背教者ユリアヌス2-プラトン学徒の勝利
2017.05.08 01:40
ユリアヌスにギリシャ・ローマの教養を身につけさせたのは家庭教師のマクシモスであった。ユリアヌス20歳、もちろん彼の正式の師はエウセビオス司教で、洗礼も済ませている。彼はローマの神々への回帰を秘密にしていた。354年、異母兄のガッルスが処刑されたときは、ユリアヌスは皇后のおかげで難を逃れた。
ところが翌年、人手不足で副帝にされるのだから勝手なものである、23歳。ユリアヌスは、大帝亡き後の混乱でゲルマンが侵入したガリアに赴任した。実戦経験はまるでなし、しかし彼にはローマ帝国への熱烈な愛情、忍従の生活と哲学で養われた冷静さと誠実さ、そして弁舌力があった。兵士も忠誠を誓うようになり、ゲルマン相手に戦勝を収めた。
戦術力を使えばゲルマンに勝てると悟ったユリアヌスは、これまで学んだローマ史の知識を総動員してライン川のリメスに沿って北上し、ケルンまで奪回してしまった。ローマ軍を建てなおせばまだまだいけたのである。とはいえ彼は「おお、プラトン、プラトン、なんという難業か、哲学者にとっては!」と言っていたと伝えられる。
357年、現ストラスブールで、アレマンニ族クロドマル王との決戦が行われた。当初援軍25000人が送られていたが、この援軍はあっけなく敗れれば帰ってしまった。ユリアヌスは3倍近い敵と対峙して言った「ああ、カエサルが見たら諸君らを何と讃えただろう。まさにこれは全ローマの歴史の中でただ一度の決戦なのだ」彼の演説と陣頭指揮によってユリアヌスは勝利した。
下はユリアヌスが勝利したアルゲントラトゥムの戦い