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砕け散ったプライドを拾い集めて

感謝祭

2021.11.12 03:09

■1980年代半ば、ボストン近郊のケープ・コッド湾のプリマスに来ていた。ピリグリム・ファーザーズ(清教徒)たちが〝ミルクと蜜〟のような夢を積み込んだ「メイフラワー号」で新大陸を目指して辿り着いたところがここだった。アメリカの「聖地」の一つ。 11月だというのにように凍えるように寒く、時折雪がちらつく。彼らが11 月21日と伝えられる上陸の第一歩を記した岩がパルテノンのような建物のなかに鎮座してあった。まあ、そうだろうね。ここから今のアメリカ合衆国が始まったのだから。

<プリマス港に舫っている「メイフラワー号」のレプリカ>

<ピリグリム・ファーザーズが上陸大一歩を記した岩>

<「マサソイト酋長」の銅像>

 
その公園の中央に銅像がぐいっと虚空を睨み仁王立ちしている。「マサソイト酋長像」だという。
 彼ら清教徒たちが3ヵ月の航海で病苦に耐えよれよれになって、ここに漂着したときは11月21日と伝えられている。 見るに見かねた「酋長マサソイト」が来春の為に貯蔵していたタネトウモロコシとかタネイモとか七面鳥を彼らに提供してやり、家や土地……「プランテーション(農園)」までも提供してやった。

<プリマスに保存されている「プランテーション」>

  ヨーロッパの収穫祭にプラスして、この故事が重なったのが「感謝祭(サンクス・ギビィング・ディ)」の起こりと言われている。つまり、インディアンに感謝するのが一番重要な精神であるべきなのだ。

しかし、そのイギリスからの〝食いつめ者たち〟の子孫は見る間に繁殖し傲慢になり、インディアンたちのさまざまなものを盗み、貪るようになり、遂に「マサソイト」の息子は立ち上がり白人どもとの戦いに打ってでた。よく戦ったが、敗れた。
もし、「マサソイト」が清教徒たちを厳寒の冬に放置していたり、皆殺しにしていたなら、アメリカの歴史はまったく違ったものになったと思う。 その後も、ヨーロッパから〝食い詰め者〟や〝一獲千金組〟そして〝悪党〟が押し寄せてきて、中西部方面に土地を手に入れたいという必要性が高まった。その需要に応えて、「フロンティア」……つまり〝インディアン殲滅前進基地〟がセットされた。「クレイジーホース」などの英雄が巧みに騎兵隊と戦ったが、虐殺されていった。 それだけではなかった。ヨーロッパ人が持ってきた天然痘にインディアンたちは抗体がなく、そのことでもバタバタと死んでいき、部落が全滅したところも出てきた。
コロンブスが新大陸発見の時、今のアメリカ合衆国には150万人とも500万人ともいわれるアメリカン・インデアンが住んでいたが、「フロンティア」が終焉してしまった1920年の統計では35万人まで減少していた。(幸い、今は200万人レベルに復活しているという。)
アメリカの東はイギリス風な地名が多く、南とか西はスペイン風が多いのは歴史的にそれらの植民地であったことを物語っている。しかし、この広大な大陸の内部の方までは彼ら白人も跳梁跋扈することができなかったので、アメリカン・インディアンの地名や表現に因んだ地名が多い。
州名でも、アイオワ(美しい土地)、アラバマ(茂みを開く人)、アリゾナ(小さな泉)オクラホマ(赤い人)、オハイオ(巨いなる湖)、テキサス(友人)などなど……。 インディアンの酋長の名前がそのまま地名になっているところも結構あるが、この「酋長マサソイト」から名付けられたのが「マサチューセッツ州」であり、聡明で名演説者であった「シアトル酋長」の名からのものである「シアトル市」が」が有名だ。

■プリマス訪問から15年後くらいになろうか、ニューメキシコ州の「サンタフェ」からさらに高地に上ってコロラド州境に近い「タオス」のプエブロ(インディアン部落)にいた。


 その部落で土産物の鉄工芸品を作っているホピ族のインディアンと話したときに、その部落に毎年の感謝祭に決まって山のような荷物を抱えてやってきて、村中の人々全員にプレゼントをして何日かは泊まって帰って行く日本人(多分日系人)がいると聞いた。ボストンで医者をやっている人物だという。プリマスの人かも知れないと思った。いずれにしろ、その彼はインディアンからの愛とか好意を忘れずにおこうという「感謝祭」の精神を律儀に守り通しているのだなって、心が熱くなった。

 ■しかしながら、当事者のインディアン達にとっての「感謝祭」は、この日を境に先祖達の知識や土地がヨーロッパからの移民達に奪われた「大量虐殺の始まりの日」としている。とりわけマサソイトが率いたワンパグノアグ族を中心とする「ニューイングランド・アメリカンインディアン連合」はこの日を「全米哀悼の日」として毎年デモ行進を続けている。 アメリカン・インディアンの友人がいるアンジェリーナ・ジョリーは「感謝祭」に対して拒否反応を示している。そして歴史の教科書をアメリカン・インディアンにも配慮したものに書き直すようにも求めている。彼女の母親にはアメリカン・インディアン「イロコイ族」の血が混ざっているということが大きいと思う。まあ、彼女自身にはインディアン以外にスロバキア、ドイツ、フランスの血も流れてはいるのだが。

 芸能関連でインディアンの血を受け継いでいる人を探すと、スティーブン・タイラー、 エルビス・プレスリー 、ジェームス・ブラウン、ジョニー・ディップ、キャメロン・ディアス、 ケビン・コスナーなどと結構インディアンの遺伝子は頑張っている。

 ■そのようなことがあったとしても、この「お祭り」というか「習わし」って〝いいな……!〟って思う。
アメリカ人にとって、この「感謝祭」から「クリスマス」まで、全員が浮き足立ってしまう……言わば〝長めの正月〟って思えばいい。オフイスは人がいなくガラガラになる。要するに、広いアメリカを散り散りになった家族がなんだかんだと集まる期間にもなっている。 そのようなファミリーの事だけではなく、家族から離れて独りぼっちでいる赤の他人にまで声を掛けて、「ターキーうまく出来たから食べにこない?」って誘ってくれる。事実、私も何度か誘われて一緒に「感謝祭」を体験した。つまり、 「サンクス」を「ギビング」する期間なのだ。……アメリカン・インディアンが持っている〝見知らぬ人にまで温かくもてなす〟精神……が息づいている。つまり、プリマスの「マサソイト酋長」が「清教徒」たちにしてくれた事そのものなのだ。
正式な「感謝祭」には見事な羽飾りの大酋長を招待するのはその故事に倣っている。

 ■アメリカは「メルティング・ポット」(人種の坩堝)なんかではなく、かき混ぜられた「サラダ・ボウル」に過ぎないという人もいる。そのかき混ぜられた底には傷ついた者達が沢山いる。アメリカン・インディアンはその大きな傷の一つだ。
そうだとしても、それらさまざまな民族のエキスとかテイストとかエトスとかが混じり合って、ついにはいい具合に発酵してメルトしてくれるものなのだとも思える。

 ■ホモジニアス・ソサイアティ(同質社会)の日本では常に独創性とか多様性とか、はたまたセレンデビティとか言われてきたが、一向にそうはならない。
アンジョリーナ・ジョリーを見れば分かる。彼女一個人で独創性も多様性もセレンデビティもすべて持ち合わせている。多くのアメリカ人がそうだ。それらの大きな塊が〝パックス・アメリカーナ〟を引っ張っているのだ。

米「感謝祭」は11月第4木曜日と定められているので、今年は25日。チキンじゃなくターキーだよ。