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〝軽み〟ならぬ〝重み〟の時代へ

2018.11.12 07:06

https://kigosai.sub.jp/bs/?p=31186 【髙柳克弘さんの HAIKU+】より

2019年12月11日

「今何が俳句で問題か」という統一テーマで、現在ご活躍中の俳人をお迎えして俳句の未来を考える「HAIKU+」。その第3回が12月1日神奈川近代文学館で開催されました。講師は俳人の髙柳克弘さん。人気、実力とも若手トップランナーのおひとり髙柳さんのお話に、参加者一同、惹きこまれました。以下、髙柳さんの講演録を紹介します。

〝軽み〟ならぬ〝重み〟の時代へ 髙柳克弘

はじめに

芭蕉が晩年に辿りついたという〝軽み〟。現代俳人にも少なからぬ影響を与える〝軽み〟ですが、口当たりの良い言葉がもてはやされる現代には〝重み〟こそが意味を持つのではないでしょうか。〝重み〟は主題を持つことで生じると私は考えます。俳句において季語は必ず主題であるべきなのか。俳句で思想や観念を書くことはできないのか。俳句ならではの主題の表現法とは何であるのか。みなさんと一緒に考えてみたいです。

私は一九八〇年に生まれ、いわゆるロストジェネレーション世代です。バブル崩壊後、将来不安が蔓延して、企業が新人採用を控えたので、就職氷河期になりました。そんな中、就職活動はしないで、俳句の研究や実作で生計を立てようとしたんです。とても不安なとき、芭蕉の「薦を着て誰人います花の春」という句が、すごく救いになっていたんですね。そんな思い出があるものですから、私の原点には、俳句は生を支えてくれるものといいますか、人生とは何か、生きるとは何かという主題をしっかりと持った、重みのある言葉だという認識があるんです。

私が今日お話しようと思っているのは、まずは①俳句には主題の重みがほしい、②主題を伝える技巧を磨きたい、ということです。

まずは①についてです。日常的で常識的な見方に即した句は、軽いのではないか。もちろん、日常的な感覚は大切です。芭蕉の「薦を着て」の句も、新春のにぎわいの中に見かけた乞食の姿が発想の源にあるわけです。ふつうだったら、はなやかな雑踏の中で薦をかぶっている人を見たら、かわいそうだ、とかああはなりたくない、というふうな感想を抱き、そのような感情を滲ませて詠むでしょう。でも、この句では「います」と、ふつうとは違う見方をしている。題材や言葉づかいは、日常から発していても、物の見方は、日常とは違う。つまり、俳句を作る主体は、生活者であることを、どこかで切り捨てなくてはならない。日常を成り立たせている常識を疑い、問いかけ、ときに否定する。今の言葉でいうところの、〝批評精神〟ですよね。芭蕉はそのことを風狂といったのではないか。日常を、日常的な視点から詠んでも、あまり面白い俳句にはならない。ある偏った物の見方、変わった物の見方をすることで、日常の中にも、さまざまな主題を拾うことができるのだということです。自分の中の、偏りやこだわりを大事にしたい。

題材が日常的であることや、言葉遣いが平明であることを軽いといっているのではなく、物の見方の軽さ、〝批評精神〟なき句を、「軽い句」と定義したい。

芭蕉はよく旅をしていますが、それも、旅人となり、生活者であることを切り捨てるためでしょう。生活者とは、この世で生きていく常識を身につけ、常識の範囲内で生き、生活を安定させることを第一に考える人、と定義しておきます。

旅の中で作られた句が、生活者の視点を切り捨てていることは、推敲の過程を見ればわかります。『おくのほそ道』の旅で、黒羽の光明寺の行者堂を訪れたときには、役行者の下駄を拝観して、「夏山や首途を拝む高あしだ」と詠んだ句を、

夏山に足駄を拝む首途かな

と直しているのは、見事な主題の発見だと思います。前者では、「高あしだ」の珍しさに主眼があるのですよね。直したあとだと、旅立っていくことそのものに主眼が移っている。前者は軽い句ですが、後者は重みが加わった、ということがいえるのではないか。旅で俳句を詠むとき、ついつい、物珍しさに目を奪われてしまうのは、まだ日常の意識が抜けていないから。あるいは、須賀川で等窮宅の庭に庵を結んでいた脱俗の僧・可伸を訪ねた際は、「隠家やめにたたぬ花を軒の栗」という句を作り、あとで、

