気脈をむすぶへの過去記事
「Facebook 気脈をむすぶ」への過去投稿記事がいきなりアップされ驚いています
2014年7月4日
自己紹介をさせていただきます。
命という字は人が一を叩くとかきます。
私は一を求める歩み、真実の一に出会う歩み、命の歩みを 歩み続けてきました。
人間は 一人一人ユニークで独自の存在のように見えながら関係存在として 相互作用、相互依存なしに存在できません。命の営みそのものは 代謝機能を持ち 全てが循環しています。細胞から構成される人体は 元素から成り、 全てがエネルギー(粒子であり、波動)であることを示唆し まるで宇宙の全てと相似形を成すかのようです。
きらきら光るプラウナやオーラも タオの概念も それを裏付けるかのようです。
循環しあうということは この私は吾であり・宇宙全体であり、 実であり・虚であり、有であり・無であり、二元であり・一元であるという意味です。
タオの概念に沿うと この私は陽と陰 光と水、遠心力と求心力 義と愛、男性性と女性性、西洋と東洋、左脳と右脳、分析と和合etc.の調和、バランス として存在します。
二元的一元であるという意味です。
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私は11年あまり霊現象に翻弄されてきました。
発端はヒーリングスタジオ開設に当たっての自己浄化にあります。
思春期の私は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。
太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし、退学届を出したりもしました。
自殺未遂もしました。
嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて 呼吸を止め やり過ごし
耳に蛸ができるほど「生きる意味?生きる意味?」と 問い続けました。
生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら時を送り続けました。
このような様を、レギオン(新約聖書 自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ 吠え続ける悪霊)に譬えられました。
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小さな自分が「求めても答えられない問い」を問い続ける愚かを思い知り、堂々巡りを止めようと決めました。
「意味を問う愚か」から 命の主・絶対者から「生き方を問われるもの」となろうと決め
神の啓示者「イエスと雲のような証人」に賭け、クリスチャンになりました。
結婚後 クリスチャンワーカーになるべく (子育てをしながら)大学生となり、大学院でも聴講し 要約 学ぶことを始めました。
院では自分の成育歴を振り返る課題もあり 戸籍を取り寄せてファミリーツリーを完成したり 聞き取りをしたり 今までタブーだった自分の過去を取り戻す作業をしました。
それまで私は実母の名も、いつ、何が原因で亡くなったかも知らないままでした。
愛する者に自分の歪みを手渡したくないと願い 本格的な心理療法の学びも始めました。
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教会は世俗化し、聖霊との出合いはなく、子育ても一段落付き 教会での働きに喜びが持ち切れず 残された時をどのように過ごすのが神のみ旨に沿うのか 改めて問う時が来ました。棚上げした生きる意味への問いも また浮かび上がってきました。
このときの答えは「意味は自分が創造するもの」でした。
私の創造した意味は愛する者の幸せです。私たちは過去の経験から
1・いろいろな信じ込みを持ち(色眼鏡眼鏡をかけ)
2・未来を制限します。
3・過去を清算し
4・未来に空を生み
5・愛する者の幸せのために可能性を広げていく、
それが答え(創造した意味、生きる意味、生かされる意味)です。
私の人生での出会いの特徴はキリスト教と心理療法です。
NLP,、スリーインワン、ブレーンヨーガ・マスターヒーラー、ブレーンヨーガ・指導者、ブリーフセラピィ、催眠療法、キネシオロジー、認知療法、ユング(箱庭中心)、アドラー
其の他いろいろな学びをし、それなりの資格も習得しました。シーターヒーリングも資格取得中です。心理療法こそ 過去を清算し未来に空を生む方便です。
人生で出会ったものを他者のために生かすことは 「生かされてきたことへの感謝とお返し」であり、自分の人生の統合でもあると考えました。次の働きの場をヒーリングスタジオに選んだ理由です。
他者の援助をするためには是非とも自分をクリァリングする必要があります。
その為に必死で一人セッションを続けました。一番大きなトラウマである デビルチャイルドのスタックポイントを解放したときに 身体が立っておれないほど振え 鮮やかなアメジスト色の光が輝き、次いで白昼光が輝き(二回繰り返しました)次の日やや鈍い光の繰り返しを見ました。それから霊現象がはじまりました。
すべてに紫光が見え始めました。、(目を閉じたときの紫光は 平安そのものでしたが
マゼンダーやライトグリーンの光も見えました)
基底部から(前につんのめる様に)エネルギーがあがり続けました。
それは心地よい体験でした。クンダリーニエネルギーが覚醒したわけです。
それから白くて透明な歪んだ像が見えたり 目を覆いたくなるような苔むした 醜い蛇(龍?)やサソリが見えたり 事物の裏に色々な像が見えたり 美しいコーラスや 自然の音 、リズムに乗って 霊のメッセージが聞こえたり その話の内容は (脳の情報を読むこともありましたが、)私の知らない世界のことばかりでした。
一晩にこむらがえりが3,4度起こり始めたのがスタートでした。
心停止が起きたり 歩くことができなくなったり 指がなえて伸びなくなったり 毎朝 瞼は開けようがなく 指でようやく開ける状態でした。
死と隣り合わせの 霊現象は書き上げればきりがありません。
人知を超えた「死と隣り合わせの不思議な現象」はどんな意味があったのでしょう?
ヒーリングスタジオを通しての人生へのお返しより 霊的な戦いのほうが 私の真実のライフビジョンかと思ってしまいました。(顕在意識の意図を超えて起こってしまいましたから)
霊現象は同時に激しい魂の嘆きを伴うものでした。
ダンワールドの主宰するセドナ瞑想旅行に参加したことがあります。
ベルロックに足を踏み入れた途端 跪きたいような畏敬の念と嘆きが起こり 涙を流し続けてしまいました。
かの有名なグラウンド・キャニオンにも行きましたが 大した感慨もなく シナイ山の勇壮さを偲んでしまうほどでした。
ダンワールドではダイナミック瞑想をしながら 魂の吠える嘆きを嘆き続けました。
ようやく霊障も終え、魂の嘆きの意味も自分なりに 明らかになり再出発の準備をするつもりです。