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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン34-ベルリンのワルキューレ

2021.11.11 09:34

1807年に入ると、ロシアの援軍で、プロイセン・ロシア連合軍がナポレオンに戦いを挑んだが、6月14日のフリートラントの戦いに敗北し、プロイセンはなすすべがなくなる。6月26日に講和会議が開催されるが、なんと当初会談をするのは、ロシアのアレクサンドル1世とナポレオンで、プロイセンは交渉できなかった。

このピンチに立ちあがったのが、普王妃ルイーゼである。実は彼女は主戦派で、ベルリン占領後、ナポレオン贔屓となった新聞は、彼女を「ベルリンのワルキューレ」とあだ名をつけた。しかし彼女の美貌は有名で、それを武器に、美女をはべらかすのが好きなナポレオンに会うことになるのだ。

会談に臨み王妃は「私は死にに行きます」と日記に書く。彼女は嫌々ながらナポレオンのご機嫌をとったが、聞き入れられず、国土は半分に減らされ、多額の賠償金、仏軍の駐留が強制された。ポーランドの亡命者がナポレオンに協力したご褒美に、ポーランドはワルシャワ公国として一時復活する。

しかし王妃ルイーゼの必死の努力は愛国者の心を打ち、後にドイツナショナリズムとして復活することになる。09年に国王夫妻が、ベルリンに帰還できたときには、詩人クライストは「プロイセン王妃に捧げる」という詩を書いた。そして遠くローマ軍を食い止めた英雄アルミニウスを讃える「ヘルマンの戦い」を書く。