改憲問題、朝日の洗脳工作には屈しない
そこまで言うか、と思った。朝日の5月4日「社説」である。これではまるで念仏かおまじないの類と変わらない。「南無9条、南無9条、ナームー」と唱えていれば、北からのミサイルは避(よ)けてくれるとでもいうのか?
以下引用。
「台頭する隣国・中国と、内向きになる同盟国・米国。北朝鮮の核・ミサイルによる軍事的挑発はやまない。日本は自らをどう守り、アジア太平洋地域の平和と安定のために役割を果たしていくか。答えに迷うことはない。憲法9条を堅持し、先の大戦の反省を踏まえた戦後の平和国家の歩みを不変の土台として、国際協調の担い手として生きていくべきだ。」
「9条を改める必要はない。戦後日本の平和主義を支えてきた9条を、変えることなく次の世代に伝える意義の方がはるかに大きい。」
「中国や韓国との関係を考えるときにも、他国を攻撃することはないという日本の意思が基礎になる。侵略と植民地支配の過去をもつ日本は、その歴史から逃れられない。」
「安全保障の文脈にとどまらない。戦前の軍国主義の体制ときっぱり決別し、個人の自由と人権が尊重される社会を支えてきたのも、9条だった。これを改めれば、歴史的にも社会的にも、戦後日本はその「骨格」を失う。戦前の歴史への反省を否定する負のメッセージと国際社会から受け取られかねない。その損失はあまりにも大きい。」(引用終わり)
見ての通り、朝日の主張に一貫するのは、日本人は、過去に戦争を起したという歴史を永遠に心に刻み、反省し続けないと、いつふたたび軍国主義に戻り、侵略戦争や植民地支配を始めないとも限らないという、日本と日本人を馬鹿にした浅薄な見方なのである。これこそ、戦後の日本に憲法9条を押し付けたGHQの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP)」という洗脳工作に他ならない。朝日は、その洗脳工作を現代にも持続させる役割を自ら代表として担い、本多勝一の「南京大虐殺」や吉田清二の「慰安婦狩り」など虚偽報道を交えながら、一貫して日本人の洗脳を煽り続けている。朝日の社説が「憲法9条がないと、戦前の軍国主義と決別し、個人の自由と人権を支えることもできない」と主張していることがそのいい証拠だ。憲法9条は戦後日本の「骨格」であり、「9条は日本の資産である」とまで主張する。そこまでいえば、ほとんど神がかり的な「9条さまさま」のカルトの世界だ。それよりも、憲法9条のせいで、存在自体が違憲だといわれながら、現実に命を張って日本を守ってきた自衛隊員とその家族の立場はどうなるのか。ほんとに9条がなければ、日本の平和国家としての歩みはなく、個人の自由も人権もなく、国際社会からの尊敬も得られなかったのだろうか?
過去の戦争に対する反省といえば、戦後70年余り、毎年8月15日や12月8日が近づけば、新聞テレビは必ず「戦争特集」や「特別番組」を組み、二度と戦争はやりませんと誓いをたて、日本人の心に沁みる反省材料を提供し続けてきた。また多くの知識人や文学者、歴史家らもさまざまな戦争資料や戦争体験をもとに、戦争の悲惨さ、愚かさを作品に表現し、それらを通して日本人を教育してきた。そうした努力の成果は、戦後70年、世界に冠たる平和国家、民主国家、福祉国家として歩んできた実績こそが雄弁に物語っている。
戦前の日本が戦争への道へ突き進み、他国を侵略して多くの過ちを犯したことは、日本人なら皆、分かりきったことで、いまさら誰かに指摘され、指弾されて気づくことでもない。先の戦争に対する反省があったからこそ、戦後は、一貫して平和国家としての道を歩み、専守防衛に徹してきたのである。その日本が、今ふたたび戦争を起し、他国を侵略する必要や理由がどこにあるというのか。軍国主義と呼ぶに値する国は、申し訳ないが日本ではなく、中国や北朝鮮であることは、朝日以外の世界中の人々が知っていることだ。
朝日の社説は「侵略と植民地支配の過去をもつ日本は、その歴史から逃れられない」といい、9条を改めれば「戦前の歴史への反省を否定する負のメッセージと国際社会から受け取られかねない」と主張する。しかし、そんな過去の歴史にいまだに拘泥し、歴史を材料に日本を非難、攻撃してくるのは中国、韓国、北朝鮮の3国だけで、けっして「国際社会」ではない。中国、韓国、北朝鮮が日本の過去の歴史にこだわるのは、彼らの側に日本を永遠に貶め続ける必要があり、そうでなければ、自分たちは優位に立てないと考えているからだ。彼らの歪んだ自尊心を満足させるために、日本の若者たち、その子や孫の世代にまで延々と謝罪を重ねさせ、卑屈にさせる必要がどこにあるというのか?自分たちの手の届かない過去の世界についてあれこれ云々するよりも、いま現実に暮らす世界の解決すべき課題に向けて、互いに手を取り、知恵をだすべきではないか。中国や韓国が日本の戦争の歴史を取り上げるのは、自分たちが抱えるさまざまな国内問題から国民の目を逸らすための手段に過ぎない、ということをそろそろ気づくべきだ。
ところで、自由党の森裕子参議院議員は3日、「安倍晋三首相の存在そのものが憲法違反だ」と訴えたという。それをいうなら、選挙で自民党候補など与党に投票して3分の2の議席を獲得させ、今も支持率50%を越える安倍内閣への信任を表明した国民全員も憲法に違反したことになるのだろうか。
憲法記念日にあわせ憲法論議が高まる中で、その森裕子議員はNHKの討論番組で、自民党の憲法草案が削除した憲法第97条は「本当にすばらしい文章だ」と強調し、自民党による改憲意図を非難した。
その第97条は以下のとおり。「この憲法が国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に耐え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
確かに高邁な理想を語っている。ただし憲法前文にある以下の文章についても言えることだが、高邁な理想とは違い、現実にある国際社会の姿とあまりにもかけ離れていないか、が気になる。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
「人類の多年にわたる自由獲得の成果」として、さらに「侵すことのできない永久の権利」(97条)としての「基本的人権」が、北朝鮮やチベット、新疆ウィグルで確立していると言えるか。さらに「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」(憲法前文)というが、中国、北朝鮮の現実はそれとは程遠い。高邁な理想を掲げるのはいいとして、現実の日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することなど不可能なことは明らかだ。
国民全員が憲法改正論議に参加し、自らの意思表明をできるようにするためにも、国会での審議を加速し、具体的な憲法条項改正発議を示し、国民投票を実施すべきだ。
(初出Livedoor ブログ5月5日)