎをしょってくる)」という慣用句の略である。鴨が鍋の具材である葱(ネギ)を背負って向かって来れば、それを捕まえるだけで鴨鍋をすることが出来る。ここから鴨ねぎは利用しようとするものが、さらに良い状況や好都合な事物を呼び込むことを例えたもの、つまり事態が自分に都合のよい、ますます望ましい状況になることをいう。
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徐福も秦氏も秦始皇帝も同族系統であることが分かる。真実はいかに
https://ameblo.jp/ohdoh/entry-10164282781.html 【(日本人は失われた十部族) 祟神天皇からガド族に交替】より
(『聖書は日本神話の続きだった!』より)
ここまで語ると、祟神(ルビ:すじん)天皇についても触れておかねばならない。
日本には「ハツクニシラススメラミコト」と呼称される天皇が二人いた。初代の神武天皇と第10代の祟神天皇である。これは「初めて国を開いた天皇」という意味であるから、二人いるのはおかしい、ゆえに初代の神武天皇以降、第9代までは架空の人物であったとする説がまことしやかに語られてきた。
だが、これは誤りで、真実は、天皇家をめぐって権力闘争があり、天皇家の家系が入れ替わった。勝利した祟神天皇が、自らの権勢を誇る意味も込めて「ハツクニシラス」と自称したのである。
その根拠は、
⑴ 神武天皇がエフライム族の系統であるのに対し、祟神天皇は「失われた10部族」のうちのガド族の系統の魂と推定される。
祟神天皇は名前を「ミマキイリヒコ」といい、第11代垂仁天皇は「イクメイリヒコ」、第12代景行天皇は自らは違うが、皇后に「ヤサカノイリヒメ」がおり、皇子に「イオキイリヒコ」がいて、祟神天皇以降、「イリ族」が続く。
『旧約』の「民数記」によれば、「ガドの子孫は、その氏族によれば、ゼポンからゼポンびとの氏族が出、・・・エリからエリびとの氏族が出、・・・」(26-15)とある。このガドの子孫の「エリびとの氏族」が第10代祟神以降の「イリ族」となっているものと考えられる。
ちなみに、「日本」や「ジャパン」という呼称もガド族の「ゼポンびと」から出ているものと思われる。ゼポンとは英訳の聖書より訳したもので、ユダヤ人はゼを発音することができないという。このため、ジェポン、ジャポン、ニッポンとなったのではなかろうか。
また、天皇のことを「ミカド」というが、「ミ・ガド」とはヘブライ語で「 ガド族の出自」という意味である。これがミカドになったものと思われる。同様に、古代の朝鮮半島の任那(ルビ:みまな)に日本府があったというが、この任那は「ミ‧マナセ=マナセ族の出自」と解せられる。
⑵ 祟神天皇が大和朝廷の初代天皇でないことは、その巨大な天皇陵を見ればすぐに分かる事である。
周囲に膨大な濠をめぐらし、全長242メートルに及ぶ完成された前方後円墳は、国を初めて統一した初代の天皇には無理であろう。何代か経た後の、国としては安定期に入った後の天皇であったからこそ可能であったものと思われる。
⑶ 祟神天皇は当初、大元の神から見て、歓迎されなかった。これは、彼の就任後、疫病が流行り、大地が荒廃したことで分かる。
このため大田田根子(ルビ:おおたたねこ)に大物主神を、また市磯長尾市(いちしのながおち)に倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)をまつらせて鎮めている。
このように災厄が続いたことは、本来、エフライム族が継承する予定であった天皇家が、祟神天皇によって断絶したことを表している――ただし、その後、大物主神らを祀ることでガド族への交代が許容されたと考えてよい。
⑷ 祟神天皇の生涯に起こった事を『旧約』と比較すると、ダビデ王を想起させる。その理由は沢山あって、
①祟神天皇の代に悪疫が三年続き、人口の半分が死んだが、ダビデ王の時代にも3年間の旱魃があり、その後の悪疫で7万人が死んだ。両方の王は、その惨状に責任を感じ、神にお伺いを立てている。
