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yoyo

コンテンツ

2021.11.15 12:46

大学前の駅から乗り込んできた女の子二人がグランドスラムの何日目に行くかを相談していた。ライブ12月やのにそれまでバンドは何してるん(まるで暇だとでもいうように)とか、こいつらいらんとか、なんでこことここが同日じゃないんだとか、お客様気分な姿勢に驚く。私もこの子たちのように、夏はラシュボ、冬はレディクレへ行くような大学生で周りもそんな子がたくさんいたわけだけれども、記憶ではこんな態度の子はいなかったように思う。あそこミスってたとか上手くなったよねとか生意気なこと言っても、底には格好いいよね〜というリスペクトがあった。「プロは全員すごい」という共通認識があったように思う。


これはあくまで私が盗み聞きしたたった一例だけれども、なんとなく音楽だけでなく消費そのものの感覚が変わってきているのかなと感じた。コンテンツは自分を楽しませるために存在する「もの」という感覚が強いというか。もちろんコンテンツは人を楽しませることを前提に存在しているけれども、それはコンテンツである前に人なのだということ、ゲームなど生身の人間でないものでも人が作ったものなのだという感覚が薄くなってきているというか……。


どうしてだろうと考えたとき、まず個人の問題があるとして、他に思い当たるのはサブスクが当たり前になっている(供給量が多くなっている)こと、SNSでバンドが身近に感じれるようになっていること(実際その子たちはその場でバンドのツイッターを検索してこんなこと言うてるでとまるで友人のツイートを取り上げるように話していた)、そこでは「あなたたちを楽しませます」ということがあの手この手で繰り返し述べられていることがあるのかなと思った。


朝井リョウさんの「スター」に、YouTubeがコンテンツに対して料金が払われるのではなく広告料が入ってくるシステムであること、つまりギブアンドテイクのシステムが崩れていることが恐ろしいと述べるシーンがあったのだけれど、コンテンツはコンテンツである(人でない)という意識はそことも関わりがありそうな気がする。


とりあえず私が電車の女の子たちに言いたいのは、あなたたち「出演者802系ばっかりじゃない?」って言ってたけれどグランドスラムは802が主催だし、あなたたちが知ってるようなバンドは全員802系でしょうが(私はそうだった)ということです。