椿の蕾 ツバキの芽
http://www.satotsubakien.com/w/archives/8993 【椿 蕾は膨らみ新芽は伸びる季節です♪】より
椿の生産農園では蕾がしっかりと膨らみ、間もなくシーズンが始まります♪
下の写真は「尾張五色椿-おわりごしきつばき-」の新芽♪
若い葉に少し色が入っているのが見えるでしょうか(^^) 絞りの花が咲く枝の証拠です!
椿 尾張五色-おわりごしき-の魅力♪
毎年人気で売り切れとなる「尾張五色椿-おわりごしきつばき-」のご紹介です♪
愛知県の尾張地方に古くから伝わる椿の品種で、名古屋城内にも存在したと伝えられています。
基本の花は白地に紅色の大小縦絞ですが、枝数が多くなると一つの木で赤・白・絞・覆輪などの花を
楽しむ事ができる希少な椿です。 一重で筒状に咲く椿ですので、茶花としてもオススメです♪
https://www.city.goto.nagasaki.jp/tsubaki/li/010/index.html 【つばきと五島市】より
【幻の椿"玉之浦"の発見】
赤い花びらを白く縁取った、五島が世界に誇る幻の椿"玉之浦"。その花姿は艶やかで、とても印象に残るものです。この"玉之浦"の発見は偶然でした。炭焼を生業としていた故有川作五郎さんがいつものように山(父ケ岳、七ツ岳)に入ったところ、そこには見慣れた椿とは違う、美しい花がありました。それこそ幻の椿"玉之浦"だったというわけです。昭和22年のことです。
玉之浦
"玉之浦"の父、藤田友一氏
五島市になる前、旧町名で「玉之浦」がありました。その玉之浦町長だった故藤田友一さんが"玉之浦"を世に広めた人です。
町民からの信頼も厚く、24年の長きにわたり町長を勤めあげた藤田さんは、余生の楽しみの山歩きで、凛と咲く椿に心をひかれていったのです。そんな折、昭和48年長崎市で全国椿展が開かれることとなり、藤田さんにも出品の依頼がありました。藤田さんは満を持して"玉之浦"と名付け、自身の逸品を出したのです。
玉之浦大橋からみる玉之浦町の風景
"玉之浦"の災難と現在
"玉之浦"は紹介されるや否や、瞬く間にツバキ愛好者の知るところとなりました。作り出すことのできない、夢のような美しさの花だったからです。しかし、その人気ぶりは"玉之浦"にとって災いをもたらすものでした。たくさんの人が枝を折ったり、根を切ったりした結果、五島の山にひっそりと立っていた母木は枯れて死んでしまいました。今はその子孫がいろんな咲き方で、世界中の人々の目を楽しませています。名前に"玉"や"タマ"とついているのが子孫です。
【椿と歴史】
地域に息づく椿の薫り
特産物・献上品としての椿油
唐へ遣唐使が派遣されていた頃、日本からの貢物の一つに椿油がありました。
古文書にある「海柘榴油」がそれであると思われ、大変珍重されていたようです。各地の市でも扱われ、生産・流通が盛んであったことがうかがえます。
柏崎公園の辞本涯
平安時代の法令集「延喜式(えんぎしき )」では、壱岐国(現在の壱岐市)からの租税品として椿油が記されています。 江戸時代では、五島藩から幕府へ贈られていました。米の収穫が少ない地域では年貢の代わりに納めていたようです。
椿の実(カタシ)
椿の習わし
福江島の中央部に位置する玉之浦町幾久山(いつくやま)地区。毎年1月23日の恒例行事として「幾久山の大綱引き」があります。
その年の豊作を願い男女に分かれて引かれる綱の中心には椿の花が一枝挿されます。他にもこの地区ではすべての祝い事に椿を用い、椿を愛した幾久山の開拓者、宇久盛重公を偲びます。
注:幾久山の大綱引きは、2011年と2012年は中止になりました。
大山祇神社例大祭
【産地概要】
椿一色
五島は椿の産地
五島列島は、対馬暖流の影響を大きく受け、気候は年中温暖。全域にヤブツバキ(ツバキ原種)などの照葉樹林が広がります。
鬼岳
椿は下五島地域で、主に椿実の採取のために利用されてきました。特に久賀島では村制時代に椿をむやみに伐採することを禁止する条例が制定され、その条例は五島市となった現在にも引き継がれています。
これにより、椿が守られ、原生林や大木を島内各地でみることができます。
この椿を守りながら使ってきた結果として久賀島の風景は、平成23年9月に国の「重要文化的景観」に選定されました。
福江島の北西部に位置する三井楽半島には畑の原初的な形態といわれている円畑が広がっています。椿は冬場の強い北西風などの防風林として円畑を囲むようにして利用されたり、椿実の採種や薪炭材としても広く利用されています。
また、福江島の南東部に位置する大窄地区では、集落の開拓時に防風林(屋敷林)として植えられたものが大木となり、現在は県指定天然記念物「福江島の大ツバキ」(2本)として保護されています。
大窄の大椿
野生のヤブツバキは変種が発生しやすく、なかでも福江島玉之浦の山中で偶然発見された「玉之浦」が幻のツバキとして有名です。
玉之浦
【椿とキリスト教】
五島とキリスト教との関わり
下五島へのキリスト教伝来は1566年とされ、室町時代末期にあたります。これは、領主宇久純定が修道士を招いたことに始まります。
純定の子、純尭は自ら洗礼を受け、その後島内を布教してまわり、信者を増やしていきました。このように五島はキリスト教に寛容なところでした。
福江教会
隠れキリシタンと五島崩れ
江戸の鎖国時代、キリスト教の信仰は禁じられていました。
熱心な信者は五島へ移住し、潜伏信者(隠れキリシタン)として信仰を続けました。しかし、迫害の追手は終に及び、「五島崩れ」など悲劇的な事件が起きましたが、ひたすら教えを守りぬき、今に至ります。
牢屋の窄殉教記念教会
椿とキリスト教の関わり
五島にあるカトリック教会堂のステンドグラスを含めた内部装飾には独特の特徴がみられます。ヨーロッパのカトリック教会堂に対し、五島では規則的に、表現したものが多くみられます。
市内のいくつかの教会堂のステンドグラスには椿が用いられているとの謂われがあります。また、周辺に椿が植栽されている教会堂も見られ、五島では、生活や信仰の上でも、とても身近な植物となっています。
http://gototakaamanohara.livedoor.blog/archives/7622065.html 【椛島・天見ヶ浦】より
五島市椛島は、猿田彦大神の本地と考えられます。猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮・椿大神社の社名にもある椿の原生林があり、大きな実を付けていました。