世の人の見つけぬ花や軒の栗

と推敲しています。前者は、栗の花を、芭蕉もまだ見つけていません。隠れ家の主は見つけているのですが、芭蕉は見つけていない。でも、推敲したら、芭蕉も主の側にいってしまった。目立たない栗の花の良さを知る人になってしまった。「世の人」であることを、やめてしまっているわけです。

芭蕉が最後に行きついたのは軽みの境地だということで、現代俳人もそこに到るべきなんだ、とよくいわれますが、果たして芭蕉の最高の作はそこにあったのでしょうか。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という芭蕉晩年の句は、旅への妄執ということが主題になっている。軽みといいながら、芭蕉は最後まで、軽くなりきれていない。日常を日常のままに終わらせないのが芭蕉という俳人でした。

主題だ、重い句だといっても、俳句は音数がとにかく短いですから、人生だの愛だのといった観念的な命題を扱うのは難しいという意見は、古くからあります。俳句ではむしろレトリックを重視する立場ですね。何を詠うか、よりも、どう詠うか、が問題になるということです。思想対レトリックの構図で言えば、正岡子規と夏目漱石が若き頃に交わした書簡の言葉が、私にはとても響きます。

故に小生の考にては文壇に立て赤幟を万世に翻さんと欲せば首として思想を涵養せざるべからず。思想中に熟し腹に満ちたる上は直に筆を揮つて、その思ふ所を叙し沛然驟雨の如く勃然大河の海に瀉ぐの勢なかるべからず。文字の美、章句の法などは次の次のその次に考ふべき事にてIdea itself の価値を増減スルほどの事は無之やうに被存候。

明治二十二年十二月三十一日付正岡常規宛夏目金之助書簡より

明治二十二年ですから、彼らが二十二歳のときですね。子規が文章を書き散らしてばかりで、アウトプットばかりでインプットが足りない、だからもっと読書をして思想を持つように友人として助言している文脈であり、詩歌について述べたものではないのだけれど、思想を第一、レトリックを第二と強調しているのは、重要だと思います。なぜなら、夏目漱石は文章はもちろんのこと、やはりその俳句もかなり観念的だからです。

菫程な小さき人に生れたし    漱石

無人島の天子となれば涼しかろ

といった句は、彼のいうところのイデアの表明でもあるでしょう。欲得を離れた、自然や天命に従う生き方をしたいということ。後年、「即天去私」の四文字で示される思想です。漱石は、俳句でイデアを詠むことに何の問題もないということを証明してみせたわけです。手紙のやりとりのなかで、漱石の発言に、子規はまともに反論できていません。子規に限らず、近代俳句は長らく、漱石の問いかけ、つまり思想という問題から目を背けて来たように思います。

高浜虚子は「季題」という言葉で、俳句の主題を、季節の話題に限定してしまった。季語を深く詠みこんで、人生や真理の話題に至るということも、もちろんありうるでしょう。虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」は、時間は移ろうのだけれど自分の意思だけは曲がらないという、伝統的な無常観に抵抗する思想を詠み込んでいます。ただ、季題中心主義では、表現し得ないものもある。虚子は、俳句に表現できる限界を定めたわけですが、俳句はそれほど狭いものではないのではないか。実際のところ、現代の私たちは、季語を主題にして句を作っているでしょうか。現実には、季語の力を借りて、といいますか、言い方は悪いのですが季語を利用して、だしにして自分の言いたいことを言っているのに近いのではないか。たとえば、

妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る    中村草田男

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む   金子兜太

これらの句の場合、わかりやすく「妻抱かな」「原爆許すまじ」に主題があるといっていいでしょう。「春昼」や「蟹」という季語は、主役というよりも脇役です。こうした句は、季題中心主義によっては辿りつけない主題を持っています。

ここで、②主題を伝える技術を磨きたい、という話題に入っていきます。この技術というのは、主題を多義的に伝える技術といいかえられます。多義的、曖昧性とか、ポリフォニック(多声的)とか、さまざまな言い方を考えているところなのですが、要するに主題がはっきり伝わり過ぎないよう、ごまかすというか、まぎらわせる技巧がいる。たとえば兜太の句にはどこか「原爆許すまじ」の深刻さを茶化すような声もひそんでいる。「蟹」が出てくるところがそうでしょう。蟹がはさみをふりあげているのって、どこか滑稽ですよね。「蟹かつかつ」と妙にリズミカルなのも楽しい。原爆を取り上げた句に、滑稽味があるというのは、日常的な倫理からすると許されないことかもしれないけれど。でも、この句は滑稽味もあるから、悲壮感も際立ってくる句なんだと思います。