②ダビデ王の軍隊はエドムのシア山で戦った。一方、祟神天皇の軍隊はイドミの山城で戦った。
③『旧約』によれば、約束の地にイスラエル人が定着してからは、あまり活動実績のない王の時代が500年以上も続き、その後、ダビデが王位についている。一方、日本神話でも神武天皇の死後500年以上、あまり活動実績のない王が続き、その後、祟神天皇が王位についている。ちなみに、この類似性は、神武以降9代までの天皇が架空ではないことを意味している。
④ダビデ王の死後、息子のソロモンが王位を継承し、最初のヘブライ寺院を今のエルサレムに建てた。一方、祟神天皇の死後、息子の垂仁天皇が継承し、最初の神宮を伊勢に建てた。⑤また、ソロモン王はハマトに穀倉を建てた。一方、垂仁天皇は久米の村に穀倉を建てた。
――このように、祟神天皇とダビデ王周辺の出来事は酷似している。ダビデは、全イスラエルの王となる前はユダ族の王であった。ユダ族は「失われた10部族」ではないから、この点でもエフライム族とは違っている。天皇家の交代があったとする次第である。
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スサノオまでは日本神話が、ヤコブ以降は聖書が先行
以上、結論として大和民族・弥生人は「失われた10部族」の魂を持つものとして、ユダヤ人と同祖であるという関係にある。
第1部の「聖書は日本神話の続きだった」という話と合わせると、イザナギ・イザナミの争いとスサノオの行動部分までは、日本神話が聖書に先行して、聖書の前提を語っている。
一方、ニニギ以降の天皇家の出来事は、聖書のヤコブ以降の出来事を、多少、形を変えてなぞるように再現した形となっている。つまり、『旧約』の出来事が日本の天皇家に関する部分より先行することで、日本の大和朝廷・弥生民族が「失われた10部族」であったことが確認できる。
まことに複雑であるが、日本人とユダヤ人を使って、元の大神が仕組んだ「3000年超に及ぶ仕組み」であったということになろう。
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日本の神道はヤハウェではない
ちなみに、日ユ同祖だというと、「では,日本の神道はヤハウェを祭っているのか」とか、「神社では羊が殺されて捧げられているのか」という疑問がある。
これはそうではなく、日本にやってきた「10部族」は、すでに北のイスラエル王国の時代から農耕神である男性神・バアル信仰に染まっていて、ヤハウェ神は相対化されていた。
また、弥生渡来人が日本に来てからは、土着の民である縄文人や出雲系の女を妻とすることが多かったので、彼らの信仰を取り入れた独自の神道や習慣が形成されたと見るべきである。
実際、「神」という日本語はアイヌのカムィという語が元であろうし、イザナギが、「一日に1500の産屋(ルビ:うぶや)を建てよう」と言った「産屋=お産小屋」はアイヌの習慣である。
神道で使う御幣(ルビ:ごへい)や垂(ルビ:しで)はアイヌの「イナウ」という削りかけが原型だとされているし、日本の典型的な八百万の神は、先住民族たるアイヌの自然観を取り入れたものだと明言できる。
さらに単純な日ユ同祖と違うのは、大和民族の正統であるエフライム族は、かってはユダ族に対立してイスラエルの指導的役割を担っていた。ためにイスラエルは一時期、「エフライムの家」とも呼ばれていたほどである。
また、エフライムの父であるヨセフは、『旧約』の中で唯一、欠点の書かれていない人物である。
父に愛されたことにより、兄弟から嫉妬といじめで死の境界にまで行きながら、ついにはエジプトの王という、当時の世界の頂点にまで昇りつめた。
ためにかってはいじめた兄弟たちがひざまずいた。
そのヨセフの子のエフライムが、祝福を受けて繁栄の地を与えられ、日本の弥生渡来人となったのである。
ちなみに弥生人は3波にわたって日本に来たというが、そのうちの2波は「失われた十部族」であることは間違いないと考える。