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「宇田川源流」 枝野幸男と立憲民主党は何が良くなかったのか?という研究で見える野党政治の「国民不在」

2021.11.17 22:00

「宇田川源流」 枝野幸男と立憲民主党は何が良くなかったのか?という研究で見える野党政治の「国民不在」


 様々なところで言われているが、今回の総選挙で立憲民主党は敗北し、枝野幸男は代表を辞任することになった。

 さて、ではなぜ「立憲民主党」は敗北し、なおかつ「枝野幸男」は何を間違えたのか。まずはそのことを研究してみたい。なお、以前であれば、というか、私個人としては「反対しかできない政党が存在すること自体おかしい」ということを言ってしまうのであるが、まあ、今回はさすがにそのようなことを言うと、この時点でこのブログが終わってしまうので、もう少し研究らしいことをしてみよう。

 そもそも、今回の占拠を振り返ってみれば、「衆議院任期が近い」選挙であったことから、当然に準備はできていたと考える。ある意味で「予定戦場」の読みが攻守ともい一致していたものであり、野党側も1週間くらい投票日がずれていたにしても、全体の大きなバランスが崩れるほどの内容ではない。つまり「準備不足」ということをいうことができないという状況である。

 また、その準備ということであれば、「野党連合」ができていた。特に立憲民主党と日本共産党の選挙協力に関しては、少なくとも国会議員レベルではうまく行っていた。また、そのころには自民党は菅義偉内閣であり、そのコロナウイルス対応に関してもマスコミこぞって批判をしていた状況であることを考えると、野党有利というような感覚になっていた。

 そもそもこの野党連合はいったいどうして起きたのか。取れは2017年総選挙において、小選挙区では「立憲民主党と共産党が別々に立候補していた」のだが、その「立憲民主党と共産党の票数を足した場合、その時当選していた自民党議員よりも票数が上回った選挙区が100近くあった」ということから、それならば「反自民」で一致した方が良いという結論に至ったのである。

 しかし、世の中そのように単純ではない。選挙を「足し算」で考えること自体が滑稽であり、なおかつおかしい。この時点で「数の論理」飲みであって「政策」などは全く無視していることがよくわかる。今回の選挙における立憲民主党の落選議員の「敗者の弁」で多かったのが「反自民の受け皿になれると思ったが」というようなことを言っているが、この発想自体がおかしく、「自分たちの政策が受け入れられたか」ということを考えるべきであるが、はじめから「相手方の否定」でしか考えていないことがわかる。

 反対しかできない、自分の政策を出して訴えていない人々を誰が支持するのであろうか。

枝野代表辞任で見せた10年間の激変ぶり…「生気ない」「疲れてる」

 11月12日、立憲民主党は所属国会議員の集まる両院議員総会を開催。枝野幸男代表の辞任が正式に決定した。

 9日に行われた立憲民主党の常任幹事会では枝野氏が自らの力不足を謝罪したうえで、衆院選を総括。「多くの仲間が議席を得られず、現有議席を減らす大変残念な結果となった」と述べ、「政治は結果だ。この結果は全力を尽くしただけに、私自身の力不足そのものだ」と発言した。

 4年間にわたって立憲民主党を率いてきた枝野氏の辞意表明は、波紋を呼んだ。だがもう1つ話題となっていたのが、枝野氏の激変ぶりだ。報道を受け、SNS上ではこんな心配の声が上がっていた。

《10年間とは思えない老けぶり。生気がない。目が死んでる。お疲れ様でした》

《枝野寝ろってワードが上がってくるくらい、やっぱみんなおもってたんだね。疲れてるように見える》

《枝野さんというよりほかのメンバーがひどすぎたから負けたんじゃないの。苦労が多かったんだろうな。老けこむ理由も納得できる》

 12日の総会で立憲民主党は、後任を決める代表選を「19日告示、30日投開票」の日程で行うと決定。枝野氏は「新代表の下、政権獲得に向け一致結束してもらいたい」と述べたという。

 22年の夏の衆院選に向け、野党第1党に新たな風が吹くのか。注目が集まる。

2021年11月13日 6時0分 女性自身

https://news.livedoor.com/article/detail/21186263/

 政策が異なることに対して、基本的に何も違和感を感じず「反自民」だけで「野党連合」を行った。その結果、政策を強く打ち出した(といちおうなっているが、私からは立憲民主党よりもというような条件付きに見える)国民民主党や日本維新の会が野党連合から離脱することになる。この時点で「政策連合ではない」と言ことが見えてしまい、あくまでも票数のみの内容であるということになってしまう。

 そして選挙期間中に麻生太郎自民党副総裁に「立憲共産党」といわれて慌てて火消しに回るということになる。また、トヨタ労連などが野党連合からの離脱で立憲民主党の支持を取りやめ、トヨタ労連出身の議員が立候補を断念することになっているのである。この時の立憲民主党幹部の発言は、あまりにも要領を得ずに何だかわからない者ばかりであろう。「政策に関しては20項目の合意をしている」「共産党とは選挙協力で政権の枠組みとは異なる」そのようなことを言いながら「政権交代を訴える」ということになっている。つまり、「独自で選挙に勝てない政党が、選挙を協力s他政党を排除して政権に就く」ということを言っており、また「政策に関しては20項目だけで運営する」ということを言っているのである。これはあまりにも「国民を馬鹿にしすぎている」のではないか。

 要するに「何でもいいから」というか「国民をだましてでも政権を欲しかった」という、枝野幸男本人の「強欲」と、日本共産党という少なくともあまり国民に好かれていないし、立憲民主党支持層の中でもあまり支持されていないところと「永田町の論理」だけで連合をしたという「国民不在」の判断によっておかしなことになり、立憲民主党の支持基盤がおかしくなったということに他ならないのではないか。

 そもそも、立憲民主党は2017年の総選挙でも希望の党に多くの議席を取られており、それほど大きな政党にはなっていない。そのご希望の党が形を崩したので「漁夫の利」的に野党第一党になったのであり、もともとそれほどの支持があったわけではないのである。そのような状態を真摯に反省することなく、現状の状況を肯定し、そのうえで、自分の強欲をもって支持層などを排除した選挙戦を戦ったために当然の結果になった問うことが言える。そして、上記のように疲労の色が隠せないということは「本当にその強欲にむしばまれ、自分の置かれた立場や国民の真の心根がわからないまま、政権が撮れると信じていた」ということにほかならず、いかに国民を無視した内容を続けていたかということがわかるのではないか。

 国民が求めているのは「反自民」ではないということになる。日本維新の会は、ある意味で2009年参議院選挙などの「みんなの党」と同じで「反自民」ではないが「自民党支持」でもない「非自民系保守系第三極」であり、これは小選挙区になってからずっと日本人の多くが望んでいたものである。日本人は「二元論」ではなく「鼎談」方式の政治を望み、対立軸ではなく「中庸」を望む状況にあるのであり、極端な革新系政治は望んでいない。そのことすらも見えていないのが枝野幸男という政治家ではないか。

 まさに「対立軸で存在感」などといっていること自体、政治が見えていない。そのことを、今回で反省できるのか、あるいは立憲民主党の人々はいまだに見えていないのか。それは代表選挙でわかるのかもしれない。