星空のデュエット
今日、私が生きている時点で。
後にも先にも『音楽』を聴くことができなくなったのは、我が娘が生きて動く姿をこの世で見れなくなってしまったときだけでした。
4年10ヶ月前、一時的とはいえ『音』を『楽』しめないどころか、聴くと苦しい気持ちに拍車がかかり、呼吸が荒くなってしまうというそんな時期が一年近く続いていたのです。
娘の事以前も以後にも、悲しく辛い出来事はあるにはあったのですが、やはり愛する我が子の自死は、恐ろしく狂おしい出来事なのだなと、あらためて思います。
その後、様々な人々に出会い助けられて生きてきて、今はやっと【『音』を『楽』しめる?…音楽を聴いて想いを馳せることができる】というその域に、やっと至りました。
この週末、亡き娘繋がりで出会うことになった方からチケットを入手し、クラシックギターとフラメンコギターのデュエットという、ミニコンサートを観に行くことを予定していたのです。
ギターに関してはまるで詳しくない私であれ、クラシックとフラメンコという全く雰囲気の違う双方の奏者が、同じステージ上でどんな音を醸し出すのか興味があり、とても心待ちにしていましたが。
思いもよらぬ悲しい出来事があり、キャンセルしようかぎりぎりまで迷っていました。
けれど、手にしたチケットに印刷されているコンサートタイトルをあらためて見て、とても思うこともあり、主人と共に埼玉県所沢市にある某コンサートホールに向かいました。
📷埼玉県所沢市 航空公園駅前
こうした会場で生演奏を聴きに行くというのは、事後初めてかもしれません。
まるで、この日の私の心を見透かされたように(!?)、第一曲めとして奏でられたのは、あの名曲『アメイジング・グレイス』でした。
グレイスとは『神の恵み』。
娘が先立ってからは、神なんぞいない!と、以来神社にさえ行かない主人が、この曲のギターバージョンを、一緒にとなりで聴いているという不思議。
そういえば、長女も、次女亡きあとに同じ台詞を口にしていたなと思い出しました。
そんなことがあってから、この4年10ヶ月の間、時々私は考えていたのです。
もともと神は誰かの願望を叶えたり、(人の都合に合わせて)救うという、そのための絶対的な存在ではないのでは…、と。
神のご加護を!と言って聞かせるのは人間。
なのに、なにか事あるごとに、
『神様のお陰だね。゚(゚´Д`゚)゚。』
『神なんていねぇ!ヽ(`Д´#)ノ ム』
と、事がその人に与える影響が大きければ大きいほど、祀り上げられたり、真逆に踏んだり蹴ったりにされてしまう神様。
それでも怒らず祟らず沈黙を保つのは、神様ゆえだからでしょうか。
――神様って大変だな。
ちょっと話が脱線気味になりました。
『星空のデュエット』
第一部、クラシカルなひとときを~より、
♪アメイジング・グレイス
あの世もこの世も隔たりなく、出会ってきた大切な方々へ。
祈りと感謝の気持ちを込めて。
◆自死遺族の集い