それから草田男の句も、「妻抱かな」はすごくエロティックなんだけれど、「砂利」を踏んでいるというのが、なんだかおかしい。「春昼の道踏みて帰る」じゃだめですよね。コンクリートの道をまっすぐ帰るというのでは、「妻抱かな」が伝わり過ぎる。「砂利」を出すと、リビドーに駆られてものすごく心は逸ってるんだけれど、砂利に足をとられて進みづらい、ジャリジャリ靴の音が鳴っている、ともすればコケそうになっている、というどこかリビドーに駆られている自分を茶化しているようなところもある。

これらは二つとも、ずいぶんまじめなことをいっているのだけど、どこか句の中には、そんなまじめさを茶化すような声も聞こえてくる。主題を示しつつ、主題を薄める、濁らすという処理が必要になってくるわけで、これは特に俳句に限ったことではないです。

主題を持つことは大切なんだけど、主観をぼかすことも大切だということ。ぼかした方が伝わると言うのかな。異化作用っていいますよね。すごく単純化して言うと、たとえば、竹下しづの女の句で、

短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎

は多義的、多声的ですが、仮に、

短夜や乳ぜり泣く子をひたあやす

などとしてしまうと、独白的になってしまう。短夜の句は、一句の中に、いろんな声がある。「明日も早いのに、いやになっちゃう」「いっそのことうっちゃってやろう」「いや、やっぱり大事な我が子だ」というふうに、漫画でよくある、頭の上で天使と悪魔があれこれ言っているみたいなものですね。主題としては我が子の愛おしさということになるでしょうが、それをぼかしている、わかりにくくしている、ということでしょう。わかりにくくないと、伝わらないという矛盾を、詩人は突破しなくてはいけないわけです。

さきほど、「軽み」ということはあまり芭蕉にとって重要ではなかったのではないか、最後まで芭蕉は軽くなりきれなかったではないか、というような話をしましたが、軽みの対義語は「重み」ではなくて、「重くれ」なんですね。否定的な意味がかなりこめられた言葉です。「重くれ」というのは、モノローグ的で、一方的な俳句が「重くれ」なのではないか。なかなか芭蕉の言葉を追っても「重くれ」の具体的な作例は見えてこないのですが、知識偏重で、作者が出張り過ぎている句を「重くれ」といっているようです。私は、『去来抄』にある、

時鳥帆裏になるや夕まぐれ  先放

について去来が、はじめは下五が「明石潟」であったのを、「夕まぐれ」に直したというエピソードに注目しています。去来は「時鳥帆裏になるや」でじゅうぶん景色としても情感としても面白いから時鳥の名所である「明石潟」をつけるのは「心のねばり」であるといっている。この「心のねばり」が「重くれ」に近いもので、読者の多様な解釈を妨げてしまうものだと理解しています。「明石潟」だと、「ふた声ときかずはいでじ郭公いく夜あかしのとまりなりとも 藤原公通」(『新古今和歌集』)にもあるような、時鳥の名所に来た喜びという、解釈が一つに定まってしまう。作者が意図する解釈ですよね。「夕まぐれ」だとぼかした感じになって、どこの港でもよくなる。

つまり、「重くれ」と「重み」は違うということ。「重くれ」は困るけれど、「重み」と「軽み」は矛盾しない。「重み」を備えた「軽み」もあるということです。結局のところ、これが理想なのでしょうね。作者の主張がきちんとこめられていながら、多様な解釈も許すという。現代俳人の例では、「来ることの嬉しき燕きたりけり 石田郷子」「夏の闇鶴を抱へてゆくごとく 長谷川櫂」「空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明」などは、私の目指したい、重みのある句です。

最後に恥ずかしながら、私自身も主題を大事に作ってみた句をいくつか紹介してみます。

僕はちょっとおかしな家に育ちまして、父が暴力的というか、今でいうドメスティックバイオレンスが平気でまかりとおる家でしたので、「家庭」というのは本当に安らげるものなのか、家庭が束縛になることもあるのではないか、というようなことを、俳句を通して考えてみたいという思いがあります。

卓に葡萄「まるで家庭じゃないみたい」   克弘

聖家族万引き家族運動会

あとは、現代日本の大勢の人間が属している企業文化と、隔たったところで生きているという負い目と自負というものも、考えていきたいテーマです。

ビルディングごとに組織や日の盛      克弘

通帳と桜貝あり抽斗に

こんな感じです。もちろん、これらは自信作というわけではなく、いろいろ挑戦している途中といったところです。まだまだ長い俳句人生ですから、失敗も重ねつつ、生涯に二、三句くらい、主題を持った、重みのある句ができればいいと思っています。